2021年Facebook投稿抜き書き

誰にも頼まれてないのに毎年やってる、恒例の2021年1年間のfacebook投稿を抜き書きしておきます。

1月5日 
芸人さんの楽屋的な状況を仕組み的にどう作るかなんだな。成果が生まれる組織を作るには。

単なる雑談とかじゃなくインプットを小さくアウトプットしてリアクションを得て磨ける場。

それをオンラインでどうやるか。

で、それは経営側が考える組織戦略。

一方個人の生存戦略としてどうユニークなネタになるユニークな「苦しいこと」「ムカつくこと」「悲しいこと」にたくさん直面するかと、それをディティールまで記憶して楽屋で気軽にいじってもらえるネタとして面白く話せるように繰り返しトライできるか。ネタのない人生を歩んでる人は残念だけどいくら会社が楽屋を作ってもアウトプットするものがないから光が当たらない。

若い時の苦労は買ってでもしろってことの意味はこの辺にあるのかも。

1月5日
本当のタフネスというのは、苦しいことを我慢する力や、感じない鈍感力ではなくて痛みや苦しみを感じさせるかもしれない事象をどう「解釈」するか、どう「認識」するかにアプローチしてその事象に「意義」「必然性」「長期的メリット」があると「解釈」できるように訓練された状態のことかもな。

1月5日

思えば僕にとってはFBが楽屋なんだな。ちょっと思ったり感じたことをアウトプットする場。

だからここに僕の思考のエッセンスが構造化はされてないけど全部詰まってる気がする。だから抜き書きしてるんだな。四年間なんでやってるのかわからないままにやってたけど、そういうことか。

1月10日 

分断そのものが悪いのではなくて、システム間のインターフェイスの設計がイケてなくて互換性が担保されてないくて互恵的に連携できないことがよくないんだろうな。っていうかインターフェイスが適切に設計実装されていればむしろシステム的には「疎結合」の方がいいって考えからもあるよね。

1月10日

オーナーってやっぱりイシューがドメスティックになりやすいよね。エグゼクティブでもオーナーでない人の方がグローバルイシューにフォーカスしてる。

良い、悪いではなく特定組織に対してオーナーシップを持ってる人はそこにコミットするし、特定組織にオーナーシップを持たない人はある意味特定のオーナーを持たないもの、地球とか世界という単位のイシューに興味がある気がする。

2月3日

トマス・アクィナスの神学大全の定義によれば

「希望」とは「善なるもの」で「未来のこと」で「獲得困難なもの」で、でも「獲得の可能性のあるもの」なのだと。

自分たちのビジョンとして「希望」を掲げてて確かにその視点なかったなーというのは「獲得困難なもの」じゃないと「希望」にはならないということだ。

僕らは「希望」を失わないために「未来の困難な善」を目指す必要があるんだな。

2月4日 

僕らは「フィットする暮らし、つくろう。」というミッションのもと、顧客の「情緒的課題の解決」を事業としている。

では「情緒的課題」とは何かをもっと端的に言えばそれは「孤独を癒す」ということだ。人間の情緒的課題の大半は「孤独」に派生している。

そして「孤独」を癒す方法は概ね二つあって「ひとり」であることを解消して「みんな」の一員に加えてあげることだ。SNSなどの他者との交流の機会を提供するサービスが提供している方法だ。

一方僕らがやりたいのは「ひとり」の時間の「居心地をよくする」という方法で「孤独を癒す」ことだ。

一人で楽しめるコンテンツを提供すること、自分の身の回りや装いの中に「好き」を増やしていくこと、自分を受容するきっかけをつくること、変化のきっかけをあたえることなどなど、サービスを通じて「一人の時間の居心地をよくする」ことで「孤独」という情緒的課題のソリューションを提供し、顧客が「フィットするくらし」=「ひとりでも、みんなといても居心地の良い暮らし」をつくる手助けをしたいのだった。

つまりはみんなに受け入れられる機会や、みんなに愛される機会を提供するのではなく、自分を受け入れる機会や自分を愛する機会を提供するのが僕らの仕事というわけなのか。

2月5日 

世界中に70%が男性で、男性の経営者が率いているの1000人以上の会社っていっぱいあると想像できるんだけど、女性が70%で女性の経営者が率いている1000人以上の会社は直感的にすごく少なそう(僕は事例を知らない)なイメージがある。

これはなんでなんだろう?ってのがシンプルな疑問としてある。

これをステロタイプにジェンダー論とか性差別論で回収してしまうのではなくて、文化人類学的な視点で何故なのか、逆にそれが成立し機能するためには何かを変える必要があるのかとかを研究している人がいたら話を聞いてみたいんだよな。

と全部で70人超、女性80%の会社を経営する男性経営者としてずーっと考え続けている問い。

2月5日

僕らがバリューとして掲げている

センシティブ、チャーミング、オルタナティブはまさかまさかトマス哲学に通底するコンセプトと合致していることがわかった。

センシティブは善なるものを要求する能力

チャーミングは徳

オルタナティブは世界はまだ見ぬ善で満ち溢れていることを信じる態度のことだった。

2月7日

今日気づいたのは自分はBEを目的に事業をしているから、DOはそれに合わせて自在に変化させたい、もしくはその可能性を留保したい。

一方VCは当たり前だがDOに対して投資するのが普通だと思う。

その一方で金融機関はどちらかというとBEに対して与信する。

僕らがこれまでエクイティファイナンスを避けてきた理由はまさにこの一点に尽きるのかもな。

そして今僕らのDOが15年かけてありたいBEに追いついて来たからDOとBEが一体になり、どちらの側面にも等しくインターフェイスを開ける状況が整ったことが上場準備を本格的に進める意思決定を後押ししていたんだな。

