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意識は高く?_悪は存在しない

連休最終日。私は限界にきていた。
連休自体、何日あってもいいけど、特に予定がない状態を3日以上家族3人で過ごすのはきつい。
もともと私が一人が好きっていうのが致命的。

特別行きたいところも買いたいものもなく、だけど出掛けたくて外に出て、どこも人が多くて疲れる。
夫も多分同じ、どこ行きたい?何やりたい?を繰り返す。案を出しても微妙なリアクション。だったら聞くな。
子供ができてから、だいたい連休が終わりに近づいてくるとこういう変な雰囲気になる。

こういう時、子供は呑気で癒し〜〜かすがい〜〜って事は全然無くて息子の空気読めなさっぷりとバカ正直さに非常に心が抉られていた。
普段なら笑ってやり過ごせることも受け止められなくなり、無になってしまう。

ということで観にいく事にした。

連休最終日だからなのか、お祭りが終わった静寂の街中にある映画館だったからなのか、人は多かった。年齢層はすごく高い。

この先
#ネタバレ  的な表現がありますが
なんら核心には触れられないくらい私の理解度が低いです多分。
解説や考察が必要であれば

この記事が一番しっくりきたのでおすすめです。


終わった後の事を先に書いちゃうけど観て真っ先に思っちゃったのは
「映画の上級者…意識高い系向け」だな・・と。

なぜ映画意識高い系向けと思うのか
濱口監督の過去の作品に「ハッピーアワー」という作品があって
上映時間が317分あるんです。悪は存在しないと同じ調子で3倍の5時間半あるんです。
どこか無駄があるようで必要なシーンしかない。ラストの感動はそんなシーンの積み重ねで得られるもの、なんかもう主人公4人の人生の一部を一緒に生きた感があるんです。
(5時間以上観続けられた達成感もあるけど)

この悪は存在しないも、無駄なシーンが一切なく、全てのシーンを自分の脳に取り込んで色々考えておかなければならない。多分。
鑑賞に高度な技が必要。多分。
様々な解説・考察記事を書かれている方はそれが分かって出来ている人なんだなと思う。ただ誰として同じような考察してないけどな。
是非こんな私の駄文じゃなく、そういう文章を書かれている記事に行ってほしい。今からでも遅くない。

そんでもって上映時間は106分。2時間切ってる
ハッピーアワー5時間で臨場感を得て理解できたことを100分でやんなきゃいけない。
察する能力や感じ取る能力がないと、ラストは、え?ってなるでしょう。
今回水は下に流れていく・・云々はこれのメタファーなのかも(違います)

わー自然いいなあ、薪割りうまいなー練習したのかなー、鹿可愛いなあ、堆肥は臭いよねー、コンサルって胡散臭いよねーって観てると痛い目に遭うでしょう。

ハッピーアワー、偶然の想像、寝ても覚めても、ドライブマイカーをしっかり観た人でも油断しそうなくらい惹きつけられる自然のシーン、人と人のやり取りが魅力的。無になって観入ってしまう。ていうか無になって観入りたいシーンばかりなのよ。
あと、音楽。これはもう一回観たらあのラストへのヒントになるのかもしれないな。
妙に私が目で感じるものとアンマッチな音楽が流れる事がありそれが妙にゾクゾクさせた。

ただね、でも、無の状態で一旦そのまま脳に焼き付けて後で考察・解説ブログを読んだ方が素直に楽しめるのかなあ。とも思った。でもそれって映画の楽しみ方としては上級者なのではないかな、と。
みんながみんなそう空気を読み取って映画を楽しむ事を良しとはしてないよな。

同僚のA君も連休中鑑賞していて、しばし仕事のアイドリングしながら、あーでもないこーでもないとこの作品について討論した。結局分かんないんだけど。
ただ、ドライブマイカーが大きな賞獲って注目された割には上映館が偏ってるよねって着地点には行き着いた。


終盤、ラストなんかは意識高い系に向けて作ったのかなーって思った。
もうちょっと観客にさまざまな考えを持たせる場面があってもよかったのかも(あったと思うけど私はそこまで察することは出来なかった)
落下の解剖学やアフターサンのように「どう考えるかはあなた次第」と観客に委ねるラストは評価が高いし私も嫌いじゃない。
観終わった後の余韻の波が凄い。じわじわくる。スルメ映画だ。
でもどれも単に委ねているのではなく、考える選択肢が話が進むにつれ絞られていくとか、強い印象を与えるセリフやシーンがあって「こういうことではなかろうか」と所々観客に半ば強制的に考えさせる作りになっている、だけどこの作品はどちらかと言えば観客が自主的に考えるのを期待してラストを ぶん投げ ている感じがする。
まだドラゴンヘッドの最終巻の方が親切。

こうモヤモヤさせる事が制作の狙いならば、まんまと私は良い観客になっている訳ですが、大多数の日本人はターゲットになっていないのだろうと思う。
大きなお金落とさないしな。

映画界に精通した人たち、映画の楽しみ方の向こう側に行ってる人たちにはウケはいいんだろうな、賞とってるし。分からなくもないけど。
この映画を大絶賛する人とは映画の話はしたくないなあ
と上映が終わって皆無言で去っていく様を観て思った。


こんだけ書いといてあれだけど


私は巧に自分を照らし合わせながら観てた。自分の興味あること、子供のこと、どう距離をとった方がいいのか、どこまで子供の成長や変化に過敏になるべきなのか。
一方、高橋や薫の立場も身近に感じていた。丸投げ、スカスカのプレゼン、本音と建前。
決して多くない登場人物一人一人に同情や哀れみを感じる事ができるのは「悪は存在しない」からなのだろう。とうまいこと考えていた。
ていうかそこが濱口監督の素晴らしいところなんだろな。

悪は存在しなくとも、誰かにとっては悪でもあり、それは誰かって言ったら人間だけじゃなく鹿や木々や水であり、それがこの世のバランスであり均衡は取るべきもの。
あのラストもその結果だと漠然と考えるとちょっと腑に落ちた。

神々しさがあったよね。

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