原田 康平(オギーソニック

旅するデザイナー/旅する観光案内人名古屋生まれ鹿児島在住。フリーランスのデザイナーとし…

原田 康平(オギーソニック

旅するデザイナー/旅する観光案内人名古屋生まれ鹿児島在住。フリーランスのデザイナーとして、ロゴマークや印刷物などのグラフィックデザインを中心に活動。「オギーソニック」と称したキャラバンで様々な場所を訪れ、各地で出会った人や見つけた物などの情報を発信している。

マガジン

  • 僕とみんなの往復書簡

    本当は、知っているようで、知らないことだらけだった。 僕の周りにいる、何かを作ることを生業にする人達。そんな、ものづくりをする人達が普段何を考えているのか、その作品に込めた思いや、ものづくりに対する姿勢など、知っているようで、実は知らないことがたくさんありました。 手紙のやりとりを通して、16組の出店者それぞれに、そこにどんな想いが隠れているのかを聞いてみました。 僕の好きな人達の作品を、直筆の手紙と共に、彼等の面影を感じ、想像しながら、楽しんでもらえると幸いです。 「僕とみんなの往復書簡」 日程:4/11 wed.-4/15 sun. 14:00-22:00 (sat & sun 12:00-22:00) 場所:杉並 海の家(〒168-0063 東京都杉並区和泉1-5-12)

  • オギーソニック 2015秋 福井〜上毛町編

    2015年秋、名古屋からスタートして上毛町までの旅の記録。

  • ヒトミシリーズin北陸 feat.オギーソニック

    人見知り三人による「ヒトミシリーズ」で訪れた、北陸3泊4日の旅の記録。

最近の記事

場所を変えること

今、京都にいる。 デザインでお手伝いしている、3月にオープンする宿に泊まり込みの合宿。今日で5日目だ。家以外の場所に身を置いて、だだっ広い宿に一人ぼっちになったりしながら作業している。 去年は、ほぼ東京で過ごしていたし、どこかへ行くにしても旅行という感覚、訪れた先で仕事をするということもほとんどなく、その土地の良さに触れて楽しむ。それはそれで、とても良いことだし、そうあるべきだし、それがしたいと思って旅をしていた。 以前の、名古屋、東京、鹿児島を行き来しながらの生活をや

    • またね。

      「1月は行く」とはよく言ったものだ。 2019年が始まって1ヶ月が経とうとしている。やっとだ。僕にとってはそんな感じ。 実家のある名古屋で年を越して、借りてる部屋の整理で鹿児島に飛び、もう一度名古屋に飛んで、今、東京に向かう新幹線の中。 こんなに怒涛の1ヶ月を過ごしたのにも関わらず、インフルエンザにかからなかった自分を褒めたい。新幹線の車内でもマスクは必須だ。 鹿児島最後の二週間は、荷造り、仕事、飲み会、の繰り返しだったように思う。 本当は、もっと色んな人に会いた

      • ごちそうさまでした

        僕が鹿児島に移住した年の冬、名山の角に突如現れた旅と食堂kikiは、まだあまり鹿児島に友人がいなかった当時の僕にとって、何でも話せる唯一の場所だった。 ここで出会って仲良くなった人たちは数え切れないし、移住してからの僕の交友関係はkiki無くしてはありえなかったように思う。 そんな場所が、9月で無くなってしまった。 とはいえ、長くお店を続けていれば、色々なことが起こるし、お店を始めた当初は見えなかったものが、自然と見えてくるものだ。 移動が多く中々鹿児島にいることがで

        • 「僕とみんなの往復書簡」を終えて #3 承

          いざ、便箋を目の前にすると、どうしていいか分からなかった。 一番最初に手紙を書いたのは、確かドライフラワーでアクセサリーを制作しているmichiの亜希ちゃんだったような気がする。なぜかというと、会って打合せをする最初の一人目だったからという単純な理由だった。 まず書き出しをどうしようか。 「こんにちは」いや読むのが昼間とは限らないし、「こんばんは」も同じ理由でおかしいし、「久しぶり」も会って打合せをした後に手紙を渡す訳だから、もはや久しぶりでも何でもない。色々と考えた末に