ほんとぼくはいつも行動したあとでなぜそれが必然だったのかがわかるんだよなー


2月14日

僕は別に自分のやりたいことをやる自由がほしいわけじゃなくて、フェアにやる自由がほしいだけなんだよな。ただその「フェア」とはなにかの定義をステークホルダーとすり合わせることを主体的にリードしたい。ルールをつくったり選んだりする自由がほしいってことか。

その結果として自分が納得してつくったルールや枠組みには自分が一番忠実でありたいし、そうあることが心地よい。

僕がCの顧客ともBの顧客とも取引先とも従業員ともひたすらにやっているのは相手にとっても納得できて合意できるルールを僕らが作る自由を確保するってことなんだな。

そして今新たな交易相手としての投資家という新しい種類のステークホルダーとの間での「通商条約」を結ぶことを目指していて、僕らは小国なわけだけどもそれが不平等条約にならないように、でも身の程はわきまえつつどう良い落とし所に導くかが問われている。

ほんと会社経営って政治だし外交だなぁ。

2月17日

売上や利益や株価を目標にするのが悪いのではなくて、それを目標にした日々の活動の結果、成したいことがなせず、ありたい姿が損なわれることが悪いのだ。

だから逆に売上や利益や株価を目標にしても、成したいことがなせて、ありたい姿が損なわれない「カルチャー」と「アーキテクチャ」と「ケイパビリティ」を用意した上でそれらを目標にすることは「善い」ことになる場合もあるのかもしれない。

何事も本質の手前の「アプローチ方法」の是非で議論したり、思考停止したりするのではなく、何をなしたいのか?どうありたいのか?を考え続ける必要があるよね。

*成長を目指さない健やかな会社

*評価しない居心地の良い会社

*定量目標を持たない本質的価値創造を目指す会社

が一旦成り立った瞬間から

*停滞感が漂う風通しの悪い会社

*何が評価されるかのルールが不明確で疑心暗鬼の会社

*自分の仕事の成果を実感しにくい会社

への入り口に立ってしまっていることだってある。

とにかくそういうアプローチは成したいことを成し、ありたい姿であるための「手段」でしかないので、その「手段」を「ドグマ」にしてしまわないようにしなくては。

いつでもその瞬間から見た未来に、なしたいこと、ありたい姿を解像度高く見定めて、それをやれる「カルチャー」と「アーキテクチャ」と「ケイパビリティ」を鍛え上げること。

だから経営者の仕事は「なしたいこと」「ありたい姿」を魅力的にパッケージして他者の協力を得やすいインタフェースをつくることと、それを実現するのに必要な「カルチャー」「アーキテクチャ」「ケイパビリティ」をつくりあげ、メンテナンスすることだとも定義できるよね。

2月20日

このリーダーの期待に応えたい、この仲間たちの期待に応えたいって気持ちを醸成する以上のマネジメントなんてないよな。つまりはチャーミングなリーダーの元に集まったチャーミングな組織である必要があるってことだよ。超絶難しいけど量的最高を目指してない僕らが質的最高をも目指さないんだったらなんのために存在してるのか分からないもんね。

2月20日

 僕らは今やってる全ての事業を未経験者がやりながら学んでつくっていってて「これできる人を連れてこよう」じゃなくて「一緒に機嫌よくパワフルに試行錯誤してくれる人を連れてこよう」って感じで最初の座組みを作ってる。

僕+機嫌の良い鉄砲玉+その業界の先生

という座組みをつくれればその時点で60%くらいは完成してる気がする。

役割としては

僕(経営者)=最初の仮説と壁打ちとダメだと判断したら「バルス!」って言う係。業界常識の全てを疑う係。

鉄砲玉(担当社員)=仮説検証、ステークホルダの情報吸い上げと関係性構築。とっかかりが見えたらカイゼンカイゼンの積み上げ係。事業ができたらそっからは事業責任者、部門責任者へ。

先生(外部アドバイザー)=その業界の物の値段相場感判断、良い人と悪い人の見分け、キーマンや取引先の紹介。僕に常識を教える係。

多分知見のないあたらあしいことを始めるときにこの形をどうつくるかばっかり考えてる。で、これができたらほぼうまくいったなーってなるなー

3月10日

組織において評価をする「工数」がもったいない、その工数を顧客に向けた方が生産的だという話はよく言われる話だし、僕もある時期まではもっともだと思っていたけれど、限りなく妥当な評価を行い、適切な利益分配を実現することにより、構成員の位置と役割を自他共に認識できる状況を作り、機能する社会化する以上に重要な仕事はないし、なんなら全ての組織の本業がそれで、それさえできてれば「事業」は十分成果を出せると考えるべきなんじゃないかと思うようになった。

3月31日

本当に徳のある人間になろうと思ったら「人生は一度きり」「死んだらそれで終わり」という宗教から改宗して「死後にも続きがあり、今生の生き方は死後の続きに一定影響するのである」ということへの信仰心を取り戻す必要がある気がする。絶望からくる渇望や大胆さは時に力を発揮するけどサスティナブルじゃないし、何より今生で得れるものをなるべく得ようとする「強欲」か、結局何も残らないんだからという諦観から来る「怠惰」にしか最終的にはつながらない気がする。

