人に伝えるということ

言葉とは、人類が生み出した最も価値あるもののひとつだと私は思う。

最近娘がイヤイヤ期に突入した。
なにか彼女なりにやりたいことがあり、
思うようにはいかなくて歯がゆいらしい。
一生懸命汲み取りたいと思いつつも、彼女の感情表現方法は常に二択。

いやだ!と叫ぶ
母親を叩いて泣く

それだと、思い通りではない、という事実は伝わるけれど、肝心の
じゃあ、何がしたいの?は伝わらない。
うまく言えないって、すごく苦しいだろうなぁと思いながら、ぼーっと見守るだけの、
彼女的には『使えない母親』がここにいる。

そして、残念ながら私も人のことは言えない。
たとえば目の前に壮大な景色が広がっていて、
心の奥底から渦巻く感動が沸き起こっているのに、
『すごいなぁ』
というチープな言葉しか呟けない自分に絶望する。

喜び、哀しみ、高揚、虚無、
生きている限り何かしらの感情が伴うもので、
時にその瞬間を鮮やかに切り取って、人と分かち合うことができたらと思うのに。
なのに、うまく表現できない。

言葉を自在に操れないということは、
子供に限らず、伝わらないもどかしさを感じるものだなぁと
しばしば思い知らされる。

最近最も感動したのは、故内田裕也さんに対して娘の也哉子さんが贈った謝辞である。
※以下URL引用
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.nikkansports.com/m/entertainment/news/amp/201904030000506.html%3Fusqp%3Dmq331AQQCAEoAZgBpdepxtfN_ayvAQ%253D%253D

親が亡くなった時にこんな言葉を紡げる人間であれたなら、
それはもう子育て大成功でしかない。
人の命の重さ、故人が生きた軌跡、それを引き継ぐ自分の命、
誰もが経験することなのに、それを紡ぐことは如何に難しいことか。

娘もいつか、彼女なりに満足できる鮮度で
瞬間を切り取り表現できる人となってくれたらと思う。
そのためにもまず自分が、言葉をさぼらない人間でありたいと思う。

#イヤイヤ期
#也哉子さん謝辞
#子育て

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