見出し画像

張作霖爆破事件はソ連の工作だった

そして柳条湖爆破事件は中国兵によるものだった
満州での重要事件関連図

ミトロヒンとは、ソ連崩壊直後の1992年、ソ連からイギリスに亡命した元KGB職員である。彼は、イギリスの諜報機関MI6の助けを借りながらイギリスに亡命する時に、実に「6つの大きなコンテナ」に詰め込んだ機密文書を、MI6に手渡した。

このミトロヒン文書によると張作霖爆破事件はソ連の工作であったことが書かれているそうです。

近代史が大きく変わる大事件なのに日本では報道されないのが不思議です。

こちらでは使われた爆薬がソ連製だったことが.…

リットン調査団の報告書によれば、問題は極度に複雑だから、いっさいの事実とその歴史的背景について十分知識を持った者だけがこの問題に関して決定的な意見を表明する資格があるというべきだとしていました。

『正論』2006年5月号[27]によれば、この謀殺は周到に計画されたものであり、日本軍特務機関がやったように見せかけたとしている。特別列車が爆破されたとき、張作霖の乗っていた車両の隣の客車にはソ連諜報員のイワン・ヴィナロフ[28]が乗車[29]しており、事件現場の写真を撮った[30]としており、中西は『諸君!』2006年6月号で『エイティンゴは、橋梁や線路の爆破ぐらいでは致命傷は与えられないから、自分たちが爆破に直接関係したと言って、客車の写真を撮って、それを自分の功績、証拠として、その壊れた客車の写真を自分の回顧録にわざわざ載せて、そして自分がやったんだとはっきり言っているんですね』と、写真はソ連工作員が直接撮影

【背景】
1922年7 月、張作霖は満洲の独立を宣言
ロシア人士官の指導の下、蒋介石は軍隊を作り上げ、国共合作(1924 年) の後、北方軍閥を打倒( 北伐) し、1928年南京に一応の国民党による中央政府を樹立したが、国共離反(1928 年) し、依然として各軍閥、匪賊間の抗争は続き、政府の機能を果たし得なかった。南部では、有力な諸首領が離反し軍閥間抗争が続き、広東を中心として中央政府から独立しソビエット化した。支那は今もなお諸勢力が分裂し、一体感の欠如の原因は、シナ国民が国家を基礎とは考えず、家族や地方を基礎として考える傾向にあることを挙げている。

さて、1928年6月4日張作霖が乗って爆殺された列車は京奉線で満州鉄道ではありませんでした。満州鉄道の安全管理は日本軍の受け持ちですが、亰奉線の管理責任は支那にありました。

事件当時に現場付近には満鉄守備隊がいなかったことが問題となり、田中内閣は議会で厳しく追及されていました。一方支那の排日派からは、この事件は関東軍による犯行だと世界に宣伝された。

日本の議会ってほんとおかしな人が昔からいますね。
しばやんさんは深く調べられているので非常に参考になります。


満州事変の発端となった柳条溝事件は、当時の日本側の記録では満鉄線路を爆破したのは支那兵であったと明記されており、その後日本軍が中国軍から攻撃を受けたことが書かれている


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?