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ピーター・ティールの卒業式スピーチ〜「新しいことをしろ」

5月、6月はアメリカの大学の卒業式シーズンです。かの有名なスティーブジョブスを始め、各界の著名人を招いてスピーチをしてもらうというのがアメリカの卒業式の伝統です。そして毎回有名な人が来ると、スピーチは非常に盛り上がります。(スティーブ・ジョブスのスピーチはこちら。個人的なお勧めは他にもハリーポッターの著者、J.K.ローリングのスピーチなど。)それぞれの領域を極めた人やユニークな経験をしてきた人の放つスピーチは、語り方も非常にうまいですし、何よりもずっと忘れないような深みのある内容です。

そこで今回は、つい先月にハミルトン大学での卒業式に招かれたピーター・ティール氏のスピーチを全翻訳して紹介したいと思います。ピーター・ティール氏といえば、「Zero to One」のビジネス書で有名なPayPalの創業者で、シリコンバレーでは言わずと知れた投資家であり起業家です。彼のビジネス関連の動画はたくさんありますが、今回のような卒業式でのスピーチはとても珍しいと思います。普段から彼の動画を見ていた自分としては、正直彼はスピーチは得意な方ではないと思っていました。しかし、今回の彼のスピーチを聞いたら、淡々と話している姿がすごく新鮮に映りました。内容も他の卒業式スピーチと比べ簡潔で新しいので、サクっとお楽しみください。

動画に日本語字幕を付けましたが、文字で読みたい場合は下の全訳を読んでください。

以下全訳

ありがとう。素晴らしい紹介をどうもありがとう。ここに居ることができてとても光栄です。

多くの卒業式でのゲストスピーカーのように、私がこうして来れた主な理由はきっと、私が教授やあなたの両親よりもさらにあなた方のことについてよく知らない人の一人だからでしょう。(笑)

あなた方のほとんどは21や22歳です。そして、これから働こうとしています。私は21年間もの間、誰かのために働いたことはありません。しかし、もし私が今日ここで話さなければいけない理由を一つ挙げようとするならば、それはきっと、私の職業が将来のために考えることだからでしょう。そして今日はcommencement (始まり)です。それは、新しいことの始まりです。私はテクノロジー専門の投資家として、新しいことの始まりに投資をしています。私は今までやられていなかったことや、日の目を浴びていなかったことへの可能性を信じています。これは、私がキャリアを始めた頃、計画していたものではありませんでした。

1989年にちょうどあなた方が今座っている所に 私が座っていたとしたら、私は弁護士になりたいと言っていたでしょう。弁護士が毎日何をしているかよく知ってはいませんでしたが、まずはロースクールに行かなければいけない事は知っていました。そして、学校は私にとって身近なものでした。私は中学校、高校、そして大学までずっと競争の世界にいて、そのままロースクールに進むという事は私が小さい時から受けてきた同じようなテストの上で競うことだとは知っていました。しかし、それでも周りの人間にはこう言っていました 「プロフェッショナルな大人になるためだからできるんだよ」と。

ロースクールではニューヨークの大きい法律事務所に雇われるほど十分にうまくやっていました。しかし、実はそこはとても奇妙な場所だということがわかりました。外側の人間は、みんな入りたがっているのに、内側の人間は、みんな出たがっていました(笑)。7ヶ月と3日目で事務所を去った時(笑)、私の同僚は驚いていました。同僚の一人は、アルカトラズ島から脱出するのが可能だとは知らなかったよ、と言っていました。少し奇妙に聞こえるかもしれません。なぜなら、あそこから脱出するために必要なことは、入り口から出て、戻ってこなければいいだけの話だからです。しかし彼らに取ってあそこを去ることは本当に難しいことでした。なぜなら、彼らのアイデンティティーのほとんどが、そもそもあそこに辿り着くための競争を勝ち抜いてきたということに囚われてしまっていたからです。

ちょうど私が弁護士事務所を去ろうとしていた時に、最高裁判所で争う為のインタビューを受けました。これは、若手弁護士にとっては最高に名誉のある賞のようなもので、まさに最後の競争でした。しかし、私は落ちてしまいました。その時、私は完全に打ちのめされました。世界の終わりのようにさえ感じました。

