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映画の呼吸をよびおこす活弁士

 昭和の日。千駄木の<ギャラリー七面坂途中>で無声映画を”体験”してきました。映画は、小津安二郎監督の『大人の絵本 生まれてはみたけれど』、1932年の作品です。映画史において、前年(1931年)、映画は無声映画からトーキー(映像と音声が同期した現在の映画)へと移っていきます。小津監督の『生まれてはみたけれど』は、無声映画の最後にして最高の傑作と呼べる作品なのかもしれません。

 無声映画の時代、日本では弁士あるいは活弁士とよばれる映画の語り役が存在していました。活弁士のなかには徳川夢声や山野一郎などスターも登場し、大正時代の末期には8000人ほどの弁士がいたそうです。ちなみに弁士の隆盛していた時代を、周防正之監督の『カツベン!』がエンターテイメント風に描いています。

 さて、今日は、山内菜々子さんという活弁士による語りでした。若い女性の弁士さんで、まず、声に張りがあって瑞々しかったです。ついで映画のト書きにあたる説明が聞き取りやすかった。そしてなにより子ども役のセリフがお見事でしたね。終始、小津映画へのリスペクトが感じられ、心おだやかに映像に没入できました。

 食い入るように映像をみているときに、ふと、淀川長治が≪映画の呼吸≫とよんでいたものを思い出しました。二分ごとにシーンが変わるか三分ごとにシーンが変わるか、その変わり進むリズムが映画の呼吸になるというのです。なるほど、パチパチという音をさせながら進行する小津映画の古いフィルムにも映画のリズムを感じました。
 鑑賞というよりも、実感として映画を体験できたのは弁士(山内菜々子さん)の魔術でした。弁士の語りを聞きながら、息をひそめてみたり、ほっと息を吐いたり、はははと笑ってみたり、うわぁと感嘆の声をあげる。そうしているうちに、映像のリズムが映画の呼吸になっていくのでした。
 映画ファンとしては、無声映画の時代に<小津映画>の原型がほぼ完成していたことに驚きました。シネマの灯り、ここにありです。


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