見出し画像

「のど自慢」はかつて特別な音楽番組だった

かつて、NHK「のど自慢」を毎週楽しみに見ていた。

しかし、今ではまったく見なくなった。今年4月にリニューアルされたからである。

一番の変更点は生バンドからカラオケ音声になったこと。

テレビ東京の「THEカラオケ★バトル」も見ていた時期はあった。

だが、すぐに飽きてしまった。大半の出場者が目指すのは採点マシンが出す100点で、聴き手を感動させることではなかったからだ。

無論、番組側は100点を出してくれることを出場者に期待し(採点システム自体、胡散臭さはあったが)、出場者もそれを目指す。
視聴者は画面に表示される採点バーを見て、難関ゲームをプレーヤーが攻略していくさまを鑑賞するように楽しむものなのだろうが、

そこに音楽の感動はあるのか?

と古臭い私などは思ってしまう。

体操競技ではあるまいし。ただ若い出場者の中には「92点より98点を出した方が視聴者を感動させられる!」と思っていた人もいるのかもしれない。

点数だけを見て一喜一憂する視聴者ならそうだろうが、事実はむしろ逆である。シャンソン歌手のペギー葉山や菅原洋一はたしか80点台の低さだった。
カラオケ的な歌唱から外れて、オリジナルな歌い方にこだわるほど点数が落ちる。マシンは個性や独自性を求めていないのである。

堀優衣さんや佐久間彩加さんは高い点数とオリジナリティの両方を追求していた稀有な歌い手だと思うが、大半の人はそうしようと思ってすらいない。だから見るのをやめてしまった。

「『のど自慢』を毎週見ている」と話したら失笑されたことがある。年寄り臭いと思われたのかもしれない。
一見「大人の学芸会」風なこの番組のどこにそんな魅力があったかというと、素人の歌い手と生バンドの絡みである。

素人が生バンドで歌う機会ってほとんどないのでは?
私はそこに「のど自慢」の(唯一の?)価値を感じていた。

音楽は生もの、というのが私の持論である。以前にもこのブログで書いたが、再現不可能なもの、一回性のものというのが私の認識。

おそらく大半の音楽オーディション番組はカラオケ音声ではないだろうか。
生バンドを手配するとなるとお金もかかるし、出場者が歌うすべての曲をバンドに覚えてもらわないといけない。
そんな大変なことを「のど自慢」のおじさんおばさんバンドは何十年も毎週やっていたのだ。これを職人芸と呼ばずにいられようか。

以前、プロ歌手の歌謡特番を見たらカラオケ音声だったのでびっくりしてしまった。
カラオケ音声って「伴奏」という位置付けだが、歌い手がそのテンポなり何なりに合わせることになるので、これではどっちが主でどっちが従かわからない。

「のど自慢」はカラオケ音声に変わってしまったせいで、テンポ感の弱い高齢者がBGMに取り残されるという悲劇が多数発生しているのではないか(最近見てないのでわからない)。
生バンドなら歌い出しが遅くてもちゃんと合わせてくれる。

駅でSuicaのチャージをしようとしてうまくいかない老人がいたとして、「どうしましたか?」と優しく声をかけるのが旧「のど自慢」なら、新「のど自慢」はまごまごしてる老人をほったらかして見てるだけ。

まるで晒しものである。これは見るに耐えない。

私はてっきりバンドの方が高齢になり、毎週地方を旅して回るのが体力的にしんどくなったので降りてしまったのだと思っていたが、これを読むと事情は違うようだ。

記事では予算削減が一番の理由と結論づけているが、

「音楽の多様化が進み、バンド編成の生演奏では対応しにくい状況も生まれてきており、出場者のみなさんが力を出し切れなかったという不本意な思いを少しでもしないようにするため、普段慣れ親しんでいるカラオケ音源に変更しました」

広報課のこの回答こそが真相ではないだろうか。

普段DAMやJOYSOUNDのカラオケマシンで採点している若者たち(に限らないが)から「DAMの採点ならいつも100点なのに、おじさんたちの演奏だと合わせづらくて鐘2つだった!」というクレームが相次いだのかもしれない。

そういう人たちに「本来音楽はその場で合わせるものなんです」と正論を言っても通じそうにない。
「完璧に」歌うことを目指して練習してるのだろうから。そのためには人が弾く伴奏はむしろ邪魔でしかない。

かくして「のど自慢」から生バンドは去り、地方をあちこち回っては下手な歌を披露させるだけの番組になってしまった。
あえて独自性を挙げれば「出場者のエピソードトーク」だが、歌自体に聴くべき要素が減ってしまったので今後はますますエピソード頼みになるだろう。「鶴瓶の家族に乾杯」みたいな番組になってきた。
家族や会社、○○市の内内じみた余興を全国放送する意義は何なのか。

かつては下手な歌い手が出てきたら、バンドの人たちが即座に対応して寄り添った伴奏をしていた。
まわりの出場者や観客、視聴者も一緒に応援しているようなところがあった。
そこにドラマが生まれたし、他のカラオケ番組とは異なる「のど自慢」ならではの温かさがあった。

今はどうなのだろう。私の感じる寂しさとは裏腹に「やっと練習通りの結果が出せる!」と喜んでいる人が少なからずいるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?