約10年後、最高裁判所への準備を手伝ってくれた、もう何年も会っていなかった旧友に偶然出くわしました。彼が最初に発した言葉は「ようピーター」や「調子どうだ?」ではなく、むしろ「ところで、あの時落ちて嬉しくないか?」でした。なぜそんなことを言ったかというと、もし私が最後の競争で負けていなかったとしたら、中学校から敷かれていた道を離れることはできなかったし、今頃カリフォルニアに移り住んで、スタートアップを創業したり、何も新しいことはできていなかっただろうと、私たちは分かっていたからです。

振り返ってみると弁護士になりたかったという野心は、将来の為の計画というよりも、現在の為の口実のように思えてきます。それは、私の両親や、仲間、そして何より自分自身に対して、次のように説明する一つの方法にしか過ぎませんでした。「何も心配する必要はない、私は完璧に正しい道に進んでいる」と。しかし、今振り返ってみると私の最大の過ちは、どこへ向かっているのかを深く考えずにただ道に沿って走ってきてしまったということです。

私がテック系スタートアップを共同創業した時、私たちは正反対のアプローチを取りました。世間の当たり前を意識して変えようと計画しました。とても極端でとても大きな計画です。私たちのゴールは、まさにUSドルを電子通貨を創ることによってに取り替えてしまうようなことでした。私たちのチームはとても若かったです、23歳以上の人物は私だけでした。最初の製品をリリースした時の一番最初のユーザーは、私たちの会社の下で働くたった24人だけでした。他には、何千万人ものグローバルな金融業界で働く人々がいました。業界の何人かに私たちの計画について話した時、明らかなパターンを見出しました。銀行での経験の多い人ほど、私たちの冒険は成功するはずがないと確信していました。彼らは間違っていました。今日、世界中の人々が毎年2000億ドル以上ものお金を動かすためにPayPalを使っています。より偉大な目標については、確かに失敗はしました。ドルは未だに優勢ですし、全世界を取って変えることはできなかったです。しかし、私たちはその過程で一流の会社を創ることに成功しました。そしてより大切なのは、難しくて新しい試みをしている時に、不可能などないということを学びました。

あなたの人生において今、これから先の生涯で知り得るよりもずっと少ない数の限界や、タブーや、恐怖についてしか認識していないでしょう。ですから、その無知を決して無駄にはしないでください。外に出て、先生や両親が「できるはずがない」と言っていたことや、考えもしなかったことについて挑戦してみてください。私の助言は、教育や伝統に価値がないことを前提するべきだということではありません。そこで、ハミルトン大学の1905年の卒業生である Ezra Poundからインスピレーションを受けてみましょう。Poundは詩人でありまた様々な領域で貢献した人です。彼は、彼の任務を3文字で表現しました。

「Make it new」

彼が「Make it new」と表現した時、彼は古き良きものを意図していました。伝統から回復し新鮮なものに仕上げよ、といったことを意図していたのです。今ここハミルトン大学、アメリカ、いや西と呼ばれる世界では私たちはおかしな伝統の一員です。私たちが受け継いだ伝統それ自体が、新しいことをするという意味です。フランシス・ベーコンやアイザック・ニュートンの新しい科学は本に書かれているはずもなかった真実を発見しました。アメリカ大陸全体が、全く新しい世界なのです。我が国の創立者たちは時代の新たな秩序を作り出そうとスタートしました。アメリカは未開拓の地なのです。新しいものを追求しない限り、私たちは本当の意味で、自分達の伝統に従っていることにはなりません。では、私たちの現状はどうでしょう?今日、どれだけのものが新しいのでしょうか?私たちは今急激な変化の時代の中に生きているというのは決まり文句です。しかし、真実はより停滞に近いところにあるということが公然の秘密でしょう。コンピューターはどんどん速くなり、スマートフォンはまあまあ新しいですが、一方で飛行機は未だに遅いし、電車は壊れてしまうし、物件は高いし、収入は伸び悩んでいます。

今では、テクノロジーという言葉は情報テクノロジーということを意味します。いわゆる「IT産業」と呼ばれる産業はコンピューターやソフトウェアを作っています。しかし1960年代には、テクノロジーという言葉はもっと広い意味を持っていました。コンピューターだけでなく、飛行機や医療、肥料、原料、宇宙旅行など様々なことを意味していました。テクノロジーはあらゆる領域を前進させ、水中都市、月への観光、計りきれないエネルギーの世界へと導いてくれました。

