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死の行進

フィリピンでは、バタアンが占領された4月9日は、戦闘や死の行進の犠牲者を悼む日として祝日となっているそうである。
世界は嘘であふれている。
なぜ、フィリピンはこのような反日的なプロパガンダを流すのでしょうか。

以前、バターンの行進は日本軍の大救出作戦だったという記事を書きましたが、確かにバタアンでは、マッカーサーの作戦の失敗で食料も医薬品もない状態で籠城し、多くの人が亡くなりました。

4月9日にはバターン半島総司令官のキング少将が降伏を申し入れてきた日です。バターンには米兵や比兵をはじめ無数の難民がいるにもかかわらず、
米比兵はコレヒドール島から砲撃をしてきていました。
米比軍の傷病者が治療を受けている病院にも砲撃をし、バターン半島で戦った味方の兵士を誤爆で死に至らしめています。

米軍はマニラ市民の命を大切にしていないことはマニラでおこなったアメリカの軍事行動でも明らかです。マニラ市民へ向け、日本軍がいるということでマニラ市民の死を意に介せず大量の艦砲射撃をおこなったアメリカ。
のちに日本軍がマニラ大虐殺をおこなったとプロパガンダします。

日本軍も1942年1月マニラを占領しています。
大東亜戦争写真史は次のように記録しています。
マニラの町を破壊せずに攻略しようという希望は炎上する火災によって失われた。町を火災から救うために軍は侵入を決意した。

武士道の心をもった武将たちの戦い方がアメリカとは違っていたことがわかります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3006458/1/21

大東亜戦争写真史

こんなに違った日本軍とアメリカだったのに日本軍は日本軍の甘さと親米派への優しさでフィリピン人の親日派から支持を失っていきます。支那の汪兆銘政権は当初反日であったが、親日政権となり南京をおさめるようになったことも甘さにつながったのではないでしょうか。

アメリカ人の底意地の悪さ・悪逆さはインディアンへおこなった涙の道を『死の行進』させている事でもわかります。
15,000名いたチェロキー族のうちおよそ1/3の方が途上で亡っています。

インディアンにやった自分たちの罪を日本軍になすりつけているアメリカのプロパガンダを信じている人が目覚めることが出来ますように。


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