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ちあきなおみ~歌姫伝説~10 伝説への道程をゆく

 一九七二年十二月三一日
「一九七二年度、日本レコード大賞は、全国の目はこちらに向いておりますね・・・・。 『喝采』を歌いました、ちあきなおみさん!」
 番組司会者である高橋圭三アナウンサーの音声が高らかに鳴り響く。
 日本の歌謡ファンが、ちあきなおみの姿をドラマチックに胸に刻んだのは、やはりこの日だったのだ。

 この年の賞レースの大本命は、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」(作詞・山上路夫 作曲・平尾
昌晃)が最有力候補であり、レコード購買数や、プロダクション、レコード会社の組織力においても他の追随を許さぬ勢いを誇っていた。
 だが、「喝采」は巨大権力に対してクロスカウンターパンチを繰り出したかの如く、最後の土壇場で奇跡の逆転劇を演じたのである。
 「喝采」の勝利は大衆の中で、燃え尽きてしまった季節への郷愁と、そこから離脱していこうとする、魂の断末魔の叫びであったのかもしれない。
 歌の内容において「瀬戸の花嫁」を明とするならば、「喝采」は暗に能うであろう。この
日、帝国劇場から生中継された明暗反転ドラマは、その切実たる歌唱と相まって、ちあきなおみを等身大からより一層フィクション化し、伝説のはじまりへの萌芽を見せていたのである。

 ブラウン管に映し出される光景を目で追っていた当時五歳の私は、このような物語などいざ知らず、「喝采」を歌いながら、透きとおった頬に伝うちあきなおみの涙が、ただ、その調べとともに心の奥に染み入ってくるのを感じていた。
 子供ゆえに、悲しみというものに確たる観念はなくとも、どこかで、はじめてそのような感情が胸に押し寄せてくるのがわかったのだ。
 なぜ、この「わたし」という女の人は泣いているのだろう。なぜ、泣くまいとしながらも涙がこぼれているのだろう。
 それでも、歌わなければいけない・・・・と、消え入りそうな声で奏でられる歌は、今も囁くように、忍び泣くように、私の耳の底にいつまでも尽きることなく響いているのだ。
 あの涙は、嬉し泣きや感動の涙ではない。
「それでもわたしは 今日も恋の歌うたってる」
 歌の最後、歌詞の中の歌手は、「アナタ」への想いを胸に歌いつづける。

 あの日、私が夢見たのは、この歌手と歌の中で溶け合い、悲しみによって一体となることへの憧憬だったのだろうか。

 そこで、私は「わたし」に導かれるようにして、幼い日に聴いた涙の「喝采」の旋律を手掛かりに、その人「ちあきなおみ」が歩いた一筋の途をさすらってみたいのである。
               つづく

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