歴史に残るもの

いつぞや私がFacebookの鍼灸師のグループで、「鍼灸、学たるべし!」「伝統医学、学たるべし!」と大声を上げ、そのグループの管理者も含め多くの「著明な」「有名な」鍼灸師たちから憎しみ、怒り、蔑視、軽蔑の罵声を浴びたことがあった。高名な権威者を攻撃するな、鍼灸は経験が一番だ、研究なんか意味がない、市井の鍼灸師に研究なんか出来ない、研究しても無駄だ、etc, etc...


しかし一部の若手や中堅の鍼灸師が私の叫びを受け止め、市井の開業鍼灸師達が集まって自分たちの日常診療の中から研究テーマを選び、研究して、それがある専門誌に掲載受理されたそうだ。その中心になった人が、まさにそのグループで、岩崎の声に刺激されたと投稿してくれた。

本人達は自分たちの研究はAIを使った高度な研究なんかじゃないという。しかしAIが高度なのではない。大規模臨床研究で何万人も対象者を集めて、ルーペで覧なければ対照群との差が分からないようなグラフを作って「統計的に有意だ」というのが高度なんじゃない。臨床のプロが「こうなのではないか」と考えることを、きちんとした手順を踏んで科学的に「たしかにこうだ」と検証することが、高度なんだ。

正しいことを公言すると、必ず多くの人々から石が投げつけられる。悪口雑言の限りを言われる。しかしある人々は、「それは正しい」と理解してくれる。その人々がそこから何か一つ事を為せば、それは歴史の歯車を一つ前に進める。あの時、私に罵詈雑言、からかい、嘲りを投げつけたものは多く、陰でひそひそ言った連中は更に多かった。しかし今、こうして心ある若い人々が私の訴えを理解し、それを形にしてくれた。 一万言の罵詈雑言や嘲り、憎しみ、軽蔑を受けても、要するにそれは歴史に残らない。歴史に残るのは、伝統医学を一歩前に進めた彼らの名前と業績である。

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