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贈与論

 人間を「エコノミック・アニマル」に仕立てたのは、きわめて最近のわたしたち西洋の諸社会である。(中略)ホモ・エコノミクスとは、わたしたちがすでに通り過ぎた地点ではなく、わたしたちの前に控える地点なのだ。(中略)人間はじつに長いあいだホモ・エコノミクスなどではなかった。人間が機械になったのは、それも、計算機なぞという厄介なものを備えた機械になったのは、ごく最近のことなのだ。

第四章結論

二十世紀初頭、貨幣経済において人間同士の繋がりが希薄になっているという直観のもと、モースは『贈与論』を書いた(多分)
モースのオリジナリティーは、当時流行思想だった資本主義でも共産主義でもなく、アルカイックな社会に自らの原理をおいたところにある。

ニュージーランドの先住民族マオリ族の人々の考えでは、贈与交換のシステムは個人の意志に依拠するものではなく、品物に宿る霊〈ハウ〉が贈与に対する返礼を命ずるものである。
〈ハウ〉には他人に贈与されても元の所有者のところに戻りたがる傾向があり、受け取った者がお返しを怠ると災いが起こり、死を招くこともある。
マオリ族は呪術的なかたちで贈与に対し返礼を義務づけ、このようにしてポリネシアでは物流が生じ、富が循環していった。
未開部族の贈与経済に見られるのは、物の授受には霊的な存在を通じ人間関係が反映されるということである。

北米の先住民族の儀礼〈ポトラッチ〉はただの贈与ではなく、闘争的な贈与であり、ここでは富をより多く消費することが義務づけられ、闘いで多くを与え消費した者が名誉や権威を与えられることになる。
敵対関係において武器を捨て、交換関係をつくることが〈ポトラッチ〉の狙いであり、部族のあいだで敵対しあうと戦争に至るのが普通だが〈ポトラッチ〉はその代わりになる。
多くの人が犠牲になる戦争ではなく、富を消費することで決着をつける戦争によって、地位や権力をめぐる争いを解決する狙いがあるのだ。
このように、贈与によって戦争を回避する未開人たちに、モースは深い叡智を読み取った(『贈与論』は二つの世界大戦の間に書かれている)

われわれは友人に気持ちよく奢られたらいつか何かのタイミングで奢り返したいと思う。
ところが、今われわれが慣れている「資本主義社会の市場での交換」は利益を得るためのものであり、そこでは面倒くさい人間関係が遠ざけられている。
マリオ族は〈ハウ〉という霊的な存在を通し、人間関係が反映される贈与交換を築いた。
北米インディアンの〈ポトラッチ〉は贈与と返礼の儀礼で地位をめぐる人間関係を表現した。
このように、われわれの無意識にも未開社会の贈与交換の義務が深く結びつき、人間の社会的関係を形成しているのではないだろうか?
あらゆるものを商品化し、交換の対象にする資本主義が生み出した現代人は〈ホモ・エコノミクス=経済動物〉になったが、人のために何かを与えたり、人のために自分自身を提供したり、われわれが自分を必要としてくれる人のために働くとき純粋に喜びを感じるのは、まだ商品化されない心の領域として、無意識に贈与の原理がはたらいているからではないだろうか?
人間は経済的合理性にもとづき行動するものと想定し、人間の行動を全て獲得される利益に還元し、効用と利潤の最大化を追記する経済学と異なり、文化人類学は〈経済人間〉を批判する研究であり、モースは贈与の互酬システムに着目し、競争を最小限に、贈り物を授受する喜びを最大限にする逆張りの経済論を編成し、この研究は後にレヴィ=ストロースやバタイユに引き継がれた。

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