浅倉久志さんの訃報(2010年2月)

東京創元社の公式サイトに無記名で書いた訃報(2010年2月16日)を若干修正しています。この記事のひと月前に柴野拓美さんが亡くなったばかりでした。(小浜徹也)
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SF翻訳家・浅倉久志さんが、2月14日(日)午後7時、心不全で逝去されました。1930年3月29日生まれ。79歳でした。

カート・ヴォネガットやP・K・ディック、ウィリアム・ギブスンの翻訳者として知られ、著名な訳書は数限りなく挙げられます。浅倉さん単独で、また伊藤典夫さんとの共編で多くのSFアンソロジーを編纂されましたが、特にユーモア小説・ユーモアSFがお好きで『ユーモア・スケッチ傑作展』(早川書房)や『世界ユーモアSF傑作選』(講談社文庫)といったアンソロジーも編んでいます。評論書でも、ジュディス・メリル『SFに何ができるか』(晶文社)、オールディス&ウィングローヴ『一兆年の宴』(東京創元社)といった名著の翻訳を手がけました。また、海外SFの紹介エッセイや博識なあとがき・解説にもファンが多く、それらの業績は2006年に出た唯一のエッセイ集『ぼくがカンガルーに出会ったころ』(国書刊行会)にまとめられています。

創元SF文庫では1970年にエリック・フランク・ラッセル『自動洗脳装置』(大谷圭二名義)で初めて翻訳をお願いし、メリル編『年刊SF傑作選』(第5集、第7集。大谷名義)、また現在は浅倉名義に変更しているJ・G・バラード『溺れた巨人』、フリッツ・ライバーの『魔の都の二剣士』に始まる《ファファード&グレイ・マウザー》シリーズ等々を、また創元推理文庫でも、リチャード・ティモシー・コンロイの『スミソン氏の遺骨』にはじまるユーモア・ミステリ3部作をお訳しいただきました。そういえば70年代には「浅倉さんが訳すとミステリも冒険小説もSFになる」とファンのあいだで語られたものでした。

創元SF文庫での最大のヒット作は、ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』(星雲賞受賞)ですが、その後1998年に来日したアンダースン氏が、10名ほどでの宴席をご一緒された浅倉さんご自身に向かって(正確には横断歩道を一緒に渡りながら)「素晴らしい翻訳だった」と絶賛したことが思い出されます。シャイで温厚な浅倉さんはにこにこと笑っていらしたのですが、じつは御本人はまったく聞いておらず、のちのちそのことを話題にすると、「へえ、そんなこと言ってたんだ? ほんとに? 小浜くん、どこかで会ったの?」とおっしゃったものでした。

ご冥福をお祈りいたします。

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