上司とドライブに行く女の子、どっちに問題がある?

 以前、私自身が田舎出身であるがために、性的な危機感を全く持っていない女子だったという記事を書きましたが、今回は昔の勤務先で起こったセクハラ事件について書いてみたいと思います。

 

はなちゃんが仕事を辞めた

 当時30代の私は、とある飲食店に務めていました。ある日、シフトに入っていたはずの大学生の女の子が突然休んでいました。仮に「はなちゃん」というニックネームの女の子だったとしましょう。

  はなちゃんは普段からとてもしっかりしている女の子で、急に休んだりする子ではありませんでした。ですから不思議でもあり、心配でもあり、気になって先に出勤してきていた同僚に「あれ、はなちゃん今日休み?」と聞いてみると、「ああ、はなちゃん辞めるみたいよ。」と言われてしまいました。前回会った時にはそんな話は全くなく、シフトにも入っている状態で、あまりにも急に辞めるというので、「え、シフト残して辞めるの?急病?」と、同僚に聞き返すと、「実はね…」と、はなちゃんの退職の理由が明かされました。

 

職場の上司の想定外の行動

 同僚の話によると、はなちゃんはその飲食店チェーンの部長にドライブに誘われ、まさか勤め先の偉い人が自分に対しておかしなことをするなんてつゆほども思わず、快諾してしまったみたいです。はなちゃんは暖かく良識的な大人たちに守られて生きてきた女の子なので、親戚のおじさんの車に乗せてもらうような感覚でドライブに行ったのだと思います。

 そして、そのドライブの途中で部長に「ホテル入る?」と聞かれたそう。それ以来、部長が怖くなって、お店に出勤できないので辞めるとのこと。部長は一緒に働いていたわけではなく、1週間に1回くらい店に様子見にくる程度の人でした。私の印象としては若い女の子と話すのが好きな男性で、30代の私やもう一人の女性スタッフには目もくれず、はなちゃんに話しかけ、相手をしてもらっている印象でした。よくよく思い出せば、部長は、はなちゃんのことを気に入っていたのだと、問題が起こった後に気づきました。

 

男性の車に女性が乗るということ

 私自身、大学時代には、本当に軽い気持ちで男性の先輩や同級生、同僚の車でドライブに連れていってもらいました。それは、小学校の男女が性的な意識をもたずに、ただ一緒に砂遊びをするような感覚でした。当時の私は、そういった男性達のことを、親戚・いとこ・もっと言えば兄弟のような家族的な感覚で見ていました。まさか、相手が自分のことを女として見ている場合があるなんて、20歳前後で危険な目に合うまでは、気づきもしませんでした。

 そういったことを男友達に話すと「男と二人きりで車に乗っちゃだめ」とか「男を部屋に上げちゃダメ」とか言われて、「いやいや、あんた達もドライブに連れてってくれたし、あたしの家にも泊ってるじゃん。そんで、何もなかったじゃん。誰が家に入れていい男で、誰が家に入れたらダメな男なのかなんて分かんないし。」みたいな話をしたような気がします。

  幼稚だと思う方も多いかもしれませんが、田舎育ちで性的な目にさらされた感覚を持ち合わせない女子たちは、自分が性的な目で見られているという自覚を持つこともありません。よって、経験豊富な大人たちからしたら、「どう見ても危険だよ。」と思うような状況であっても、本人は気づいていないということも往々にしてあるのです。

 

貞節意識の強い男性たち

 余談ですが、世の中にはピュアな男性というのも一定数いて、私の一番最初の彼氏は結婚するまではセックスはしないという考えの男性でした。私の女友達の彼氏もそのようなタイプで、彼女の方から「お願いだから抱いて」と懇願したのですが、それでも、断られたそう。

 このように、男女を問わず性的にピュアな人たちは一定数いて、そういう人達と性にこなれた人達の間で、被害にあった、いいや自己責任だ、という議論が勃発します。

男性教諭を信じるべきか、疑うべきか

 私が高校生の頃に、ピアノに興味があって放課後によく音楽室に遊びに行っていました。そして、独学でピアノを練習して弾き語りをしていると、それを見た40代の音楽の男性教諭(キリスト教徒)が自分の好きな讃美歌を私に教えてくれて、先生がピアノを弾き、私が歌うという遊びをやっていました。

