えずきながら婚活デートして学んだことの話。
久しぶりの友人と会ったら「今の彼と合わない所があって、自分には他にもっといい結婚相手がいると信じて別れるべきか悩む」と嘆いていて、「わかるーーー」と思いながら、急にある婚活デートの記憶がよみがえった。
そもそも私、婚活のデートに向かう前は、悲しいことに相手が誰であろうが毎度えずいてたんですよ。
頭では「メッセージで楽しいやりとりできた人と会えるんだし、たのしみ」なんて考えてるくせに、身体が馬鹿正直すぎる拒否反応を示すものでね…。
アプリや婚活パーティーで知り合って、一応お互いが多少なりとも好意を持ったからこそ生じる、後日のお出かけや食事。
それが恋してするデートじゃなくて、
無理に恋しようとするデートだから苦しかったんだろな。
そんなに嫌なら婚活するなよって話なんですが、
当時の私はそこ乗り切ってでもなんとか、オンリーワンな1人と結ばれたい一心だったというか
とにかく安定したかったんです…
その心の安定を手に入れたい一心で、武者修行のように婚活してたもんだから
まぁ、えずいてデート行く状況も生じました。
…で、大体このえずきは婚活相手に会いに出かける状況に対するイヤイヤだったので、実際に待ち合わせで相手と合流して以降は私それなりに落ち着くんです。
身体が人とコミュニケーションをとる方向に切り替わるから、気持ちも自然と「ここは楽しもう」になるような。
でもそれがね…
唯一できなかった相手がいまして。
会いに行く電車の中にとどまらず、合流してレストランに向かう途中、食事中、その後の周辺ウロウロ…
すべて(近くに相手いるのに)えずいた私。
やばすぎ。何この強敵。
先に結論書くと、この唯一のお方は、
私と超絶不一致の人でした。
行きたいと思う場所、2回目のデートプラン、LINEの頻度、電話の有無、
さらには仕事に対する価値観、職場の人への感情、親との距離感、
ついでに、飼いたいと思う犬の大きさまで。
ぜんぶぜんぶ
私はそれはいやと思うレベルで不一致な感じ。
……なんでそんな人とデートしようとしたのよ、行くのやめなかったのよ?て話ですよね。
まず性格や好みの不一致は、
婚活パーティーで知り合った人だったからアプリほど事前に把握できてなかった。
婚活パーティーはほぼ数分の勝負だから、ある意味お互いそれなりにコミュニケーション円滑にとれるタイプだとそこは好印象で終われちゃうんですね…(恐ろしや)
でも、そのカップリング後にまた会うかはLINEのやりとりで吟味できるし、
実際私はそのLINEの何日かで「この人は私と色々合わない」と気づいた。デートを中止にする方法めちゃくちゃ考えた。
それでもなぜか行くに至ったのは…
相手が(不動産の営業マンでめちゃ稼いでる見た目スマートな爽やか男だった)ものすごく絶妙な圧かけて私にNOと言わせない人だったんですよ…
私それなりに自分のハートの強さは自信あるのに。
完全に押されて、すでにえずきながらLINEしてたってのに、デート行くことになってしまった。
でまぁ…
結局、そのお食事デートで私の拒否反応が大爆発して、
お願いだから帰らせてケロ!!!!状態になり
・何の話を振られてもノリの悪い反応
・奢らせず、自分の分は払いますと強く主張
・じゃあこの後のお茶で払って♪と(定番のデート続行文句)言われても断固拒否
で、相手に「あんなに愛想よかったはずが何この豹変…」というショック顔と、こんなやつ彼女にできん…」というゲンナリ顔をさせて
どうにか食事だけで解散に漕ぎ着けたのでした。
これがね、、、
今でも私にとって苦い思い出。
えずきながらデートしたのも苦しすぎたし、
そんなデートになるの想定できたのに会ってしまった相手への申し訳なさも半端なく。
だって、彼は悪人だったわけじゃなくて
ただ私と超絶不一致なのに全力で攻めてこられただけですからね…
本当にすみませんでした。
おかげで学んだの。
結婚相手を探すのに、不一致ポイントは重要なんだって。
まず、不一致があること自体は仕方ない。
実際今、私と夫は不一致なところ(性格とか食の好みとか趣味とか)いっぱいある。
※夫とのデートも慣れるまでえずいてた。
ただ…
その不一致を「それはそれでどうぞ」ってうまく距離とれたり気にならなかったり、
何なら「正反対だから補い合える」って思えたら
それが結婚相手としてベスト、なんじゃないかなって。
私が最後までえずきを抑えられなかったこの人との超絶不一致は、
私にとって耐え難い不一致が多かった。
だからもう、デート中のすべてに拒否反応出る相手になっちゃったのでしょう。
冒頭の、今の彼が結婚相手としてベストなのか悩んでいた友人に、私から出した回答は
です。
不一致、それがあるのは当たり前。
その不一致が結婚してどうなりそうな不一致なのかが大事、なんだと。
えずきながらデートして、そんなことを学んだのでした。
とてもとても苦い記憶。
でもやっと感謝できるようになった思い出です。
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