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眞子内親王殿下がご結婚

またもや皇族をいじめぬいた一部マスコミと国民

 眞子内親王殿下が小室圭さんと婚姻して皇籍を離れられました。昭和の時代に上皇后陛下を失声症を追い込み、平成の時代に皇后陛下を適応障害に追い込み、令和の時代には眞子内親王を複雑性PTSDに追い込んだ一部マスコミと国民にはあきれるしかありません。その中には少なくない天皇や皇室を敬愛すると自称する「保守」を名乗る者も含まれていますから尚更です。

 2020年11月の誕生日記者会見で、秋篠宮さまは、長女眞子さんの結婚についてこう述べられた。「結婚することを認めるということです。これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」
 じつは秋篠宮さまは、17年5月に眞子さんの婚約内定が報道された直後から、幾度となくこの考えを周囲に語っていた。二人の意思である以上、結婚はだめだとは言えない。その姿勢を終始貫いた。
 しかし、道のりは平たんではなかった。同年9月に二人の婚約内定会見が行われ、結婚に向けて順調に進むかに見えたが、小室圭さんの母親と元婚約者との間の金銭トラブルが発覚し、事態は暗転した。18年2月には宮内庁が結婚延期を発表した。
 秋篠宮さまは、同年11月の誕生日会見でこう発言した。「きちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」
 以来、秋篠宮さまは一貫して金銭トラブルの解決を求めてきたが、実現していない。「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」にないと判断した秋篠宮さまは、納采の儀や結婚式などを行わない決断をした。内親王が皇籍を離れる際の一時金も、眞子さんが辞退した。婚姻届だけの、内親王としてはまさに異例の結婚となった。
 国民とともに歩む皇室である。国民の理解と支持は象徴天皇制を支える基盤だ。眞子さんの結婚に批判的な声が多い中、諸儀式を認めていたらどうだっただろう。儀式を行わない秋篠宮さまの決断には、父親としては苦渋の思いがあったことだろう。
 「娘が生まれる前は2人で、今は、家族が3人になっておりますけども、週末なんかに家族だけで過ごす時間があるというのは、非常になんか、幸福感を感じるというかですね、そんな気がいたしますね」。眞子さんが生まれて2年後の1993年11月の誕生日会見での秋篠宮さまの発言だ。あのころは予期しなかった結婚までの経過は、さまざまな議論を巻き起こした。そこで問いかけられた課題が、皇室と国民のより深いつながりへの契機になることを願っている。【編集編成局・江森敬治】

 そもそも、小室圭さんに金銭トラブルがあるわけでもなく、小室圭さんの母親と元婚約者との金銭トラブルに過ぎません。皇嗣殿下は慎重なお考えから「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」にないと判断したのかもしれませんが、小室圭さんは皇室に入るわけでもありませんし、眞子内親王殿下が皇族として残るわけでもありません。しかも、本来であれば報じる立場であるはずの週刊現代の記者がなぜか元婚約者の代理人となっている不思議な状況であったことには首をかしげざるを得ません。
 そして、週刊現代をはじめとするマスコミが眞子内親王殿下へのバッシングを繰り返したのは、訴訟リスクがないからだと私は考えています。皇族に対する名誉毀損については、内閣が皇族に代わって民事訴訟を提起することになりますが、仮に名誉毀損でマスコミが皇族から民事訴訟を提起されたとすればそのマスコミはテロの標的になるかもしれませんし、その民事訴訟によって社会不安が発生することになるかもしれません。皇族の大きすぎる影響力により不測の事態が発生することを恐れて内閣は皇族に代わってマスコミなどに民事訴訟を提起することは今後もないでしょう。そして、それを見越しているからこそマスコミはノーリスクで皇族へのバッシングを繰り返すことができるわけです。

皇族方の献身で支えられる日本の皇室

 皇室は皇族方の献身により支えられています。天皇は国民の健やかなることを祈るために、皇族は天皇の祈りを支えるためにたった一度の人生のほとんどすべてを自らのためではなく国民のために尽くしています。しかも、皇室典範に皇族から離れることができる規定があるにもかかわらず、自らの意思で皇族となることを選び、国民のために祈る天皇や天皇を支える皇族として生きる道を選んでいるのです。
 高森明勅日本文化総合研究所代表も「エスプリ・ドゥ・コール」という言葉を用いて皇室が皇族方の献身的な姿勢によって維持されていることに触れています。

こうした考え方に対して、憲法学者の長谷部恭男氏が、
以下のような言及をされている(「奥平康弘『「万世一系」の
研究』〔上〕解説」)。
「天皇制および皇室制度を持続的に支えようとする
皇族に共有される精神、つまりエスプリ・ドゥ・コールが
失われれば、退位の自由を含めた
『(皇室からの)脱出の自由』を否定したとしても、
現在の姿の天皇制および皇室制度を維持することはおぼつかない。
天皇が自発的に公務を放棄したら、摂政とされた皇族も
次々に公務を放棄したら、また皇族が世間から当然に期待される
行動や態度を示すことをやめたら、どうなるであろうか。…
逆に言えば、エスプリ・ドゥ・コールが維持されている限り、
『脱出の自由』をたとえ認めたとしても、皇族が次々と
脱出することはあり得ない。…
天皇に退位の自由を認めると、天皇制が立ち行かなくなる
リスクがあるという議論は、天皇制を支えるこうした
エスプリ・ドゥ・コールの意義を見失った議論のように思われる。

 例えば、天皇陛下、皇嗣殿下の次の世代の唯一の男性皇族である悠仁親王殿下が一部のマスコミや国民の眞子内親王殿下に対するバッシングを見て「エスプリ・ドゥ・コール」を維持しないとお考えになったとすれば、その時点で126代続いてきた天皇家が実質的に断絶することになってしまうわけです。
 そのような中でお二人が婚姻された10月26日に結婚に抗議するデモが行われました。デモの参加者は皇室の弥栄を願ってこのような行動に出たのかもしれませんが、これが皇族の「エスプリ・ドゥ・コール」を損ねるのではないかという懸念を持ったうえでなされたのかどうかは疑問に感じます。