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出来る人はだいたいできるし、出来ない人はだいたいできない。

そんなバカみたいな当たり前な現実と向き合うのはつらいですが、多分ある程度真実な気がします。

ゲームをよくやられる方、特にネットゲームをやられる方は初期ステータスの割り振りというとイメージしやすいかもしれません。

攻撃、防御、すばやさ……そういったステータスにパラメータを割り振っていくことができます。
ゲームの場合は始めたときは全員共通で「10」というパラメータを与えられていて、それをどう割り振るかでキャラクターに個性が生まれていきます。

しかし一部の外れ値の様な人を除いて現実はどうやらそうでは無いようです。

初期ステータスはできる人には「100」くらい割り振られているんですよね。
そこから頭脳や容姿などに振っていく。

始めから「10」しか与えられていない人がどうやって初めから「100」のステータスを持っている人に勝てばいいのでしょうか。
「10」持っている人が全部勉強につぎ込んでも「100」持っている人が「一応振っておくか」程度で割り振ったパラメータに勝てません。

学生の頃は顕著に表れると思います。
学年トップの頭脳を持っている人って大抵のことできるんですよね。音楽も技術・家庭科も体育も。
学年トップの頭脳を持っている人が体育がビリという事は多分ありませんし、芸術系の、例えば絵を描くといったこともそれなりにこなしてしまうでしょう。
コミュニケーション力や容姿と言った学校の成績にかかわらない部分についての能力も高いでしょう。

フィクションの世界では「配られた手札で戦っていくしかないんだよ」といったことはありますし、私もそう言ったセリフは好きですが、実際に「10」対「100」で勝負したら創意工夫の余地もなく負けるだけです。

トランプの大富豪で自分は手元に3,4,5ばかり、相手はK,A,2ばかりといった状態でどう勝てと言うのでしょう。現実には革命は起きません。それに革命みたいなことが起きてスタート地点が一緒になったとしても結局「100」対「10」の能力差通りに負けるだけです。

そしてさらに現実は寂しい事に、スタート地点で「100」対「10」なのに、レベルアップ時、例えば年齢を重ねたときにもらえるボーナスも「100」の人は「5」くらいもらえるのに、初期が「10」の人はせいぜい「2」程度の気がします。

年齢を重ねれば重ねるほど差は開いていく一方です。

こういったことを書いていると1位になる必要はないという話が聞こえてきそうですが、この世の中で仕事といった役割を得るためには「限られた範囲での1位」を取る必要があります。

仕事で採用されるためには「募集してきた人の中で1位」「その1位を除いた人の中で1位」など、結局「1位」になるしかないんですよね。
ブラック企業と言った労働条件を下げたり、地域密着の中小企業と言った形で地域で絞ったりすれば競争相手は減りますが、結局その範囲の中で「1位」を取らないといけません。

仕事でなくてもなんでも、何かを選ぶときにはその瞬間「1位」にならないといけないんです。
この文章を読んでいただいている方も、今この瞬間は、「ほかのどの文章よりも私の文章を選んで」言い換えると「ほかの文章を読まないという選択をして」私の文章を読んでくださっているわけです。

こんな文章一つで大袈裟ですけど、テレビのチャンネルを選ぶときも、YouTubeの動画を見るときも見ているその瞬間はほかのどのコンテンツよりもそれを選択して、その瞬間は「1位」になっているわけです。

そんなどう繕っても競争社会であるこの世の中で「10」の人はどう生きていくのか、結構悩ましいなぁと思ったりしています。

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