どちらを信じても科学的に検証不可能であるという意味ではどちらも科学的でも非科学的でもなく、あくまで自分で何を信じるかを決められる現代においては数少ない分野の一つだからこそ、よりよく生きられるように何を信じるかを決めるのも一つの選択肢だよね。

4月3日

まとまり切らないが、自分なりの仕事とそれに求められるスキーマとの関連性を考えている。

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僕らの会社的な職場にジョインしてパフォーマンスする難しさをうまく表現するのは難しくて「仕事」が難しいのではなくて、その手前の「何か」が難しいんだよなと思ってたんだけど、稚拙ながら英語の勉強を始めてその難しさを説明するアナロジーを思いついた。

*クラシコム とは違うタイプの会社に転職する場合

→スタッフ全員が英語が母国語ではないが、英語でコミュニケーションしながら仕事していて、そこに同じように英語が母国語でない者としてジョインするイメージ。

*クラシコム的な会社に転職する場合

→スタッフの大半がネイティブな英語話者である中に、英語が母国語でない者としてジョインするイメージ。

日本語に例えれば「選ぶ」と「選定する」は同じ「えらぶ」という意味だが、どういうシーンでどう使い分けるかを日本人の一定の教育を受けた大人であれば特に考えることもなく自在に使い分けられると思う。しかし日本語が母国語でない人であればそれは簡単ではなく、使い分けの一発で覚えられるルールで説明するのも難しい。

時間をかけて適切に使い分けるの必要な「スキーマ」を醸成していくしかない。

僕らのような仕事ではこの「選ぶ」と「選定する」を適切に言い分けることに象徴されるような仕事の差が事業の成功ときわめて密接に結びついてると考えている。だからできるだけネイティブスピーカー的スキーマを持っていそうな人を採用するようにしているし、必要なスキーマ構築を重視した育成プロセスが行われている。

一方で前述の「選ぶ」「選定する」のどちらをどう使おうと意味は一緒だし仕事には影響がないという種類の仕事もあるし、なんならその違いを気にせずやれる方が効率が良くなるのでそこを拘らなくて良いように立て付けてある仕事も多い。その代わりやってる本人もどこまで行っても仕事や事業と自分自身のフィット感自在感言うなれば天職感を感じにくい。事業成果は出るが、ずっと第二言語で仕事している感じが拭えないっていうことはあると思う。そしていつか母国語で自在に仕事してみたいと夢見たりすることもあるかもしれない。

好きを仕事にするってことは、その「好き」を仕事にするための「スキーマ」をすでに持っている人にとってはさほど困難なことにはならない。が、いくらスキルや知識をたくさん持っていても自分が好きなことを仕事にする上で必要となる「スキーマ」が十分じゃない場合、かなり時間をかけてそれを養う時間が必要になる。

それは例えば僕が経営者としては15年くらい経験を積んでいて、その仕事については一定以上の知識や力量があるとしても、ある日アメリカでほぼネイティブなアメリカ人で構成された組織を英語でマネジメントしなければならなくなれば、経営のスキル以前にまずは一定以上の英語力が必要になることに似ている。

そして卓越した仕事には多くの場合「スキル」「知識」よりもそれらを日々活用する中で培われた可視化されにくい「スキーマ」が効いていたりする。

寿司を握る「スキル」は学校に通えば3ヶ月で身につくのかもしれないが、卓越した寿司店をつくり維持していくために必要な「スキーマ」はある意味非効率にみえる長期間の修行が急がば回れで効率が良いのかもしれない。

4月12日

 なんか斜陽といわれてる業界と接点を持つと共通する特徴がある。

ビジネスモデルが素晴らしすぎて独占、寡占が実現し、市場を支配し超過利潤を得ていた。

そして寡占、独占という状況を作ったのは「卓越」だったが、実現した寡占、独占の上で超過利潤を得るだけなら「怠慢」「慢心」があっても可能な時期が長く、また超過利潤があるためそのような仕事の仕方をしても高い報酬水準を保つことができた。

まさに最初にビジネスモデルを構築した人は「卓越」していたが、卓越した土台を作ったが故にフォロワーをスポイルしてしまった。

どうでもいい慣習、メンツにこだわり、取引先を出入り業者扱いし、コスト意識や投資対効果の意識が低く、なかなか追い詰められないから変化への対応も先送りにしがち。

成功して、かつその成功を作りあげた「卓越」した世代がさってもなお厳しく、謙虚な経営をすることの難しさよと思う.

