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病院船を攻撃していた連合軍

左巻の人たちはこのようなことを言いますが、
ほんとうに大日本帝国は悪い国だったのでしょうか?

バターンの死の行進はマッカーサーの作戦で弱りはてていた人々の大日本帝国兵士による大救出作戦でした。

731部隊の活躍に感泣していた中国兵は多かったそうですし、細菌戦をやっていたのは連合国であった中国で、日本兵の捕虜を人体実験していたのが連合国であったソ連でした。

重慶爆撃とアメリカによる日本都市爆撃は全く違う性質のものです。

アメリカの将軍ルメイは中国の武漢で民間人を爆撃目標にした新しい戦争犯罪爆撃を東京大空襲に先駆けて行っていました。

真珠湾攻撃はアメリカ政府は事前にわかっていましたし、日本への空爆を決定したのは真珠湾攻撃のほぼ5ケ月前でした。宣戦布告なしで戦争を始めていたのは米国でした。
そしてリメンバーバーパールハーバーとして有名ですが、真珠湾攻撃でのハワイの民間人の被害は68名の死亡者と35名の負傷者でしたが、これは日本軍が意図して生じたものではなく軍事施設にいた政府関係者が巻き添えとなったものです。
アメリカは民間人を攻撃目標として爆撃していた戦争犯罪をやっていた悪い国であったのに裁かれていません。

本題から横道にそれていますので、本題に戻します。

病院船を襲撃していた中国軍の記事がいくつも残っています。
1938年7月29日マウイ新聞には
九江のカトリックの神父コーシェル師(仏国出身)は同教会に1200名の避難民を収容していたがこれをもてあまし日本軍に保護を申し入れた。同師の語る所によると1ケ月前から支那兵が俄かに増加したが数名あるいは数十名が一団となって手あたり次第に略奪をなし婦女子を凌辱し商店で買い物をしても代金を払わず軍需品以外のものを勝手に徴発し第3国人にまで物品を出させて1文も払わず実に天人共に許さざる暴状を極めた
特に退却するにあたり市内の青少年を拉致したが、彼らは別れを惜しんで泣き叫ぶ有様は何とも言えず自分は未だかかる暴虐ぶりを見たことがない

1938年7月29日マウイ新聞

支那、又も暴戻不法 我病院船を砲撃 負傷者3名を出す

1937年(昭和12年) 8月 30日 朝日新聞

アサヒグラフには、次のように報道されていました。
敵米国の残虐、暴戻ぶりは、わが病院船攻撃において遺憾なく見られる。わが病院船を襲うこと12回、その被害は10隻に及ぶ。

白衣の天使対し銃撃を加えたのだ。

『平和』を口にし、『正義人道』を言う彼等こそ、その真実は鬼畜、野獣にすぎぬ。

皇軍庇護下の外国人宣教師を掃射し、多数の死者、負傷者を出さしめた。

似非人道主義者ヤンキーの本性なのだ。
我々日本人はこのことを肝に銘じて忘れてはならぬ。

アサヒグラフ 1944年(昭和19年) 03月 01日  1056号  

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