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夢現Re:入院生活

いつだって、
  わたし達は、手を伸ばしています。
    ―――あの星空に。



帝都と、実家のある街はずいぶん違います。
都会と田舎。
ひとことで言ってしまうなら、そういうことかもしれませんけども。目に映る景色の色が違う。耳に入る音の数が違う。ひとの多さが違う。車の多さが違う。夜の明るさが違う。同じところを探すほうが難しくて。
でも。
そんな帝都に出てきて、そろそろ一年。三月。春の近づく、冬の終わり。
去年の秋に『ニエ魔女』が出て。
年の瀬にあった冬のコミマ、企業ブースへの出展のドタバタも、なんとか乗り切り(ユリイカソフトの初出展だったそうです)(といっても、わが社単体ではなく、ほのかさんのお知り合いのゲーム会社さんとの共同出展で)(AD、雑用係のわたしは目が回るほどの忙しさ)
……ふり返れば、心休まる日なんてなかったように思います。
帝都と実家。
そう、まるで流れる時間の速ささえも違うような、そんな気もして。
そろそろ一年が経とうとしているのに。
帝都に慣れた、なんてとても言えず。
冬の終わり。三月のはじめ。―――わたしは折れました。
あ、心が、じゃありません。
すみません。

骨が。

ぽっきり(というほど大げさなものではなかったですが)骨折です。右脚。全治は3ヶ月だそうです。
入院して、即手術。
そして、十四日間、骨がくっつくまでの二週間は病院で安静にしてないといけないそうです。
それでも早いほうと言われました。若いおかげだと。退院は半月後、ユリイカでは差し迫った仕事のない時期で……いえ、『ニエ魔女』の次回作に向けて動きだしてはいるんですが、一応。
入院した病院は「白合ヶ浜総合病院」。立派な、大きな病院です。
ほのかさんのはからいで、個室に入らせてもらいました。……田舎出身の冴えないADには、ちょっぴり贅沢? でも、人見知りの塊であるわたしにはありがたかったです。
大部屋の病室には、ヌシのような、むしろ殺しても死ななさそうな高齢の患者さんがいる、とも聞きますし(ななさん情報です)
個室でよかった。そう思いました。
最初は。ええ、入院生活の最初だけは。思いました、はい。

…………はい。

わたしは、個室に入ったことを後悔していました。

入院生活三日目。手術の二日後。
当然、わたしはまだベッドに寝たきりです。手術をした足は、ギプスでがっちり固められて、動かないように吊られています。痛々しいです。でも昼食のときに、痛み止めの薬を飲んでるからでしょうか。さほど、痛みはありません。今は、昼下がりの午後三時。
半分ほど開けられたカーテンからは、晴天が見えます。
散歩日和。ばな子さんを連れて歩いたら、きっと心地いいだろうな、と思えます。
春の訪れを感じさせる、あたたかな日差しです。

「で? 大鳥あい、誰にとってもらいたいの、おしっこ」

ほんのわずかな時間、現実逃避していたわたしの意識は、その一言で引き戻されました。
言葉を発したのは、さきさんです。部屋には、こころ、ななさん、マリーさんもいます。『ニエ魔女』チームが勢ぞろいで、お見舞いに来てくれています。ありがたいです。…………はい。
さきさん、手に”しびん”を持っています。しびん。ピンクのパステルカラーでできた、見ようによっては花瓶にも見える、愛らしい造形の、そんな容器です。漢字で書くと……〝尿瓶〟です。
残念ながら、入れるものは花ではなく、……その……尿、です。
……誰の?
残念ながら、わたしの。
現実逃避とともに、短い時間、忘れていた感覚も戻ってきました。生理的欲求。自然な体の反応。お昼ごはんの後ですから。おかしなことじゃありません。恥ずかしがることじゃありません。
ええ、そうです。
そうは言っても。

「なにを迷っているの! この! 無限堂! さきが! あなたのシモの面倒を見てやろうと言っているのよ、不満があるわけがないわよね、いっそ末代まで誇っていいわ! はい、決定!」

ちっちゃな体で、どーんと胸を張って、さきさん。でも、そこに。

「いいえ、待ってください、サキ」
「そうっすそうっす、さっちゃん横暴っす!」
「そうだよ、くそらいたー!」

勢ぞろいして、お見舞いに来てくれたみなさんが、誰がわたしの、その、生理現象のお世話をするかで揉めています。なんでこんなことに。

(……もう一回、現実逃避しちゃダメかな……)

したい、すごくしたい。
でも、そんな余裕はなさそうです。状況的にもわたしの身体的にも。
というか。

「お嬢様のお世話をするのは、メイドの役割! なながするっす、なながあいぽんの可憐なピーに尿瓶をあてがって、うやうやしく、ピーを処理させてもらうっす!」

ぴー、と、ななさん自分の口で言いながら主張。

「それに、あいぽんの骨折はななのせいっすし……お世話当然っす」
「ならば、私も譲れませんね。今、ここで、アイに奉仕をする、それはアイに重い負傷をさせてしまった、私の義務、いえ、責務です。誰かに譲ることはマーラー家の誇りにかけて認められません」

揺るぎない声で言ったのはマリーさん。
凛と背筋を伸ばし、さきさんとななさんをまっすぐに見て、力強く宣言するその姿は、見惚れてしまうほどです。
話が、わたしの……その、生理現象とかじゃなければ。

「ふっ、いい目ね、マリー・マーラー。でも、これは渡せないわよ!」

さきさんは金塊かなにかのように抱えて言います。
尿瓶を。
……尿瓶です、それは。

「なんで、さきさんが持ってるの。こっちに渡してください」

鋭く、固い声で割り込んだのは、こころでした。
わたしの妹。大切な妹。
まだちょっと(?)わたしに冷たいですけど、帝都に来てすぐの頃に比べると、ずいぶん柔らかくもなっていて。