 そのことを、時々、父親に隠れて会っていた別居の母親に話すと、「男の先生?」「何かあったらどうするの?」と言われ、モーレツに腹が立ちました。「先生はそんな人じゃない。何て下品な発想なの!汚らわしい!」と思いました。大人は「信頼関係が大切」みたいなことをいうくせに、私が先生を信頼したら、なんで急に怒られるの?と思いました。

 私にとっては母親なんて時々しか会わない遠い存在で、逆にその男性教諭は学校で頻繁に会うし、慈悲深いキリスト教徒で私の話を親身に聞いてくれる存在でした。私にとっては、正直、母親よりも信頼できる大人だったので、その人を悪く言われたのは物凄くショックでした。

 今となっては、そんな言いにくいことを言ってくれるのは身内だけだと思えるのですが、当時は、人様のことを、ましてや良くしてくれる先生のことを、「男は狼だから、気を付けなさい。」なんていう母親は間違っていると思っていました。先生をそんな目で見るなんて、何て下品な人なんだろうと。それくらい、思春期から大人になりかけている女の子に「性」に対する危機感を持たせるのは難しいのです。

 その男性教諭は私の半径1m以内に入ってくるようなことはありませんでしたから、単に私に自分の好きな歌を歌わせるのが好きなだけだったと思います。そのような、男性と二人きりになっても、何も怖い目にあわなかったという安心感を20歳くらいまで積み重ねてしまったので、私は「性」に関する危機感の全くない女子に育ってしまったのです。

 

未だに答えが見つからないこの問題

 さて、はなちゃんの場合ですが、大学生にもなって、いい年のおじさんの車に乗ってしまったはなちゃんのほうに問題があると思いますか?職場のアルバイトの大学生に手を付けようとドライブにさそった部長のほうに問題があると思いますか?

 性欲の極端に強い男性の事も考慮に入れると、双方に問題があるという見解が妥当な落としどころなのかもしれません。ですが、私やはなちゃんのように、純粋培養で性的な危険を察知する能力が欠如した女の子達が、自分の身を守れるようになるためには、どのような仕組みが必要で、どのように伝えればよいと思いますか?

 若い女性のレイプ事件などが起こった際に、少なからず出てくる女性側の自己責任論を耳にするたびに、若かりし頃の私やはなちゃんのような女の子たちに、どのように「啓もう活動」をするのが効果的なのかと、いつも考えてしまうのです。おばちゃんから男子高校生への被害でも自己責任を問われるの?とも思います。

 また、男女を問わず「車に乗ったら、家に行ったら性的な行為に及んでもOK」的な感覚の人や、「合意を確認するなんてムードがない」とかいう人と、そうでない人たちの感覚のズレをどうするのかという問題もあります。つまりは「雰囲気」「察すること」を重要とするタイプと、「合理的で明確な合意」を重要とするタイプの認識の違いの問題です。デート中にそういった話までしておくのが妥当なのかもしれませんが、恋愛や性行為については雰囲気・ムードというものを重要視する風潮もあるので、そんな野暮なことはできないという人も多そうです。そういった文化的背景も加味すると義務教育などで教えるということが手っ取り早いのかも…という結論にもなりそうですが、そんな悠長なことを言っていられる状況でもないなぁ、とも思えます。

 今の私にできるか考えると、危険な目に合いそうな子に声掛けをすることや、危険な目に合わせそうな男を見つけたら、今はセクハラは相当にまずいですよーと、おどかしておくくらいのことかなぁというのが体感です。

追記
 「ピンとこない」というブコメをいただきました。確かに、色恋沙汰の多い飲食店は存在しますね。ですけど、はなちゃんから事情を聞いた男性店長が、裏を取って、「部長が余計なことをしてくれたおかげで、一番仕事に慣れていて段取りのいいはなちゃんが辞めてしまって迷惑だ。」と陰で怒っていたので事実だと思います。

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