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後悔してないのではなく、やってよかったという事

XのDMの返信に「こぐまさんが手術した事を後悔していないのではなく、やってよかったと考えている事を感じているー」と書いてあり、改めて、確かにそうだと感じたので書いておく。

当時(19年前)受けれる手術を全て受けた。身体中切り刻んで出来た男性器は僕が想像していた以上の効果があった。

そこにある事の心理的な安心感だけではなく、痛い、気持ちいいという感覚がある事、排泄に問題がない事、セックスができる事。排泄以外に期待してなかった分、感覚があるという事で作った男性器でも自分の体だと思わせている。

昨年、検診がてら大学病院に診察に行くと、またとんでもない枚数の写真を撮られた。医師も最初の頃に手がけた術式を思い出しながら19年後の情報として保存する。これが後に受ける人のサンプルになればいいと思いながら、もう行かなくてもいいのにいくのだ。

その時、医師に上記の効果以外に性的に興奮するとある状態になり、終わったらトイレに行かないと後がめんどうだと話すと、尿道に使った部分がそうさせる事を教えてもらった。医師も男性の生理現象の話をまじえ冗談をいいながら「リアルだなぁ」と。一体偽物とはなんなんだろうと思ってしまう。

僕にとって男性器が偽物でもあるのとないとでは世界が違うのだ。替えのきかない、僕のアイデンティティ。

見た目はコンプレックス(新しいコンプレックス)ではあるが、あの嫌悪感はもうない。

どんな言葉を投げかけられても(今の思い)、大きな声で伝えたい事は受けてよかったー!ということ。

このおかげで僕は自分の人生を生きてる。


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