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#32 知的創造とは何か ~創造の方法学より~

木下斉さんが必読書として紹介されている「創造の方法学」。
第1章のテーマが「知的創造とは何か」です。

知的生産についての考え方や訓練方法について、日本の教育とアメリカの教育の違いにどのように関連しているのかが理解できます。
日本人は労働時間が長いが生産性が低い。
その理由にもつながり、「なるほどなー」と、つい唸ってしまいました。


〇アメリカの大学生がいつもしていること

アメリカの大学のキャンパスではどこに行っても学生が本を読んでいます
確かにドラマなどでも女子学生も男子と同様にだだっ広いキャンパスの芝の上で寝っ転がりながら本を読んでいるイメージがあります。

1960年代の末にアメリカの大学では大規模な学生の反乱があり、毎日のように警官隊と学生が衝突を繰り返しており、外は催涙ガスが立ち込める中、図書館ではほぼ満席の学生が読書にふけっていたとのことです。
それくらい学生は読書に励んでいることにビックリしました。

そこには大学が組織的に読書の訓練を要求する仕組みがあります。
大学のシラバス(教授が配布する講義要項)には何月何日の講義は何を題目として、そのための必読文献と参考文献とが詳しく指定されるため、
学生はこの読書をこなさない限り教室で行われる討論に実質的に参加できず、試験でまともな成績を取ることは出来ないのです。

また、アメリカの大学では書物を読むだけでなく、物を書く訓練も重要視されます
学生にはターム・ペーパーという小論文の執筆が要求されます。
これは日本の大学の感想文のようなレポートではなく、教授と相談して決めた主題に対して従来の学説の検討、学生による分析、引用文献の呈示が求められます
文量は専門誌によける小論文と同様に、ダブル・スペースで25ページ程度。

このように、アメリカの大学は本を読み、討論をし、ペーパーを書くことを重視しており、日本の大学(私が卒業した大学)とは全く違うと思いました。

木下さんがVoicyで「聞いた内容に対して自分の意見をコメントする訓練をせよ」と仰っていますが、アメリカの大学生はそれ以上のことを当たり前に求められているのですね。
訓練量の差にビックリします。。。

〇アメリカと日本の「3つのR」

日本でも昔から教育の基本は「読み、書き、算盤」になると言われてきましたが、英語でも対応する「reading, writing, arithmetic」の言葉があり、これら「3つのR」が基礎学科であると言われてきました。

この3つのRの在り方が日本とアメリカでは異なります。
考えてみると、明治以来の日本の学問は、西洋における学問の成果の輸入を主要な仕事としていました。
そのため、西洋の学問の成果を紹介することで、研究者としての業績が成立りつという面があったのです。

つまり、日本では翻訳が研究者の成果と見なされるが、アメリカではアメリカの学界においてこれまでの業績に新しい知識や仮設を付け加えなければ一人前の研究者にはなれないのです。

アメリカの教育組織がこのような知的生産のための基本的な訓練を設計していることは、当然すぎて誰も改めて説明はしないのですが、日米の教育組織の差は成果の在り方によるものと理解できます。

日本の教育は戦後ずっと大きくは変わっていませんが、根本の「成果の在り方」についての意識から変えていかなければいけないということが良くわかりました。
(なかなか日本の教育が変われない理由が理解できるような気がします)

〇日本とアメリカとの差

「読み、書き、算盤」を基本とする組織的な読書の訓練は、既存の知識の体系についての組織的な理解を作り、知的生産の基本的な準備として機能します。

大学では各人が既存知識を習得するための訓練が設計されているため、講義でより深い議論を展開することが出来るのですね。
とりあえず集まって準備不足で始める議論では成果は出ませんね。。

アメリカの大学では既存の学問的成果を検討し自らの新しい仮説を提出しそれを検証するという基本形式をもっており、個人個人が模倣でない独自の意見を持つということは、アメリカにおいては社会一般の態度であります。

例えば、アメリカの幼稚園では絵にしろ工作にしろ、教師や両親が手本を示してはならないという原則があります。
そこには、幼児に手本を模倣させるようなことはせず、自己のイメージを表現をさせ、時間がかかっても自己自身を創造する力を子供から奪ってはいけないという思想があるのです。

アメリカ社会の模倣を排し、個性を尊び、常に新しい表現と知識とを創造するという伝統が、アメリカの学界が知的生産を目指していることに繋がっています。
そして、それはアメリカにとどまらず、西洋社会も同様で、近代文明がまず西洋におこり、遂に西洋以外の社会が近代の原理を自らの手で作り出すことが出来なかったという事実と関係しているということです。

そして、この問題は我々の国が、近代の思想と科学技術の輸入という形でしか、近代化を進めることが出来なかったという問題に関わってくるということです。


知的生産の在り方、そしてその背景にある思想についてものすごい学びがありました。
読み・書きの訓練を続け、知的生産をすべく努力を続けていかねば。
という気持ちを奮い立たせてくれる内容でした。
第1章だけでも充実した内容でした。

ぜひ、みなさんも読んでみてはいかがでしょうか。



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