4月17日基本資金が乏しいところから事業を立ち上げて、外部から資本も調達せずに成長してきたから、やりくりは得意なんだけど、じゃあたくさん資金があって、それを最大の成果のために上手に投資するってのは全然やってきてないし、訓練もできておらず、未だに苦手意識しかない。

お金は、ほんとお金だけあったところできることなどたかが知れていて、お金かけがいのあるビジョンや戦略を構想するのも難しいし、それだけ大きな構想を形にするのも、形にしたものを維持成長させるのも超絶ケイパビリティが求められるので、経営と執行のケイパビリティが乏しいところにお金だけ投げ込まれたところで、必要以上に人を採用して、テレビCMやって、オフィス豪華にして、なんとなく良さそうな会社を買ってみるみたいなマジで面白くない案しか思いつかないからやる気も出ない。

上であげたどれでもないものに数十億使って、自分たちが見える景色を激変させることができるようになるにはぼくにはまだまだ修行が必要だわ。

4月22日

会社の中から生産性が低く、難易度が低い仕事をノンコアとして外に出し切った結果として、社内で比較的スキルが未熟な社員を段階的に成長させるための初期に取り組むべき仕事が喪失していることに気づくことになるのかもな。

難易度の梯子をかけられる状況作らなければいずれ人材供給の観点でつらくなる可能性を考えなきゃな。

4月22日

発展途上国が発展して行く過程でやるべきことと、その過程であまり良くないことの講義を聞いたのだが、それがあまりに企業にも適用できすぎていて面白かった。

やるべきこと

1)まず農地改革

一部の地主が農地を所有している状態から耕作人自身が農地所有できる状況を作る改革。

2)工業化

国民一人当たりの生産性を高めるためにはスキルを持たない人を農村から都市に集め、その人たちに「機械」をつかって人間一人から一人分以上の生産性を引き出せる職についてもらう必要がある。そのための場所として製造業の存在が重要。さらにそのような分野において少しづつ難しく付加価値の高い仕事を学んでもらい多くの国民が高い技能を身につけることができる場としても重要。その結果としてだんだん付加価値の高い商品を作り外貨を稼げる。

3)金融の自由化

十分な外貨準備や付加価値の高い産業基盤を持ったら金融の自由化をやることでさらに加速させられる。

4)工業社会から知識社会へのトランスフォーム

教育やイノベーションに投資することでさらに生産性の高い産業が中心の社会になるように取り組む。

という4つの発展段階があるということだった。

多くの中所得国が陥るのが3の金融自由化段階で資金調達が容易になった時に4)にではなく手っ取り早くお金を稼げる不動産開発にお金が流れイノベーションが起きず、生産性自体は上がらないが、資産インフレが起きやすく、不良債権化するリスクも上がり、4)に移行する前に息切れしてそれ以上発展できなくなるという話もあり、あー会社と一緒と思いました。

資金調達したら謎にマーケとM&Aにばかり投資するって金融の自由化後に不動産開発にお金突っ込みすぎるのににてるんじゃないかなー

とにかく技術的なものだけじゃなくて良いと思うんだけれどイノベーションにフォーカスして投資し続けることが真の成功を生むんだなと。

5月1日

いろんな図を見るけど、図を見た方が何が価値かがわかったり、こういう構造なのかがわかったりするケースってほとんどなくて、ちゃんと構造化された文章で説明されるのが一番わかるなと思うんだけど、それって図を見るリテラシーがないからなのかな。

ほとんどの図を見て思う感想としては「??なんか普通のことしか言ってなくね??」なんだよな。

5月25日

先日面接で戦略コンサルで働いている人に「なんで事業会社に?」って聞いたら戦略コンサルが提供していたサービスで一番確実に成果を出せる領域を今はtoBのSaaSサービスが安価に便利に提供するようになり、未来が感じられなくなったって言っててなるほど、パッケージとかERPとかの買い切りのソフトウェアの置き換えというだけじゃなく、その導入を一つの売りにしていた戦略コンサルみたいな領域の必要性を一定下げるみたいなことが起きてるのねと、そこは結びつけてなかったなーと面白く感じました。

5月26日

ほんとほとんどいつも、上手くできてるな、慣れてきたなという実感はなく、よくわからないことを、よくわからないまま決めて、決めたことの実行もなんとか右往左往しながらやって、やったことの成果もよくわからないみたいなことばかりだなと感じる。

ほんとほとんどのことはやらないとわからないし、やっても全貌はわからない。同じことを手を変え品を変えいろいろやっていく中でどうにかコツが掴めてきた頃には、環境の変化でそのコツの有効性が失われ始める。

ほんと自信を持って仕事できる瞬間少なすぎ問題。

6月5日

ある時期にUIUXデザインの重要性がコンセンサスになったと思うんだけど、この先の世界で生き残るために改めて企業がアウトプットするもの全てを統合的にアートディレクションすることの価値が再評価されるんじゃないかな。

UIUXデザインへの投資という意味ではなくて、統合的なアートディレクションへの投資は今最も投資しがいのある空き地だと感じる。

例えば若い経営者が率いているyutoriやfoufouやlovegraphやsheはそれぞれアパレルブランド、写真撮影サービス、教育サービスと業態やビジネスモデルそのものに大きな革新性があるわけではないが、統合的なアートディレクションのパワーでプレゼンスを大きく上げている。

統合的なアートディレクションは決して表面的なお化粧ではない。

彼らはユーザーの頭の中に自らの理想とする世界観を組み上げるイメージのアーキテクトなのだ。

実はユーザーの頭の中に自分たちの世界観をインストールすることができれば自分たちの美意識がユーザーの美意識となり全ての判断基準になる。

これは何を意味するかというと、アプリより、OSより、スマホより、回線よりさらに土台のレイヤーのプラットフォーム(人の脳)を制するということなのだ。

前述の会社のリーダーたちはもはや息を吸うようにそれができる経営者が会社を始めている。周りの年長の世代はまだまだ「おしゃれなのはわかるけど、表層的なのでは?」と思って見てたりするだろう。でもそうしている間に新世代の統合的アートディレクションができる経営者たちが、最も低レイヤーの根本のプラットフォームをごっそり持っていく可能性があるんじゃないかな。

