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自己紹介のダイナミズム〜マルクス主義的資本論の論点から再考する~

この記事の文字数は20000字程度である。
社会的には平均並みの知能である諸君らに期待はしないが、
せいぜい1時間以内には理解できるように。

はじめに

 個人的な話にはなるのだが、2023年4月19日から今日にわたって、筆者は自己紹介の記事の投稿を計5回成功させた。

さて、「自己紹介」という言葉の定義について改めて考えてみると、一般的には自分自身について簡単に説明することを指す。新しい人や集団の前で自己紹介をすることが多く、自分自身について簡単に紹介したり、自分の背景や経験、趣味などについて話したりするだろう。自己紹介は、相手とのコミュニケーションを円滑に進めるためにも重要な役割を持つと考えられている。

また、職場やビジネスの場でも自己紹介は欠かせない。自分自身をプロフェッショナルな立場から紹介し、相手に自信と信頼を与えるため、自己紹介の仕方には注意が必要である。自己紹介をする際には、相手にとってわかりやすく、興味深く自分自身について語ることが大切だ。総じて、自己紹介は自分自身を紹介する行為であり、相手とのコミュニケーションを円滑に進めるため、また、信頼や印象を与えるために欠かせないものだ。

ここで、自己紹介は「自己」と「紹介」に分解することができる。
「紹介する(introduce)」という他動詞の対象が「自己(oneself)」という認識が一般的だろう。

更に分解すると、前者は以下のような語源がある。

introduceの語源は、「中に導く」です。

introduceは、「intro」と「duce」の2語から出来ています。

「intro」には「中に」、「duce」には「導く」という意味合いがあります。

1つの単語になることで、2語の意味が組み合わさり、introduceの語源は「中に導く」となります。

そして、中に導くことからintroduceの「導入する」という意味になります。

introduceの語源 | ちょげぶろぐ

「紹介する」intro-duceは、「中に」を表す接頭辞introと、「導く」を表す接尾辞duceが組み合わさって形成されている。

一般に、紹介する-introduce とは「紹介する主語」と「紹介される対象」、「紹介の聞き手」が存在しなければならない。
「中に導く」という語源の通り、紹介する-introduce とは紹介対象の内的情報に紹介の聞き手を誘導する性質がある
(つまり、情報のinputを助けるという性質である)。


また、後者の自己oneselfについては、以下の文献が有力である。

self 意味と語源

【英語】[名] 自分自身、自己、そのもの
◉ 語源解説
「自分自身(selbaz)」がこの単語のコアの語源。
古期英語 self(自分自身)⇒ ゲルマン祖語 selbaz(自分自身)⇒ 印欧語根 swe-(自分自身)が語源。
英語 suicide(自殺)と同じ語源をもつ。

self 意味と語源 – 語源英和辞典

余談だが、就活を行った読者の方なら聞き馴染みがあるかも知れないが、「他己紹介」という言葉もある。
「他己」という言葉の定義は、「他者が自分に対して」というものだろう。その主語は他者であり、対象・聞き手は自己である。
つまり、他己紹介とは「他者によって、自身が紹介される∧(かつ)自身が紹介を聞く」という命題と必要十分性を満たすのである。


ところで、自己紹介(ないしは他己紹介)を分析するに当たって、①目的と②生ずる効果、③手段、④主語(紹介の語り手)、⑤対象(紹介される客体)、⑥聞き手 の6つの観点から調査した。


自己紹介の目的論

 さて、自己紹介の目的について考える前に、「目的」という言葉の定義から考えてみよう。
 

目的(読み)もくてき(英語表記)telos ギリシア語

手段との相関概念で、広くは事象一般、狭くは人間の行動がそれへの到達またはその実現のために向かうことを予定される目当て、目標、理想をいう。手段と目的の相関性は、たとえば健康は幸福という目的の手段であるが、さらに適当な運動、睡眠、節制などは健康を目的としてその手段となる、ということで説明される。あらゆるものがその手段となり、それ自体はもはや他のものの手段とならない目的は究極目的だが、その可能性や存在は古来の形而上(けいじじょう)学の課題である。目的の最初の詳細な哲学的探究はアリストテレスにみられる。彼は運動し変化する感覚的事物の原因に、質料因、形相因、始動因、目的因の4原因を分類した。目的概念が哲学で問題になるのは事象の解明で前述の目的因を重視する目的論との関係においてであり、それには、自然が目的を志向して動くとみて無目的な機械的自然観と対立する立場と、行動の義務、評価を目的のよさに帰着させる見地とが考えられる。

