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これはあの子の愛と人生の物語~朝ドラ「半分、青い。」に寄せて

おはよう、世の中!

…というわけで朝ドラ「半分、青い。」堂々のグランドフィナーレを迎えました。私にとっては久々に「終わっちゃうの寂しい!」と叫びたい作品でした。場外乱闘に共感論にプラスだマイナスだ等々ありましたが、ファンとして思ったことを書いておきたいと思います。

私はこの話を「普通から少しはみ出た人の、愛と人生の物語」だと捉えました。

ヒロイン鈴愛は「気性と感性は鋭いが意外と凡庸」な女性で、相手役の律は「一見完璧だが臆病で繊細」な男性です。社会の要請する男女像にはまりそうではまらない。この「微妙にずれた」歪さが好きな人にはたまらなく魅力であり、嫌いな人には腹立たしかったのではないかと思います。

思えば鈴愛は、才能を発揮して成功、才能ある夫を支える妻、地元で起業してささやかな幸せという朝ドラ定番ルートすべてを手放すことになる半生でした。一方で律は「大企業で出世しつつ愛する妻子を養うよき企業人でよき父親」というエリート男性定番ルートにどうしても馴染めないという、これまた規格外の半生。
でも人生って「ルート」で測れないことのほうが多くて。どうしてもみんなと同じになれない、普通に器用にやれない、そういう彼らの、そして私達の生き方を「それでいい」と柔らかに肯定してくれる話だったと私は思います。

思えば「半分、青い。」は歪なことの連続でしたが、歪なものの中で最も印象に残った「律の愛情」の話をします。

律は余命わずかな母・和子さんのために妻子を大阪に残して岐阜に帰郷します。父・弥一さんは家事全般できる生活能力の高い人で仕事もまったりめの自営なので日常生活に支障がないにもかかわらず。妻・より子は律の態度に孤独を深め、どんどん「嫌な女」として振舞うようになります。
妻子ある独立した息子としての正解は「大阪で家族と暮らして週末に顔を出す」くらいかなあと思うんですよ。いくら母が病気でも、まずは目の前の家族に優先順位を置くのが「正しい」んじゃないかと。でも律はそういう賢い選択ができない。学生時代に恋人・清そっちのけで失恋した鈴愛を心配し世話を焼き、清の不興を買ったように。律の愛情は狭く深く重く、発揮される相手は限られている。
妻子の立場からすると、とても理不尽だと思います。でも、別に叩き直さなきゃいけないようなことじゃないんですよ。ただしその結果は自分で引き受けるしかない。事実、律はより子と一時は関係修復するも去られてしまうわけで。

私は清との関係もより子との関係も「ないわー、この男ないわー」と思いながら見ていました。でも途中で、本当に突然「この人はこういう風にしか愛せなくて、生きられなくて苦しいんだ」と思い至ったのです。みんなと同じにできない。例えばうまく大縄跳びに入れないとか、グループづくりであぶれる子供のように。大企業で30代で課長になるスペックと不器用な内面の歪さに、私は共感とせつなさを憶えたのです。

結局律はより子と離婚し40歳にして鈴愛と結ばれるわけですが、律の深く狭く重くときに独善的にも思える愛し方は、伝え方に多少の変化はあったものの、根本はそのままでした。「俺が生まれた意味はそれ(鈴愛を守るため)なんで」なんて素面で言われたら100人中98人は困る。とはいえ律がそういう形で思うことは自由だし、その愛を鈴愛は気付いて受け止めているのだからいいのです。歪で重くて「正しくない」愛を肯定して終わったこのドラマを、私は非常に愛しく思います。

思えばこのドラマは「ありえない」とよく言われたものですが、人との関係や愛情や行動に「傷つく」「無理」「嫌い」はあっても、「ありえない」ことはないんじゃないでしょうか。

最終週、震災で亡くなった看護師・ユーコの愛する人へ向けたメッセージの最後は、夫でも子供でもなく親友の鈴愛へ向けたもので。それも妻として母として、あるいは(亡くなり方そのものが)看護師としてどうなのか?という批判もありましたが、その「どうなのか」という部分も含め、それがユーコという人間の業で愛なのだと思えば、ありえないという言葉はあたらないと思います。夫・洋二の「最後まで慌ただしい」、鈴愛の「歌ってよユーコ」は彼女の行動を否定も肯定もしなかった。ただ彼女の不在を悲しんでいました。何故なら彼女を愛していたから。

「半分、青い。」は普通から少しだけはみ出してしまった人の、人生と愛をめぐる話だったと思います。彼らは常識的で普遍的ではなく、さりとて突き抜けてもおらず、普通とちょっと違って歪で不恰好で不器用で、ときに間違い自分の言動のしっぺ返しを食らいながら、自分の力で人生を晴れにすることや愛することを諦めない隣人達でした。

律の愛情の話に少し戻します。40歳の七夕の日に律から鈴愛にプレゼントされたのは「雨の音がきれいに聞こえる傘」でした。18歳の鈴愛が気まぐれに作ってとねだった傘。大きく不恰好でとても街中ではさせなそうで、子連れ帰省中の鈴愛にはどう考えても荷物になりすぎる傘。
でも鈴愛はその傘を貰うことで「雨の日を待つ幸せ」も貰います。そして雨の日、その傘は鈴愛の母・晴さんと娘・花野にも「雨のメロディ」を聞かせてくれます。
この不恰好でかさばって使い勝手の悪そうな傘が鈴愛への最高のプレゼントになり、彼女の大切な人も幸せにするのが「愛の物語」のクライマックスとしてとても胸に沁みました。

「半分、青い。」という作品は、決して正しくはないけれど、不器用で格好悪くて時に重たく時に間違い人を傷つけるところも含め、とても個人的な愛と人生の物語でした。

私はたぶんこの話をずっと大好きでいると思います。

#朝ドラ #半分青い #ドラマ #レビュー

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