SNSとか検索エンジンとかOSとかデバイスのとりっこをしてる間にそれら全てをどう使うかを左右する世界観の取り合いをし始めているところが増えている。彼らのプラットフォームは着々とユーザーの脳内に築かれているんじゃないかな。

6月7日

 将来を予想したり計画したりすることは本当に苦手分野なので、とはいえ将来に対してなんらか対応しているなとは思っていてどうしているのかなと思うと、

とにかくあらゆる意思決定を「可変性」「可逆性」「機動力」「即応力」「解像度向上」「安全余裕率」を高めることにフォーカスしてしてるなと。

つまりは将来はどうなるか分からないが、変化に早く気づけて、わかった時点で最善の手を最速で打てるコンディションづくりにフォーカスした経営だなと。

後もう一つは何か非連続なことを小さく「起こす」ことで、それを未来のことではなく、今そこにあることにしてしまうというのがあるなと。

将来起こりうることも、今の連続性にないアクションを起こすときにいいことも悪いことも今起きてしまうので、手を打っていけるコントロール可能なものになるなと。

なので「将来どうしよう?」というマインドになっている時ってある意味何も起きてないからこそ「将来」にフォーカスしてしまっているのかもしれなくて、そこに若干意味不明でも非連続な何かを投下すると何もしなかったら少し先の未来に起きていた「良いこと」「悪いこと」が今起きる可能性があって、未来を予測する余裕があるくらいなら、未来におき得ることを今起こしてしまうというのは割と良い方法な気がする。

そう考えると非連続で何かを小さくでもやってみるのはタイムマシンとか易みたいなものだなと思う。

6月8日

これまでのオフィスに集まって仕事することについての課題は、時間をかけて、不快な時間を受け入れて、普通は行きたいと思わないオフィスを、どう行きたい場所に変えるかという課題だった。

それがリモート後さらに難しい課題になることは明白だ。

そんな難題に向き合ってなんとかするのと、リモートワークの弊害をなんとかして、オフィスに集まって仕事するのに遜色のないやり方を開発するのとどっちの方が解くのが楽しくて簡単そうかと思うと、僕には後者のような気がしてならないんだよな。

6月15日

最近特に人の話を聞こう!とか答えは相手の中にあるんだ!みたいなことが多く語られていて、確かにその通りなんだけど、「聞いてやるよ」とか「聞いてあげなきゃ」的に頑張って聞いてもらって嬉しい人ってごく一部で、本音では「相手に心からの関心を持ってもらいたい」ってことなんだと思うんですね。

で、だからこそ「聞く」は「聴く側」だけの努力じゃ本物にならなくて「わかりやすく話す」とか「面白く話す」とか「相手の立場に立って話す」っていう「話す側」の努力があってこそ「聴く」が完成するんじゃなかろうか。

そういう意味で「面白く話す」「相手の立場になって話す」「わかりやすく話す」ができる人は「聴く人」を助けていて、かつ「聴いてもらう満足」を味わえる最高の立ち位置じゃないかと思うわけです。

まあここまで読んだ人は薄々感づいたと思いますけどこれはおしゃべりクソ野郎の壮大な言い訳なのw

6月23日

若くい続けなきゃ、一線にいなきゃ、牙が抜けないようにしなきゃ、永久にベンチャーマインド維持しなきゃ、ずっと恋人みたい二人でいたい、、などなど今の価値観で良いと思う状況を未来永劫維持しようとするって18の時に思い描いたかっこよさの定義で50代を生きるみたいなことで、場合によってはかなり痛くなりかねない。

変わって行くことをどう肯定的に捉えて、その時々のあり方で仲間と顧客と社会に貢献していきたいよね。

僕なんて事業始めたのももはや中年だったし、一線にいたことないし、牙も生えたことないし、自分たちをベンチャーと思ったこともないよw

7月1日

昨今のwebやappでのトラッキングを抑制する流れは、インターネット広告の機能性を減衰させることで投資の受け皿としてのキャパは小さくなる。よって全てのメディアが広告収益を上げることをより難しくすることになるし、そもそもネットメディアが拡大するために効率の良い広告運用で急速に伸ばすのもこれまでより難易度があるるイメージ。

だから成長するのも難しくなるし、成長した上での収益性を高めるのも難しくなることを考えると、これからネット上でビジネスを成功させるためには「成長ドライバを広告に依存しない」「広告に収益を依存しない」の両方が必要になるのかもな。

ムズすぎるだろw

7月2日BTSのyoutubeチャンネルを見て思うのは、素晴らしいコンテンツを素晴らしいクオリティで、ARMYを喜ばせたいという一点にフォーカスして、見切れないほどつくることをただただ愚直にやってて、離脱率がどうとか、サムネがどうとかほんとマジで一切考えてなさそうなのに爆裂に成果が出てるわけで、ほんとテクニックでハックして結果出してたら、むしろ一生その位置には行けないんだよなと感じる。

7月9日

自分のスタイルが世の中に受け入れられないという時、スタイルを変えるのではなく、まだスキルが不十分だと思う方が良い。スタイルへの理解がない人でさえ巻き込む程のクオリティを時間をかけて目指していくべきで、スタイルは変えたらダメなんだなと。