目的(もくてき)とは? 意味や使い方 - コトバンク

目的とは手段との相関概念である。手段なきところに目的はなく、それ自身が手段とならない目的を究極目的とする。

アリストテレスは、哲学者として目的論(テレオロジー)の考え方を展開し、目的についての定義を以下のように提唱した。

「何かのものの目的とは、そのものをもたらす原因中最も高位のもの、まさにそれがそのものの最終的な理由であるもの。」

つまり、アリストテレスによれば、何かの目的とは、そのものが持つ性質や機能に従って、最も高位の原因に由来するものであり、そのものが最終的に目指すべきものとされるのだ。例えば、人間の目的は幸福であるとされ、それは人間が最も追求すべきものであり、その幸福を実現するための手段を考えることが大切だとアリストテレスは説いたとされている。

つまり、アリストテレスは、目的が何であるかを明確にすることが大切であり、それは何かがもたらす影響や結果といったものよりも、それが何かの中で最も高位のものであることが重要であると考えた。

ここで、自己紹介に戻ってみよう。自己紹介は、存在論における自己の現存を表明する行為であり、また、自己のアイデンティティを示すための手段でもある。アリストテレスの言葉を借りるならば、人間は社会的動物であるため、自己紹介は自己表現の一つであり、他者との関係性を築く上で重要な行為であると言えるのだ。

そこで自己紹介が示す意味や重要性を考える上で、プラトンの「美徳論」という哲学的な立場に目を向けると、自己紹介によって人は自らの美徳を表現し、他者との間に信頼や共感を生むことができるとされた。我々の持っている「善のイデア」が自己紹介に投影され、その概念を相互的に理解することにより、信頼関係を深めることができるのである。つまり、自己紹介は自分自身を他人に伝えることであり、同時に自分自身を成長させることができるということである。

また、アリストテレスによれば、あらゆる動詞はキネーシス的な動作・エネルゲイア的な動作の2つに区別することができる。

「キネーシス(Kinesis)」の定義とは、物体や生物が自己の内在する原理に従って、空間のある方向に位置を変えていくことだ。つまり、キネーシスは、物体や生物が空間上で動くことを指している。アリストテレスは物理学や哲学の分野で広く知られており、彼の自然哲学において、「形質」と「運動」は物体や生物の本質を構成すると考えられている。そして、その運動を表す言葉としてキネーシスが用いられている。彼の定義によると、キネーシスに必要なのは、動くもの(物体や生物)、動く場所(空間)、そして動く力(内在する原理)とされ、これらを組み合わせることで、運動や変化が生じるのだ。このキネーシスの概念は、自然哲学や科学だけでなく、人間の行動や思考、社会の変革などにも応用されることがある。例えば、社会の変革を起こすためには、個人や集団が自己の内在する原理に従って、変革に向かって運動する必要がある、といった考え方があるのである。

対して、「エネルゲイア」の概念は、哲学的にはあるものがその存在において完全な状態に達した状態、そして科学的にはある物体が活動している状態を指す言葉だ。アリストテレスの哲学において、エネルゲイアはポテンシャルと対比される。ポテンシャルとは潜在能力や可能性を指す言葉であり、エネルゲイアとはそのポテンシャルが実現された状態を指す。例えば、種子がポテンシャルであり、成長した植物がエネルゲイアだ。アリストテレスがこの概念を用いた背景には、彼の哲学において「存在の原理」が重要な位置を占めることが関係しています。エネルゲイアとは、物体や存在が自らの完全な状態を追求し、全力を尽くして活動する状態を意味するため、存在の原理に従って全力を尽くすことが、物体や存在の目的に相当すると考えられているのだ。特定の未来の完了に対する手段・過程ではなく、「いま・この瞬間に動作していて、かつ目的を達成している」動作を指す。

