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奥から出てきた十円玉 巡る巡る~ちょっとした『十牛図』体験~

大掃除をしていたら家電の奥から十円玉が出てきました。出てきた十円玉は錆びついていました。青みがかった緑と茶の混ざった色あいの平等院鳳凰堂が妙に歴史を感じさせます(笑)。

…などと眺めて、そしてお財布に。ふとしたことからの気づきが自分の中では大きくつながり、そして日常へ融和していく。私がこの十円玉から思い出したのは「十牛図」でした。

そして、「十牛図」については河合隼雄先生の著書『ユング心理学と仏教』に書いてあったことを思い出して、この機会に読み直してみました。

(参考引用文献:「ユング心理学と仏教<心理療法>コレクションⅤ」 著者 河合隼雄 編者 河合俊雄 岩波書店 2010)


「十牛図」とは一人の若者が何かを探していく様子を描いた禅の古典として広く知られています。探している何かを「牛」として描いているけれども、それは人にとっての「自己」「自分」「人生の価値」などと重なるように描かれているので、自身を見つめ直す気持ちが促されるのだろうと思います。河合先生も「十牛図」から心理療法について感じたことを記しています。その一部を下記に引用します。

私はクライアントに対して何かを「与える」ことなどはできません。クライアントは自分の力で自己実現の道を歩むのです。そのとき「洞察」と呼べるようなことが役に立つときもある。しかしそれによって一挙にことが解決したりすることはめったにありません。洞察があっても過程は徐々に進むのです。…ゆきつ戻りつのなかで、治療者は全体を包む円に対する強い信頼をもって、そこに存在し続けることが大切ではないでしょうか(前掲書P78)

(参考引用文献:「ユング心理学と仏教<心理療法>コレクションⅤ」 著者 河合隼雄 編者 河合俊雄 岩波書店 2010)

各人が自分の牛を探す過程にあるということが大切であり、その過程はいつ終るなどという保証はないのです(前掲書P108)

この本自体からは、日本を離れユング心理学を学び帰国した河合先生自身が、ユング派の心理士として、ただ教えられたことに従うのではなく、学び得たことや学びを授けてくれた人とも対決していくのだと意思表明しておられるようにも読み取れて、力をもらいました。私自身も心理療法や心理的支援について葛藤し模索している状態でしたので、読み直してよかったです。

焼失や老朽といった苦難を越えて、幾たびも修復され粛々と存在している鳳凰堂のことを思い浮かべ、…えーっと、大掃除に戻ります。はい、戻ります。読んでいただいてありがとうございました。

(20211219記載)

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