最近ハマっているBTSもKPOPのスタイル、カルチャーのクオリティを極めて突き抜けていて、例えばアメリカのすでにある何かにまんまハマりに行って成功したわけではない。

韓流ドラマ、日本のアニメーション、任天堂、ジャニーズ、宝塚などなど、スタイルやカルチャーはそのままでもクオリティが高まっていった先に突き抜けが起きてる。

うまくいかない時、思ったようにいかない時、そこに確かに小さくても熱狂が生まれてるならやるべきはスタイルチェンジじゃなくて洗練に洗練を重ねてクオリティを上げることなんだろうな。

7月20日

 シニカルでも露悪的でもなく、シンプルで清潔感があり、幸せなもの。熱があり、それを照れずに真っ直ぐやりとりできること。それでいてその幸せや美しさは儚いものであることは本人も受け取る人もわかっていること。

そういうニーズにちゃんと答えるエンタメは日本では「賢そうに見えない」ということ?で低く評価されてる気がしてるけど、だからこそそこがぽっかりと市場として空いていて韓国ドラマやK-POPが根こそぎ持っていってる気がしますね。

美しく、爽やかに、カッコつけずに。馬鹿みたいに真面目で、馬鹿みたいに明るいものを、決して明るいだけ、幸せなだけ、満たされてるだけじゃない人達が全力で届けようとしている姿って尊すぎるよね。

僕らも「僕らだってこんなに不幸なんだ」「僕らにもこんなダメなところがあるよ」ってところで共感を呼ぶんじゃなくて、「こうありたいんだよね」「こうなったら素敵だよね」ってところで共感し合えるどこまでも美しく、爽やかで、真面目なもので勝負し続けていきたい.

7月29日

思えばいつでも起こって欲しくなかった「問題」が起きることこそが、僕らが次にどこに向かうべきかを教えてくれた。

いつもシグナルは「起こって欲しくなかった問題の発生」という姿でやってくる。

人生も事業も目隠しで入り組んだダンジョンをくぐり抜けるようなものなので、「問題」という「壁」とのコンフリクト発生だけが、ダンジョンの形やどこに向かうべきかのヒントを与えてくれる。

もしもどこにも掠りもせずにダンジョンを潜り抜けられたとすると、どんなダンジョンだったかもわからず、目隠しされた状態でダンジョンをくぐり抜けるスキルも向上せず、より難しい次のステージのダンジョンで死亡確定である。

問題は常に僕らに直近の課題をどうクリアするべきかの道を示しつつ、次のより難しいダンジョン(課題)をクリアするのに必要な成長を促す機会なのだった。

めんどくさいが仕方がない。

8月17日

お客様にアンケートをして今数日で2000件くらい返ってきてるんだけど、

「素敵なもの」「真面目なこと」「前向きなこと」を求めているが、一方でそういうものを求めている、好んでいるということを他者に表明したり勧めることは「憚られる」という傾向がすごくあるんだなと。

「意識高いなー」「丁寧な暮らしってやつですか?」「余裕があっていいですねぇ」などそういうものを好む人を簡単に揶揄する言葉がたくさんあって、ある意味秘密結社みたいに自分の好きなものを守っている人が大勢いる。

そういう人たちにとって安心できて、自分が好きなものを好きでいていいんだと思える時間を提供していきたいなと心から思うし、それこそが僕らの使命だなと。

9月1日

素晴らしい能力とモチベーションを持って仕事をしてくれている組織の場合、経営者がハッと気づくとプロダクトやサービスが長期安定的な維持が不可能なほどに要求レベル、当たり前品質が上がってしまっているというリスクがある。

基本的には品質やクオリティが上がるのは良いことなのですが、属人性が上がる、スケーラビリティが下がる、高いレベルで顧客と握ってしまっているために容易にレベルが下げられないなどレベルの低下への対策よりも難易度の高い課題にぶち当たることもある。

サービスや品質、それに対するプライシングは常に際どいバランスの上に成り立っており、設計を大きく上回るクオリティの向上は、雑な値上げと同じくらい事業のバランスを崩す。

なので経営者としては現場がパワフルで有能な時こそ、想定以上にクオリティが上がりすぎないように注意を払う必要がある時もある。自然な感覚には反しているマネジメントだからこそこれは経営レイヤーでないとむずい。
9月6日

かわりものが、かわりもののまま、威張るでもなく、卑屈になるわけでもなく、フラットに居場所をつくり、他者と心地よく共存する(ためにも他者に貢献する)というのが自分の生涯のテーマなんだろうなー

9月22日

民主政体がよいとか、独裁制がよいとか、資本主義か共産主義のどちらがよいとかの問題ではなくて、だいたいどの社会も100年くらいたくさんの血を流しながら国家として大部分の人が合意できる政体を形成し、それを基盤にして秩序を維持しているので、それを根底からひっくり返すためにはどんなに素晴らしい政体に変わっても合意形成完了まで100年間くらいひどいことになって、血も流れて、割食う人が死ぬほど出るんだってことなんだよね。今のアフガニスタンも80年代くらいにソ連にひっくり返されてから40年くらい立ってるけど、多分あと60年くらいしたら落ち着いた国になるかもしれない。