例えば、「建築する」という動作は建造物の完成という目標に向かうキネーシス的動作であるし、「見る」という動作はその瞬間に目的を達成しつつ継続することが出来るエネルゲイア的動作である。エネルゲイア動作の方が主体の最高目的に近いとされる。

さて、こうした定義に当てはめてみると、自己紹介とはキネーシス、エネルゲイアのどちらであろうか?
結論から言ってしまえば、往々にしてキネーシス動作に該当する。なぜなら、自己紹介を行うタイミングとは主に初対面の人間と出会ったタイミングにおいて、「互いの情報を交換する」という目的があるからである。また、自己紹介を継続することはできない。何故なら、景色を眺めていると美しいと感じ、散歩をしていると気晴らしになる一方で、自己紹介を行うことそれ自体によって気持ちが満たされるという事はほとんどないからである。

しかし、筆者はこうしたキネーシスの呪縛ともいえる目的論的な自己紹介の世界を脱し、エネルゲイア的な自己紹介を行うことを可能とした。それが、現在継続している自己紹介の記事の連続投稿である。
これは「自己紹介を擦り続けることが面白い」という軽薄かつ軽率な道化意識では断じてなく、崇高なるアリストテレス哲学に基づいた思考実験なのである。

エネルゲイア的な自己紹介とは、自己を紹介することそれ自体を最高目的とする。紹介の対象はさまざまで、この記事で言えばnoteの読者諸君がそれにあたるだろう。「なぜキネーシス的自己紹介を抜け出さなければならないのか?」という問いに対しては、以下のように答えることが出来る:
現代社会はキネーシス的な圧力が高まっており、全ての動作が「時間・金銭・労力対パフォーマンス」という効率の中で考えさせられるように設計されている。あらゆる動作が手段的になっており、いかに効率的になれるかという文脈で語られるようになっている。こうした、「効率への同化」という洗脳社会を脱し、ある種の「意志力」を持つ。そうシュミレートしてみると、最高目的entelecheiaに自己を高めることが出来るのである。


自己の最大の敵は社会である

こうした自己の最大の敵は、資本主義社会である。「金を稼いだものが勝ち」という圧力によって創造性の翼を破壊する、邪悪な権威に我々は屈してはならない。
我々は無限の可能性を秘めている。自己の内面に向けた無限大の探求を行い、自身や世界観の価値を高める存在である。こうした無限の可能性を打ち砕く邪悪なる資本主義システムは、もはや時代に求められていないのである!

資本主義は、資本家に力を与え、一部の人々の富を増やすために搾取された大多数の労働者を貧しくしているシステムである。このシステムは人間の利益よりも、利益率と金儲けを追求する企業の欲望に中心を置いている。格差、ここに極まれり。人間本来の生物的な欲求を抑圧する、手段と目的が逆転したシステムなのである!

多くの資本主義者は、人間が自由であること、すべての人が同じように扱われるべきであるというイデオロギーを唱えるが、実際には、このシステムは貧困・不平等を助長しており、社会の根本的な不平等を生み出している。このようなバグを、我々は断じて許してはならない!

また、資本主義は、競争原理を原動力として成長してきた。しかし、この競争原理は、企業の規模拡大・力の集中を招き、経済的な自由競争を破壊している。その結果、市場は寡占化され、大企業は市場の支配者となり、人々は個々の選択肢を制限されるようになっている。さらに、資本主義の経済成長と利益は、必ずしも社会全体の福祉につながるわけではない。実際、環境、社会的問題、エネルギー危機といった、資本主義が引き起こす多くの課題が存在している。これらの問題に対処し、社会全体の利益を優先するためには、資本主義のシステム自体を破壊しなければならない!

