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階級とか階層、天使とか。

最近、ずっともやるので、ここで記録しときます。
こういうこといっても混乱する人もいるし、私の考えということで。

スピリチュアルに関する勉強をし始めた時、その上昇思考というか、階級感が、こんなところにも張り巡らされていることに驚いたものである。確実に人間の思考で、この世界、人間の思考を牛耳って、支配してやるぜというどこかで誰かが考えた野心が満載である。支配するには誰かの虚栄心をこちょこちょしてみると皆が努力するのね。

西洋から入ったスピリチュアルなものは、基本キリスト教の思考、背景であるので、そりゃ階級であります。天使も悪魔も階級で振り分けているのである。しかし、それは階層であって、その階層によって働きがあるので、ある意味棲み分けでもあると理解していたりする。
もちろん階層の中に聖人がおり、その聖人も修行を積んでその上の階層を目指し、よりこの宇宙の平和、太陽系の進化を目指しているというのが神秘主義的なスピリチュアルな世界観だったりする。めちゃくちゃ端折ってますけどね。

それぞれのその時の人生があり、生まれ変わり、その意図を磨いていくんだよ。

一神教というとどうしても尊い存在とそれに比例する下等な存在がひつようなのである。その下等に落ちないように信仰を求めて、その信仰によって人は追い立てられ、自分の努力を褒められたいと思うのであるのです。だから,世紀末も必要なのです。罰を受ける存在を見せてくれよっていうのが世紀末思考だと思うんですよね。

悪い人はいつか神が来て罰してくれて、聖なる信仰を維持する私たちは救われるっていう願いを持たざるを得ない。いわゆる承認欲求が溢れるんだよね。

おそらくそんなものは来てはいけないのだ。人の愚かさによって罰せられたらいいと思う感情はよくない。

第一、そんなふうにして選別されたことなんてないのである。

いつだって弱いものが虐げられた。ってそれは人間がやっている。

人間の心の自作自演によって、いろんな不幸が溢れるのである。

私たちは天使として、地球に生まれたと言われている。この地球にたくさんの愚かさを撒き散らしている私たちは天使としてやってきた。この世界の悲しみを、そばの人にできることをすることが人間にはできる。それぞれが身近な人を大事にする。思いやること。

高次元の人たちの意図を受け取るために、上を目指し、受け取り,その意図を私たちがおこなうのが人間の天使性。そこには階級はないのだ。

そんな階級、階段は登りたくない。

マスクされた私たちの思考、存在性に開いていきながら、
より高みを目指す。それは純粋な意図でもって、いと高き存在の輝きをこの目に浸透させる。

占星術で、小惑星を100近く加えてホロスコープを作成すると山羊座という社会の枠組みを表すサインにほとんど星がない。たった二つ。山羊座ないという意図は、この考えなんだなって思いました。リリスも強いし。


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