そんな犠牲を払ってまで実現しなきゃいけない正義ってどんだけの価値があるのよと。今の合意事項に漸進的に手を加え、ひとつづつ積み上げたらそれを起こさずに同じ100年の時間軸の中でデモクラシーが成熟して、アメリカで黒人に公民権が与えられて初の有色人種の大統領が誕生し、世界がSDGsを目指すことで合意するくらいに世界が変わるんだよね。

そしてこの考え方こそが「保守主義」なんだよね。

多くの人の犠牲のもとに積み上げられてきた合意事項に今それが機能しているか、最も良い選択かは一旦置いておいて、敬意を払うこと。

その合意事項をひっくり返すことによって性急に社会を変えようとすることは多くの人にとてつもない犠牲を強いることであり、誰か特定のリーダーや組織が先導して実行して良いものじゃないという謙虚さを持つこと。

だからと言ってただただ現状維持をするんじゃなくて、問題と向き合い、漸進的に改善をつづけることで社会を良くしていくことを目指すこと。

それが保守主義の基本。

そして多くの人が「保守」と呼んでるのは実際にはほとんどが「反動保守」という「革新的な啓蒙主義」の一種なので。実は極左と極右は政治的には目指す場所違うだけで政治手法は両方とも「理性主義」「啓蒙主義」に支えられた「革新勢力」なんだよね。

真の保守主義にたった総理大臣が、多くの過ちを犯しながらも、何か一つでも次世代をよくするものを残す。それを100代くらい重ねると明治時代から令和まで社会は変化する。

ひとつづつ着実にやりたいよね。

9月24日

理想主義的に始まっている組織は「理想」が「原点」なので、その原点から始まって、歴史的経緯があって都度ベターを積み重ねてきたことによって「原点」から乖離することを「拒絶」して、定期的に「原理主義」に回帰しようとする力学が働く。

よって「進化」「漸進」が定期的にゼロリセットされてしまう。

実は事業のあり方として美しい、理想的なものを目指す事業者ほどこの課題に進化を阻まれてしまう。

国や宗教やもしかした夫婦という最小単位の組織も同じである。

「大恋愛の末の理想的な結婚」から始まる結婚生活は「原点」が理想的すぎてその後妥協や、すり合わせによって変化していくことを許容しにくいかもしれない。

一方ひょんなことから始まったもの、元々の志は低かったものが、歴史的な経緯を経てだんだん磨かれ、視座が上がり、志や美意識が磨かれていったような組織は強いなと思う。

今よりもっと「進化」することになんの躊躇もなく、それを阻む「原点回帰」の力学も少ない。

なので何事も始める時に高らかに理想を宣言して注目を集めるようなことをせずに、ニュルッと、小さく始める、そして毎日、毎月、毎年少しづつ進化させていくことは時間を味方につけて、大きなことを成し遂げる上で大事なやり方だなと思う。

早い段階で褒められすぎるとそれは大きな枷になるんだよな。

10月13日

(今日考えたこと)

よく事業承継的な観点や、さまざまな代替わりのシーンで次世代に良い状態で引き渡したいっていうことを目指してる話あるけど、引き継ぐ側からすれば良い状態で引き継ぐより、ボロボロの状態で引き継いだ方が気が楽だし、成果出したら全部自分の手柄になるしいいことしかない。いい状態で引き継いぐってのは、先代のエゴでしかないのかもな。

僕も引き継ぎを考えるときはボロボロにして、あいつマジで終わったなっていう誹りを受けるような状態で引き渡した方が良いのかも。

10月14日

いわゆるD2C的なビジネスとピュアなITビジネスの大きな違いは売上の増加に伴ってモノと人が動く量も増えるということ。

そして物が100個動くのと1000個動くのと1万個動くのでは難易度が全然変わり別の事業をやっているぐらいにケイパビリティを進化させる必要がある。売上規模1億、5億、10億、30億、50億と各フェーズで全然違うケイパビリティと体制が必要だった。

個別のお客様にとっては同じ品質、同じ利便性を成長しながらも提供し続けることは本当に難しい。

10月21日

売上より利益、利益より資本効率と安全性。

10月31日

建国の父の手によって建国された国家が、立憲君主制になるか、帝国の皇帝に忠誠を誓い封建領主となるか、共和政体に移行するか、時間と共に国家が成熟すればいずれかの出口が必要になると同じように、企業も、王政で始まり、所有と経営の分割(立憲君主制)がなされるか、M&Aされる(帝国の一部になる)か、上場する(共和政移行)するかを選ばないと、国家で言えば革命や侵略などの破滅的な結末が待ってるのかもしれないなあ。

11月2日

必要なのはオウンドメディアではなくて、オウンドカルチャーなのかもしれない。

メディアはオウンドカルチャーを読者に届けてOur Culture化するためのビークルでしかないので、ユニークで魅力的なカルチャーなきオウンドメディアは期待する機能を果たせなくて当然なんだろうな。

11月9日

思えば明確なビジョンがあって、明確な戦略的計画のもとに事業を作ってきたことはなくて、事業の拡張性と持続性を支えるものと阻むものについていつも考えていて感度が高くなっていて、たまたま飛び込んできたそれらを支えそうなものを取り入れ、それらを阻む要因を見つけたら排除してと言うことをやっているうちに今のような形になった。

なので「たまたま」が向こうからやってこないと始まらないのだが、確かにこの2年近く初めて知り合う人もほとんどおらず、社交からも移動からも遠ざかった結果、気がついたら仕込んでる種が尽きかけてるんじゃないかと感じるようになった。