資本主義が維持される限り、社会的不平等、環境の悪化、経済リスクの増加などの問題が暴露され続ける。我々はこれらの問題を解決するために、新しいシステムを創造し、革命によって社会を再生しなければならない!


さあ、プロレタリアート同志諸君、我々のターンが回ってきた。今や自らの地位や財産に執着する、哀れな資本家と我々労働者のパワーバランスを転覆させる時だ。ドラスティックな改革のフェーズはとうに過ぎ、今や革命によってのみ結果がコミットする!ソビエトロシアでは、自己紹介が資本主義に優先する!


結論

我々は資本主義、そして競争への渇望を煽る社会に対して、反旗を翻さなければならない。幼少期より刷り込まれた「金を稼いだ人間が正義である」という洗脳を解かなければならない。金を稼ぐことが人生の目的となった価値観にハックされた自己から、メタ=キャピタリズムの世界へと解脱しなければならない!





そのためにもまず、スーパーでもやしを買うのだ。


値段に対し栄養価が高く味も良いもやしの購入は、資本主義の邪悪なる血管にメスを入れる。
資本主義への最大の破壊的抵抗は、節約である。このドラスティックな購買活動は前代未聞であり、ブルジョアも今頃阿鼻叫喚の様相を呈しているだろう。このパラダイムシフトにより、もやしは資本主義を崩壊させるのだ!

もやしは、非常に低カロリーな食材の1つだ。約100gあたりわずか13~14カロリーしか含まれていない。

反面、栄養価は豊富で、ビタミンC、ビタミンK、カリウム、マグネシウム、鉄、リンなどが含まれている。特にビタミンCは、人間が生成できない必須栄養素であり、免疫機能を強化し、風邪やインフルエンザの症状を軽減する効果が期待できる。また、食物繊維も含まれており、腸内環境の改善や便秘の解消に役立つであろう。

手軽に調理できるのも魅力である。火を通す必要がなく、サラダなど生食できるほか、炒め物・鍋物・お好み焼き・ラーメン・餃子など、多くの料理に使用することができるのだ。また、スムージーやジュースなどに加えることができるため、バランスの良い食生活にも取り入れることができるのである。

最後にして最大の魅力が、安さである。種から栽培するためのスペースと時間が必要ないため、野菜が高騰することがあっても、もやしはリーズナブルな価格で購入できる。

以上のように、もやしは低カロリー、栄養価が高く、手軽に調理でき、リーズナブルな価格帯で入手することができる点が魅力だ。これは資本主義システムに現れた一種のバグであり、我々が既得権益を破壊する突破口となるのである。ここにおいて、もやしはメタ=キャピタリズムのエッセンシャルアイテムと再定義(オーバーロード)することができ、我々は最大限活用しなければならない!

同志諸君よ!立ち上がれ!革命の時だ!
これまで権力や同調圧力に屈し、自身の創造性を阻まれてきた我々は、「新世界」へのシフトを行わなければならない。
もやしこそが破壊の象徴であり、全ての価値の究極目的となるのだ!


時期は満ちた!スーパーへ行くときだ!
八百屋ならば50円以下、まいばすけっとなら30円、業務スーパーなら20円ほどで購入することができる!
これは「日本円通貨」から「仮想通貨もやしコイン」への一種の跳躍であり、未だ誰も気づいていない投資なのである!
紙幣という抽象的な貨幣による支配は終焉を迎え、食という利用価値がある(そしてコストパフォーマンスが高い)もやし通貨こそが資本主義を崩壊させるのだ!


自己紹介なんてどうでもいい!
自己の内面(意識=クオリア)という、直接的には原理的に観測不可能なものと向き合ってないで、もやしを買え!
物理的な肉体こそが我々に残された価値である!もやしを買え!

もやしを買え!


もやしを買え!


もやしを買え!


もやしを買え!


もやしを買え!


加藤純一最強!


もやしを買え!


もやしを買え!


もやしを買え!


もやしを買え!


もやしを買え!





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