藤崎と仙台三越。地方デパートの光と影。


今夜は大雪。相方はキムチ鍋を作ってくれた。キムチは藤崎で買ったそうだ。完全無添加だ。



三越のデパ地下にもキムチを売る店があるが、ありとあらゆる添加物が入っている。私はたまにあれをわざと手に取って、そこに貼ってある表示でキサンタンガムだの化学調味料だのが延々と羅列されているのを確認して「ふん」と声に出して放り出す。わざと店員のいる前で放り出す。要するに「三越と称するならまともな品をおけ」という意味なんだが、あの店の店員はチマチョゴリの偽物を被ったそんじょそこらの田舎の馬鹿なねーちゃんだから、まったく効果は無い。



一方藤崎は妥協しない。ちゃんと韓国人経営の店を入れ、しかも一切無添加の本物を置く。こういう本物を私は放り投げたりしない。丁重に扱い、きちんとした値段を払って買う。まともな品は丁重に扱い、偽物は放り出す。それぞれにふさわしい扱いをするのが、本当に価値が分かる人間だ。添加物全部てんこ盛りのキムチとまっとうなキムチを、私は同等には扱わない。売り物をこれ見よがしに放り投げられたら、何故そうされたのか考えたら良いのだが、どうせその辺のバイトでしか無い三越のねーちゃんはそういうことは分からない。



今や藤崎と三越は、仙台におけるデパートの成功例と失敗例の典型になってしまった。藤崎は同族経営だ。創業者一族が今でも経営をやっている。独立資本だから、その創業者の価値観、商売に対する姿勢や熱意がストレートに日々の商売に繁栄される。



一方仙台三越は、昔は「仙台でもお三越に行けるザーマス」だった。店長と言ったってどうせ転勤族だ。もともと自主性なんかほとんど無かった。



仙台三越で何たらフェアをやるときは、「東京より必ず安物を揃える」という鉄則があるそうだ。東京の本店でやるなら本気を出すが、どうせ仙台でやったってそんな本物揃えて高い値段付けても売れないから、見た目はフェアでも実は安物を揃える。その方が売れるというわけだ。



三越だった頃からこの調子だったのだが、伊勢丹に吸収されて、仙台三越は伊勢丹資本の三越の更に支店になった。つまり仙台三越は三越グループどころかその上の伊勢丹の意向を伺うという事になった。なるほど伊勢丹グループになってからチーズ売り場やショコラ売り場が出来た。あれは新宿伊勢丹のコピーだ。しかしコピーであって、創造性、独創性、自らの創意工夫は、欠片も無い。



仙台三越のワイン売り場に行くと、やまやで1200円ぐらいのワインを2500円前後で売っている。悪いが三越でワインを買うほどの人間は、ワインの価値が分かっている。こりゃやまやなら1200円だなと思うワインをわざわざ三越で2千円以上出して買わない。三越が本当に良いワインを仙台で売りたければ、バイヤーが世界を飛び回ってやまやでは絶対入手出来ない逸品を仕入れ、1万でも2万でも値をつけて売れば良い。やまやと同じようなワインを揃えてお三越値段で御座いますなんぞと言ったって、そこそこワインが分かる客は鼻でせせら笑う。



地方のデパ―トは軒並み不振で、潰れるところが多い。それは何故かと言えば、デパートのくせにスーパーやなんちゃってモールの真似をしようとするからだ。スーパーは庶民が日常品、日常の食品を買うところ。お安いのが一番。質は二の次。モールは庶民がちょっと週末に気分を変えていくところ。毎日のスーパーのお値段より若干高くても、お洒落な雰囲気を味わいに行くのだから、スーパーと同じものが100円ぐらい高くても売れる。しかしデパートがそれと競合しようというのはナンセンス。



デパートは貧乏人なんか相手をしなくて良い。デパートは金を出して本当に善いものを求める客を相手にする。藤崎はまさにそれを貫いて成功している。仙台だって金出してもいいから本物を買いたい客はいる。無論少数だが、仙台市民100万人の中に藤崎と三越、二つのデパートが商売出来るぐらいはそういう客がいる。デパートはそういう客だけ相手にすれば良いのであって、そのためには傑出した人間を選抜して創意工夫させ、金を惜しまない。値段は、いくら高くてもいい。仙台だから東京より安物で無いと売れないというのは、庶民の話だ。デパートは庶民の店じゃ無い。庶民はスーパーやモールに行けばよいのだ。デパートってのは地方都市であっても「本ものには金に糸目を付けない」客を相手にする。それが分かってるのが藤崎で、全然分かってないで沈没の一途をたどっているのが三越だ。

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