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        • 所感
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        • 僕とみんなの往復書簡
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        • オギーソニック 2015秋 福井〜上毛町編
          原田 康平(オギーソニック
        • ヒトミシリーズin北陸 feat.オギーソニック
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        記事

          今年のゴールデンウィーク

          仕事柄、ゴールデンウィークというものに影響されず、ここ5年くらいは過ごしている。 在宅で仕事ができることや、クライアントも自営業の人が多いことと理由の一つだろう。 今年のゴールデンウィークもどこかに遠出する訳でもなく、日帰りで遊びに行くこともなく、ほぼ家で普段通りの生活を過ごした。 年始からこれまで、 #僕とみんなの往復書簡 の準備で忙しくしていたことの反動だろうな、と勝手に納得している。 そんな中、唯一1日だけ出かけた日があった。それは大学時代の後輩

          今年のゴールデンウィーク

          「僕とみんなの往復書簡」を終えて #2 起

          「たぶん、僕の商品はあまり売れないと思う。」 きっかけは、この一言だった。 この部分だけ抜粋すると、語弊が生まれそうなので、きちんと説明することにする。 この言葉を投げかけてくれたのは、100%ソイキャンドルを製作しているsheepの山川さんだった。今思うと、僕と山川さんの関係性だったからこその言葉だったように思う。 山川さんは、「食事中でも使えるキャンドル」というコンセプトで、石油系のパラフィンを使わず、オーガニックや無臭にこだわり、香りをつけるとしても精油(エッセ

          「僕とみんなの往復書簡」を終えて #2 起

          「僕とみんなの往復書簡」を終えて #1 序

          自分で企画した展示「僕とみんなの往復書簡」を終えて、あっという間に1週間が経った。 山梨は甲府で延長開催をしたこともあって、今になってやっと、出店してくれた作家さんに売り上げの報告や商品の返送などの連絡をして、少しずつ普段の生活に戻りつつある。 こういう感想を自分の口から発して良いものか分からないが、誰かに展示の感想を聞かれたときに、「良い展示だったよ」と胸を張って言えるような気がしている。 前に2回ほど、同じような企画展示を催して来たが、僕がやりたかったことをようやく

          「僕とみんなの往復書簡」を終えて #1 序

          僕とマルシチ遠藤鮮魚店の往復書簡

          僕と遠藤兄弟の出会いは、昨年11月の山形旅行。 同じ年の8月10日に、リトルトーキョーで行われた「山の日ナイト」がことの発端だ。山形、山梨、山口と県名に山の付く都道府県ユニット「さんてん」の3人がイベントを行ったのだ。 山梨の五味醤油の五味さん、山口のゲストハウスrucoの塩満くん、そして、山形の前にも紹介した須藤くんの3人ユニット。そのときに、偶然居合わせたメンバーで「山形遊びに行こうよ!」と、半ばその場のノリだけで決まった山形旅行。ジモコロでもおなじみ「huuuu」の柿

          僕とマルシチ遠藤鮮魚店の往復書簡

          僕とふじ食堂の往復書簡

          僕とたけとさんの出会いは、三鷹天命反転住宅だったと思う。 2013年の秋頃、共通の友人あずあずから、三鷹天命反転住宅に1週間住むという話を聞いた。そのときちょうど東京でふらふらしていたこともあって、少しだけ遊びに行った。僕は建築学科出身だし、地元の隣県には「養老天命反転地」もあったりして、初めての人ばかりの集まりでちょっと考えたけれど、それよりも建物を見てみたいという気持ちが勝ったというのが本当のところ。 たけとさんは、そのときもご飯を作ってくれた。もう一人ご飯を作ってく

          僕とふじ食堂の往復書簡

          僕と山形座 瀧波の往復書簡

          去年の11月に初めて山形を訪れた。そのときに宿泊したのが、山形座 瀧波だった。家具職人であり、この旅館の三男でもある須藤修くんの噂は、東京、名古屋、山梨、山口などの僕もよく訪れる土地で、人伝いに聞いていた。 須藤くんは、友人と二人で立ち上げた、「山の形」というデザインレーベルとしても活動していて、一緒に活動しているもう一人のデザイナーは、僕の大学時代の友人しばしゅーだった。 しばしゅーが、山形の家具メーカーで働いていたのは風の噂で聞いていたし、僕の引越先だった鹿児島にも遊