もともと出不精で人見知りだから、今の状況は割と快適なんだけど、やはり「たまたま」は「面白そう」「楽しそう」くらいの期待感で知り合った「他者」が持ってきてくれるものだから、改めて人に会うリハビリしないとな。

11月18日

ファイナンスの負債の概念が援用されて、システムにも技術負債っていう概念があるが、オペレーションにも、マーケティングにも、MDにもすべからくそれは存在していて、返済し続けないとトップラインは伸びるかもしれないけれど、効率がどんどん落ちていく。

売上より、利益。利益より、効率。効率より、安全性。

安全性が高ければ、効率は高めやすい。

効率が高まれば、利益は出やすい。

利益が出てれば、(成長投資ができるので)売り上げは上がりやすい。

勇気を持って売上より利益を優先し、利益より効率を優先し、効率より安全性を優先することが結局長期的な価値を最大化すると信じている。

12月3日 
大企業はたくさんの社員の中から早期に将来のリーダー候補を選抜していろんな経験をさせることで次期経営層を育ててきた。

スタートアップコミュニティはわりと汎用的な経営スタイルを各社がとり、その汎用的な経営スタイルを執行可能な経営人材をコミュニティ内で流動させることで経営人材の不足を補ってきた。

一方で経営スタイルも汎用的というよりは独自性が強いクラシコムのような会社の場合、スタートアップコミュニティから新たな経営人材を求めるよりも、時間や手間がかかっても大企業的に自前で育てていく(しかし大企業ほどコストはかけられないので要イノベーション)ことを考えなければならない。

次の10年の主要なテーマは僕らの経営スタイルの継承の仕組みを作ることだ。言語化し体型化し、それを移転して人材プールをつくり選抜し、必要なら更迭した上で再選抜が可能な仕組みをつくる。

12月14日 

投資家との対話を通じて最近特に思うのは、資本市場って機械学習するAIみたいなものでたくさんのデータを食わせていく中で精度が上がっていくものなんだなと。

前例が多いものはより安定した正確な値付けができるし、前例が少ないものは難しい。

だけどチャレンジングな新たな参加の仕方をする発行体やそれをリスク取って値付けする投資家がいつの時代もいて長い時間をかけてより幅広な企業を評価することができるようになっていることも事実。

赤字だけどもトップラインがぐいぐい伸びていてSaaSのようにあるラインを抜けば収益性が急速によくなることが見えているような会社でさえそれなりに評価されるようになったのはここ数年のことだと思う。

それを思うとファーストペンギンとして最初に前例のないジャンルや形でチャレンジした人たちは過大評価されたり過小評価されたりできっと苦労が多かっただろうけど資本市場にまずはデータを食わせたという意味でめちゃくちゃ意義があるなぁとしみじみ思う。

資本市場に限らず社会ってそうやって着実により幅広い対象を正確に評価、処遇できるようになっているという意味で着実に進化してるよな。

12月14日

ゼロイチやってる頃が楽しかったって言う回想って、昔の貧しい頃の日本よかったって話しと一緒で、もう一回ほんとにその状況になったら、そうだった!思い出したわ!きついだけで全然楽しくなかったんだった!ってなるやつな気がする。少なくともに自分がゼロイチやってる時に、ちょっと軌道に乗ったおじさんからゼロイチはいいよなとか、今が1番幸せなんだぞ!とか言われたらマジ殺そうかなと思うくらいムカついたきがする。

人間って苦しい過去も、華やかな過去も、過去というだけで全部美しく思えて、未来は基本終末論的にしか捉えられないのなんでなのかな、自分含めて。

そういう自分がいちばんあの頃は良かった病の重症患者なんだけどもw

12月24日 

D2Cとは何か?

誰とも合意形成していな僕の勝手な意見としては

マーケティングの4Pを全て自前でやるってことだと思うんだよね。

SPAが

Product(企画生産)

Price(完全な価格決定権の保持)

Place(直営チャネルでの独占的販売)

を全て自前でやって統合したわけだけど実はPromotionは

広告代理店、メディアへの広告出稿、パブリシティという形で他社に依存してきた。

それをプロモーションプラットフォームを自前で持ち、自前のケイパビリティと自前のアセットで展開することで4P全てを内部化して統合することがD2Cのゴールなんだと思う。

すべてのD2Cが今できているどうかに関わらず、意識的か無意識的かはわからないけどその世界を目指しているのではないか。

だから僕が思うのは「D2C」というのは今の状態を表す言葉じゃなくて「ビジョン」や「思想」をあらわす言葉で、広告を使っているか否か、デジタルか否かとかは関係なく

「いずれマーケティングの4Pを完全にコントロールして卓越したブランド体験を作ってやるんだ!」という決意を持った人たちのムーブメントだし、なんならプロテストなんだよね。

だから僕はD2Cを標榜するほぼ全ての人たちには今の状況はそれぞれだと思うけど共感しか感じないな。

12月24日

を待てる胆力

兆しに気づける敏感さ

兆しを受け入れる素直さ

兆しを実行に移すための勇敢さ

僕のようなパッシブなリーダーが機会をとらえ、危機を凌ぐ上で欠かせない資質。

一つ言うと兆しって待てずに探しすぎると鈍感になって結局気づけないので、待てるという資質がめちゃくちゃ大事だと思っています。



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