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神の島でおじいに聞いた、沖縄地上戦の話。

こんにちは、キラです。

沖縄、久高島に行ってきました。

そこで偶然にお会いしたおじいの話。

神の島・久高島

ここは「琉球が誕生したとされるきっかけ、開闢の祖・アマミキヨが、天から舞い降りてきた」という伝説がある、通称「神の島」。

スピリチュアル的なアレが強い場所でもあるらしいです。


僕は全く知らなかったんだけど、ツレが行ってみたいというので同行したら、すごいことがたくさんありました。

「神に呼ばれた人しか上陸できず、行けない人はホントに行けない」そうで、誘われてスッと行った僕はある意味一番純粋に「呼ばれた」のかもしれません。

島のおじいと猫トーク

いろいろな出来事の中でも一番印象的だったのが、島のおじいから沖縄地上戦の話をお聴きできたこと。

といっても、しっかり計画してアポとって行ったわけでもなく。

港にたまたまいたおじいに話しかけたワケです。


おじいは猫に餌をあげてて、僕は「かわいいっすね〜」とか話しかけて、おじいは「あの猫とあの猫は親子」とか言って、「そなんすか〜色似てますね〜」って答える…ユルユルの世間話。

沖縄地上戦の生き証人

僕がそれとなしに「お父さんは島に住まわれて長いんですか?」と聞くと、ニヤッとしながら


「もう、95年いるね」とw

95年!!!!!!


なんと、沖縄地上戦を経験された生き証人でいらしたわけです。

第2次世界大戦中、米軍が上陸してきて地上戦にまでなったのは日本では沖縄のみ。

僕も祖父からは戦争の話をたくさん聞いていましたが(シベリア抑留、特攻隊志願の話など)、それ以上に希少なお話をお伺いできたわけです。


おじいのお名前は池間さん。

ググったらご著書や講演会も多数出てきて、久高島のインフラの基礎も作られた本物中の本物でした。

本当に凄い人だっただけに、最初の猫会話のユルさが後からジワりましたw俺が質問しなかったらたぶん猫の話で終わってたww

おじいに聞いた沖縄地上戦の話


以下、お聴きした話のダイジェスト。

・沖縄南部から1900人の兵隊が出たが、生き残ったのは自分含め3名だけだった

・そしてなぜかその3名全員が久高島出身だった

・自分は後方支援兵だから生き残った。優秀な人はみんな死んだ

・空襲がある数日前から、沖縄ではなぜかハブが一切出てこなかった

・島にアメリカ軍が上陸してきたとき、デカいわ、頭が赤や金だわ、装備はすごいわで「バケモノだ」と思った

・対してこちらは装備も体格も貧弱で、後方の自分たちは武器すら持たされず「こんな戦い勝てるはずがない」と最初から思っていた

・生き残るのに必死な日本人と違い、アメリカ人はほぼレジャー気分で、ビーチでタバコを吸って遊んでいる様が異様で恐ろしく映った

・最後は米兵から逃げるために5キロ離れた沖縄本島に仲間と泳いで渡った。足が痙攣するほど泳いだ

・沖縄本島へ非常食の米を持っていったが火がなくて、米とマッチを交換してもらうべく民家を訪ねた。するとそこのおばちゃんが「お米!」と喜んで飛び上がっていた(キラはこの話で泣いた)

・一緒に泳いで逃げた先輩が米兵の機銃掃射で、目の前で首を撃ち抜かれて「死んだ!」と思って残った仲間で手を合わせたけど生きてたw

・戦争が終わったころ自分は16〜7歳だった。生きるために船を自作し、久高島〜沖縄本島で人や木材や食材を運んだり、できることは何でもやった

・今は子どもが7人、孫が17人、ひ孫が20人いる(!)。たくさんいすぎて島の写真館では入り切らなかったw

孫多すぎやろwハッピーエンドなのが最高っすね。

驚いたのは、「○年の○月○日に○○があって…」とスラスラ言葉と数字が出てくること。

耳も言葉も達者でいらっしゃるし(離島のおじいはうちなーぐちが凄くて聞き取れないことも多いんですが、池間さんは標準語で話してくれました)、95歳とは全く思えないタフさ。

この時代を生き抜いた人たちのタフさ

今は亡くなった僕の祖父にも思っていたことですが
「やっぱり、この時代を生き延びてきた人は伊達じゃねえ」と。

同時に「俺ら甘えとったらいかん」とも。

まあ、我々の世代も僕の人生もいろいろあるし、この時代ならではの闘いももちろんありますけども。

さすがに「今日明日のご飯一膳が食べられない」とか「マッチ1本と食料を交換しなきゃ」とか「目の前で先輩が撃たれた」とかはやっぱり今はないわけですよ。

俺ら甘えとったらいかん。

ユルユルの猫の話から思いがけず、超希少かつ後世に残すべき戦争体験を聞かせていただき、「俺はこの人たちの後輩なんだ、気合入れて生きていかないかん」と背筋が伸びる体験でした。

「戦争はダメだね。」の重み

「戦争はダメだね。犠牲になるのはいつも優秀な若い人だから」

って言葉が、この方が言うと重すぎました。

「僕、今日聞いた話は一生忘れません。人にも伝えていきます」

と言って、握手してお別れしました。

おじいの姿を何度も思い出す

壮絶な時代でたくさんの人を亡くし、しかし自分は生かされ、それを伝える活動もやり抜き、島のためにも尽くし、たくさんの孫ひ孫に囲まれて、95年もの歳月をひとつの島で生きてきたおじいが、何を想って港と猫を眺めていたんだろうか…と、

あのときのおじいの姿を、僕も何度も思い出しています。


そんなわけで、今日は神の島でおじいに戦争の話をお聴きした、という内容でした。

それでは、今日はこのへんで!

明日も、よい人生とよい旅を!


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