まだ発展途上の国と区別するために、アメリカをdevelped country(先進国)だと描写することがあるのは誰でも知っているでしょう。この描写は普通の言葉のように振舞っていますが、私には普通とはかけ離れたように思えます。なぜなら、それは新しいことを創るという我々の伝統が終わってしまっているということを意味するからです。アメリカがdevelpedだということは、それまでだ、ということを意味しています。私たちの歴史は終わった、という意味です。すべてのものはすでにやり尽くされ、世界の他国のためにできることと言えば、追いつくことだけだという意味です。このような観点だと、1960年代のとても素晴らしい将来へのビジョンはただの間違いだったと言えます。私は、我々の歴史は終わってしまったと前提にするような誘惑には断固として打ち勝つべきだと思います。もちろん、もし我々が普通じゃないことをするだけの実力がないと信じることを望めば、我々は正しいということになるでしょう。しかし、一種の自己暗示的な意味で、です。しかしながら、我々は自然原理を責めるべきではありません。我々の手にかかっているのです。親しみのある道や伝統というのは、決まり文句のようなものです。それらはありふれたものであり、時々正しいように聞こえます。しかし大抵の場合、一定の反復によってのみ正当化されているだけです。

そして今日は、特に2つの決まり文句に疑問を投げかけてから終わらせてください。一つ目は、あるとても有名な助言をしたシェイクスピアからです。「己に誠実であれ。」シェイクスピアはそう書きましたが、実際に言ったわけではありません。彼はその言葉をポローニアスというキャラクターに吹き込みました。ハムレットが「年老いてつまらない愚か者」と正確に描写した人物です。ポローニアスはデンマーク王に仕える上位にいた参事官であったにも関わらずです。つまり、現実的にはシェイクスピアは2つの事を教えてくれています。一つ目は、「己に誠実になんかなるな」ということです。そもそも、我々は己というものを知ることができるのでしょうか?あなたにとっての己とは、他人との競争によって定義されているのかもしれません。私がそうであったように。自分自身を律し、磨いて、気遣うことが必要で、ただ漠然と追っていては己は見つかりません。二つ目は、シェイクスピアはたとえ年配からのアドバイスでも疑うべきだ、と言っていることです。ポローニアスは父親として娘に話しかけますが、彼のアドバイスはひどいものです。ここではシェイクスピアを、ただ単に受け継がれてきたことを賞賛しない西洋伝統の忠実な例として、捉えることができるでしょう。

もう一つの決まり文句は次のような言葉です。「毎日をまるであなたの最期の日のように過ごしなさい。」このアドバイスを解釈する最良の方法は、全く逆のことをすることです。「毎日を、まるで永遠に続くかのように過ごしなさい。」

この言葉はまず、そして最も重要な意味は、「あなたの周りの人々もまるでかなり長い間生きていられるかのように接しなさい」ということを意味しています。あなたが今日選んだ選択は、とても大きなことを意味しています。なぜならそれによる結果は発展し続けるからです。これは、アインシュタインが「この世で最も偉大な力は複利効果だ」と言った時に意図していたことです。これは単に財務やお金についてではありません。それは、あなたの時間を永久の友情や長く続く人間関係を築くための時間に投資することで、最大のリターンを得ることができるというアイディアについて追求しています。

ある意味、あなた方が今日ここにいる理由は、勉強をするためにハミルトン大学の入学審査に合格し、すべて履修し終えたからでしょう。また別の意味でいうと、ここまでなんとか来れるよう助け合える友人のグループを見つけたからだ、ということになります。そしてその友情はこれからも続きます。もしあなたが友人を気遣ってあげれば、さらに数年間積み重なっていくでしょう。あなたがしてきた全てのことには、ある種の形式的な終わり、卒業式があります。今日という日を、あなたが今までに達成してきた全ての事について祝福するために使って欲しいし、そうすることを願っています。しかし今日の卒業式は、もう一つのいつか終わってしまうことへの、単なる始まりではありません。永遠の始まりです。

そして、あなたの永遠の始まりをこの場でこれ以上遅らせることはやめることにします。Thank you.

Referenced from Hamilton College in Clinton, N.Y., with a permission, and the College provided the video.

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