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なぜ日本軍は中国大陸にいたのか?

それを侵略という偽善者たちへ

清帝国末期の義和団事件

中国では、匪賊の武装組織が跋扈しており外国人を襲撃して金品を強奪し、
命を奪う事件が頻発していた。
1900年の義和団事件が有名である。この時は日本を含む8カ国が居留民の保護のため共同出兵して鎮圧した。その結果の北京義定書によって各国は遺留民保護のため軍隊を駐屯させる権利を獲得した。中国に軍隊を置いていたのは日本だけではなかったのである。

中華民国の軍隊の実態

中国では正規の軍隊と匪賊との違いはほとんどなかった。匪賊の集団が突然正規軍として認められる、その逆もしばしばあった。張作霖がよい例である。彼はもともと匪賊の首領であった。中華民国の時代になったも1923年に臨城(山東省)事件が起きている。走っている列車を暴徒が集団で停め、乗っていた欧米人20名が強奪の被害に遭い。さらに人質として拉致されたのである(1名殺害)。

1927年の南京事件
北伐途上の国民党軍が南京に入った時、兵士たちが外国人居留地を襲撃して略奪の限りを尽くし死傷者も出した。日本は無抵抗を貫き、死者は出なかったが、大使館に避難していた日本人は略奪をほしいままにされ、女性は30人全員が全裸にされ、宝石を隠していないかと陰部をまさぐられたのである。

通州事件
蘆溝橋事件の直後、それに忙殺された日本軍の隙をついて、北京近郊の通州で、260名の日本人居留民が中国の地方軍に襲撃され、殆ど全員がむごたらしく殺害された。殺害の仕方や遺体に対する、特に女性に対する性的な凌辱の有様は文章にするのが難しい。中国文化独特のの殺害の様式である。
このように中国に居留する外国人は、常に危険にさらされていた。先の「議定書」に基づき、各国は居留民保護のための軍隊を駐屯させていたのである。


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