「あい――……大鳥さんのケガは、あたしが原因ですから。責任をとるのは当たり前です。シモの世話はあたしが。尿瓶をください、さきさん。なんなら力づくでも」
「ふっ、面白い! かかってきなさい、受けて立つわよ」
「ななもー、ななも混ざるっす♪」
「本気の戦闘なら私が負けるわけがありませんが、安心してください、軍用格闘術は使いません」
「あたしがとる! 妹なんだから、権利だって一番に……」

ばっちばちです。一触即発です(ななさんは、この状況を楽しんでるだけにも見えますが)わたしを挟んで、四人が言い争い、わたしの取り合いをしています。
正確には…………わたしの、その、………………………………尿を。

(うああああああああああああ)

ベッドの上で。
身動きのとれないわたしは、胸のうちで呻き声を上げ、見ていることしかできません。

「わたしよ!」「ななっす!」「私です!」「あたしだもん!」

誰ひとり退く様子はなく、今にも乱闘がはじまりそうな、はじまってもおかしくなさそうな、そんな様子です。

頭の中を占めるのは『なんでこんなことに』という思い。

……いえ。
”なんで”なんてわたしはよく、知っているんですけども。
わかりすぎるくらいに。

頭の中を占めるのは『でもそれにしたって』という思い。

そう、ことの起こりは――。
あれは、わたしが入院をすることになった、三日前。その日のちょうど今くらい、お昼のこと。わたしは用事で外に出ていて、ユリイカに戻ってきたときのことでした。

――だから、とっとと行ってきてって言ってるでしょうが!
――自分で行けばいいじゃないですか!
――頭が回りはじめたライターに余計なことさせないで。使えないわね。
――あ、あたしは、さきさんの小間使いじゃないですから!
――ディレクターは、ライターの言うことを聞いてればいいのよ!
――ふつう逆ですよね、それ!

名物と言えば名物、日常と言えば日常になっている、ユリイカの『ニエ魔女』チームのディレクターとライター、こころとさきさんの言い争いでした。遠慮無用、手加減なし、の。
見慣れたとは言っても放っておけず、わたしが間に入って話を聞くと。

・さきさんが、こころにピザを買ってくるように言った。

・こころがそれを拒否した。

それだけのことのようでした。たった、それだけのことでした。
――わ、わかりました。わたしが買ってきますから。 
AD、雑用係であるわたしが言うと、それで場は収まりました。

さきさんとこころはややこしいです。外から戻ってきたばかりのわたしに、こころがちょっぴり(ほんのちょっぴり)申しわけなさそうに「ごめん、お願い」と言って。
大丈夫、と笑顔で首を振って、わたしは再び外へ。
その日、エレベーターが故障していて、使用不可で(『申しわけありません。マリー』と張り紙がしてありました)。
わたしは二階の会社から階段で、下りていきました。下りていくとななさんがユリイカの前にいるのが見えました。
その日、ななさんは朝から声のお仕事で、それが終わって出勤してきたところでした。ななさんもわたしに気づいて手を振りました。わたしも振り返そう、としたところで。ななさん、はっと顔を青ざめさせて。

――あっ、あいぽん、あいぽんの肩にバナナの霊が!
――え……?

わたし、きょとん。
そして。
転び(落ち)ました。
知らなかったです。骨って、案外、簡単に折れるものなんですね……。
ちなみに、ななさん、ホラーものの仕事だったそうです。なので思わず、とっさに出てしまったそうです。
つまり、ようするに。
ピザが食べたいと言いだしたさきさんと、わたしに押しつけるかたちになったこころと、エレベーターを故障させ(なにがあったのかは教えてくれませんでした)階段を使う原因を作ったマリーさんと、わたしを驚かしたななさん……それぞれに、わたしの骨折が自分のせいだと考えていて。
というか、むしろ。
『他のひとには譲れない!』みたいな、そんなノリで。
なぜ?
よくわかりませんけれど。
張り合っている、ようです。…………よく、わかりません。
わかりませんが。

「あい!」

こころがわたしを呼びます。ふだんは、大鳥さん、という冷たい名字呼びが多いこころですが。ちょっとずつ、昔みたいに名前で呼んでくれることも増えてきました(……嬉しい)

「な、なに、こころ」
「もー言ってやってよ! おしっこ取られるなら身内がいいって!」
「え、えー……」
「待ってください、ココロ。これは身内だからこそ、恥ずかしい、そういうものですよ。安心してください、アイ、私は衛生兵としての訓練も受けています。この場の誰よりうまく、遂行してみせますよ」
「やだやだ、なながやりたいっすー! お嬢様のおしっこ、ななのものっすなながほしいっすー! ほしいほしい!」

なんだか、ななさんの発言がとんでもないものにも聞こえます。

「黙れ、○○メイド。なに言ってるの、こういうのは大人、そうね、この場で一番年上の人間がやるべきだわ。そのほうが、恥じらいも感じにくいもの。つまり、わたししかいない!」

相も変わらず、誰ひとりとして譲ろうとしません。
これは。

「「「「じー」」」」

四人の視線が集まります。じっと。わたしに。ものすごい重圧です。
逃げたいです(動けない)
まっすぐな声で言ったのは、マリーさんでした。

「決めてください、アイ。私たちの誰にシモの世話をされたいですか?」

→こころに尿瓶をあててほしい
 ななに尿瓶をあててほしい
 さきに尿瓶をあててほしい
 マリーに尿瓶をあててほしい


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