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この子の性別はどちらに見えますか?

左の子供の性別はどちらに見えますか?

答えは僕です🥸

大学病院のカウンセリングで母は先生から「産まれてから自我が芽生えるまでの事を思い出してください」と言われ、改めて僕の言動を思い出す作業をした。おかげで僕が覚えていない事を母から聞く事ができた。

男の子の下着はー」で書いた様に、僕は長子でありがたい事にお古はなかった。4歳の僕は好んで男の子の格好をしていた。だれから教わったわけじゃなく、格好から遊びや性格もだった様だ。

母は「三つ子の魂百までとよくいったもん」と言っていた。

今、社会ではトランスジェンダーブームと呼ばれているらしい。誰かの影響を受け、不可逆の治療を受け、後悔する。日本でも僕が20代の頃後悔した友人もいた。後悔する人はゼロではないので否定しない。ただ、そこばかりがクローズアップされている事で、死ぬほど辛い人が「影響されているだけだよ」ともっと息苦しさを感じ、絶望を感じることになる事を知ってほしい。

辛いと思ってる人ほど、静かなのだ。

多分僕は性同一性障害の中でわかりやすい方だと思う。とてもスタンダードでシスから理解を得やすい。昭和の男女概念を持ち、男らしさや女らしさが何たるかが残る中で生きてきた。現在の自由な自分らしさを表現できる方達は、かえって気づかれにくくなっているのかも知れない、勘違いされているかもしれないと思った。

娘達にいつかはカミングアウトしなきゃならないと思いつつ、僕が僕自身を受け入れられていなかったり、偏見があったりして言えないでいる。こうして思い出して書いていく事。そして若いトランスの方々や、たくさんの考えに触れ、拘り強い男女の概念をほぐしていければと思っている。

その中で、ブームと呼ばれた中でもがいている若い当事者やまた、悲しいことに選択の違いで「本物か偽物か」と他人をジャッジする当事者も目に入る。

2005年以来SNSに戻ってきて最初のうちは「よい世の中になったなぁ」と思っていたが、それは表面上だとわかりとても悲しかった。

僕の自己中極まるnoteを見て「中年の性同一性障害者の一例」として、こんな事を思って生きてきたんだと知ってもらい、これはブームじゃないって事、物語ではない事、実は隣の人がそうかも知れないって事、ひとつでも何かを感じ取ってもらえたら嬉しい。



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