          僕と山形座 瀧波の往復書簡

          僕とKotozukaの往復書簡

          Kotozukaという屋号で磁器作品を制作している足立さんは、前の職場の同僚の1人で1つ年上の先輩。彼女は、器のデザインを担当する部署、僕は広報・グラフィックデザインを担当する部署だったのだけど、社内の仕事場は同じ部屋だった。 大きな会社という訳ではなかったので、先輩後輩、他部署との関わりも多く、仕事とプライベートを横断しての付き合いだった。僕とハチクボくんが一緒に住んでいた一軒家に、みんなで集まってBBQやクリスマスパーティーもしたし、直島や長野、栃木、鹿児島など、色んな

          僕とKotozukaの往復書簡

          僕とDaily Coffee Standの往復書簡

          デイリーコーヒースタンドの優くんに初めて会ったのは割と最近のことで、ちょうど1年前くらいだろうか。お店のことは、岡山や東京の共通の友人から話を聞いていたり、近くに友人が住んでることもあって気になってはいた。 60リットルの大きなバックパックを背負って、目立つ格好で行ってしまったからか、店主の優くんから「オギソニさんですか?」と声をかけられたのが最初。同世代だったことや、お互いに友人から話を聞いていたこともあって、すんなりと会話ができたのを覚えている。 そのとき小腹がすいて

          僕とDaily Coffee Standの往復書簡

          僕とすすむ屋茶店の往復書簡

          僕が初めて鹿児島を訪れたのは、2010年の7月。そのときにはまだ、すすむ屋茶店はオープンしていなかった。鹿児島茶の発展に最も寄与したという人物を祖父に持つ、新原光太郎さんが「すすむ屋茶店」を創業するのは、それから2年後の2014年8月のこと。 すすむ屋茶店のお茶は、鹿児島の家でも名古屋の実家でも普段から飲むほどで、鹿児島土産にもよくここのお茶を買っていく。鹿児島に戻る度に一回は必ず訪れるし、夏限定のかき氷の時期なんかはそれ以上に。ちなみに僕は、ほうじ茶のかき氷が好き。 実

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          僕と田中友紀さんの往復書簡

          ゆきちゃんとは、2011年頃に前職の同僚ハチクボくんを介して出会った。その頃は、ゆきちゃんはハチクボくんともう一人の学生時代からの友人3人でatelier COYAというユニットを組んでいて、色々なイベントに出店していた。 COYAで出店しているハチクボくんに会いに行ったときが、ゆきちゃんとのファーストコンタクトだったように思う。 それからというもの、森道市場での出店などでちょくちょく顔を合わせたり、僕らの住む家に遊びに来たりして、いつの間にか顔なじみになった。(当時、僕は

          僕と田中友紀さんの往復書簡

          僕とhorno lab.の往復書簡

          オルノラボという名前は、色んな場所で聞いたことがあった。誰かが鹿児島に遊びに来る度に行っていた串焼きのお店「マリオファーム(今はもう無い)」のメニューの一番下にも、「オルノさんのレモンタルト」という文字があった。レモン好きの僕には見逃せない単語だ。 「レモンが好きだから」という色眼鏡を抜きにしても、そのタルトは絶品だった。串焼きで少し油っぽくなった口の中を、さっぱりとしたレモンが洗い流してくれるような感覚、甘さと酸っぱさが絶妙なタルトだった。 それから程なくしてオルノさん

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          僕とトータスコーヒーの往復書簡

          トータスコーヒーのこーすけさんとの出会いは、2012年の夏頃。僕もこーすけさんも、会社員だったときのこと。 当時勤めていた会社も3年目になり、一年の仕事の流れと仕事量も把握出来るようになったこともあって、週末によく車で色々な場所に遊びにいくようになった。その中の1つが、長野県上田市。その頃は、大河ドラマの舞台になるとはこれっぽっちも思っていなかったし、どちらかというと映画サマーウォーズの舞台となった場所、という認識だった。 僕には、よく泊まりに行っていたゲストハウスがあっ

          僕とトータスコーヒーの往復書簡