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花の窟

岩壁の奥から古代の海の潮騒の音が聞こえる。


三重県の南部、熊野市に入ると海の香りに包まれる。この地方に旅するとき、必ず、吸い寄せられるように訪ねる場所がある。
国道42号線を南下し、鬼が城トンネルを抜けると左側に海が開ける。さらに進むとやがて、道路沿いに鎮座する花の窟神社に誘われる。当地には日本書紀による伝承が伝えられている。

日本最古の神社
花の窟神社は、日本最古と云われるだけあって、参道はあるものの本殿がない。古代にはそもそも神社というものがなかった。人々は自然を神として怖れ、敬い、大樹や巨岩に降臨する神々の姿を見た。森羅万象を司る神々が降臨すると信じた巨木や巨石を神として祀った行為が神社というものを生んだ。
その原初の形態を残しているのが花の窟神社なのだ。崇敬の対象は高さ約45mの巨大な岩壁である。ここに伊弉冉尊(イザナミの尊)が祀られている。
イザナミの尊は、夫である伊邪那岐尊(イザナギの尊)と共に、日本国土と多くの神々を生んだと神話は語る。


ご神体

本殿はなく、巨大な岩壁がご神体
入口の鳥居をくぐって参道を進む。通用門(参籠門)の先に、しめ縄が張られた鳥居状の屋根付きの門があり、それをくぐると聖地空間に入る。岩壁と樹木が結界を形成し、すっぽりと聖なる海に浸かるような気分になる。
正面の巨大な岸壁を見上げると、その上部に数本の綱が掛けられている。例年2月と10月に「お綱かけ神事」として、長さ170mほどの綱を大勢の人々によっていったん七里御浜の浜辺まで引いて架け替えられる。季節の花と扇を結んだ綱は神と人とが繋がるものとされ、とくに女性が参加すると安産になると伝えられる。これは祭神の伊弉冉尊(イザナミの尊)に関係する言い伝えである。


伊弉冉尊(イザナミの尊)の御陵


花のときに花をもって祭る
日本書紀によると「この神の魂を祭るには花のときに花をもって祭る」とあるのがその名の起源という。
イザナミの尊は難産の末に赤子を生む。その子が軻遇突智神(カグツチの神)である。そのときその子が火となって出生したために母は火傷を負って死亡した。
日本書紀は「一書に曰く」という表現で当時の古文献を複数引用している。
 
「一書(第五)にこういっている。伊弉冉尊が火の神を生むときに、からだを焼かれてお亡くなりになった。それで紀伊国の熊野の有馬村に葬った。土地の人がこの神をお祭りするには、花のときに花をもってお祭りし、鼓・笛・旗をもって歌舞してお祭りする」
(宇治谷 孟・著「日本書紀(上)全現代語訳」)

母神とその赤子の御陵
巨大な岩壁の下部の大きな窪みの前には玉砂利の中に祭壇が設置され、伊弉冉尊(イザナミの尊)が祀られている。その反対側にある高さ十数メートルの王子の窟と云われる岩には軻遇突智神(カグツチの神)が祭祀されている。
ここは母神とその赤子神の御陵なのだ。
 
これらの巨岩は地球がまだ混沌としていた頃に生成され、海の底で成長し、気の遠くなるほどの時間をかけながら、月の運行で塩水が引き、陸地となって海面上に現れて現在の姿になった。神々が岩に宿り始めた頃、神は人を造った。人には、火と水と陸が与えられ、農作物を作ることが可能になった。


軻遇突智神(カグツチの神)の御陵

岩壁の奥から古代の海の潮騒の音が聞こえる
 しばらく佇んでいると、その岩壁の奥から、膨大な時の壁を貫いて、寄せては返す古代の潮騒の音が聞こえてくる。 我を忘れてその音に聞き入っている・・・。
 
ふと我に返ると、現代の潮騒が壮大な岩壁に反射して聞こえて来ることに気づく。それは古代に生成された岩壁を通って現代に反射しているのだ。 波の音は絶え間なく繰り返し、無限に延びる時間軸にそって我々を未来へと運んでいく。
 
人間は海から生まれた。ここへなぜ何度も足を運ぶのか、この空間に入ると何故心が安らぐのか、その謎が今、やっと解けたような気がした。ここは海(産み)なる母の胎内空間のような聖地なのだ。ここは母の羊水で満たされているのだった。
ここへ何度も来たいと思うのは、体内の深奥にある自分の細胞が、人類発生の根源へと誘うからなのだろうか。そしてこの場所で、母なる海の胎内へ還ってきたという疑似体験をするのだ。
 そう、イザナミの神は、この大地と、大海原と、人類の母神なのだ。

参考文献;
宇治谷 孟・著「日本書紀(上)全現代語訳」・(株)講談社
「花の窟神社由緒書」花の窟神社・発行
熊野市史編纂委員会・編「熊野市史上巻」;熊野市・発行
「儀礼文化・第十九号」儀礼文化学会・発行

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