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いろんなことがありました。

書き始める時点で思うことは、きっとこの文章は長くなるだろうということ。
忘年会の集まりもあり、あと2時間で書ききれることを願うばかりだ。

今年は、いっしーの影響で「僕が好きだった曲2016」プレイリストを作成した。もし、目の前のあなたがApple Musicの契約をしているなら、これを聞きながら気楽に読んでもらえたらと思う。

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2016年の大きな出来事と言えば、7月に名古屋で開催した「オギープラザ」だ。6年前から通っていた鹿児島と地元名古屋での縁が、ようやく繋がった瞬間だった。

鹿児島出身者の人が商品を見て懐かしんでくれたり、何度も訪れてくれる人がいたり、鹿児島の作家さんと名古屋の友人が顔を合わせて話したりと、今まで見ることのできなかった景色がそこにはあった。
イベント期間中は毎日毎日が精一杯で、感傷に浸る余裕なんて全く無かったが、振り返って思い出すとありきたりな言葉だけど、やってよかったと思えるイベントだった。こういった繋がりが、他の土地でどんどんと増えていくといいなとも思う。
イベントを開催するにあたってご尽力頂いた方々に、この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

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2013年に会社を辞めて丸3年が経ち、フリーになって4年目に入った。こうやって文字にして気付いたけれど、フリーになってからの期間が会社員として過ごして来た期間をいつの間にか超えていた。

3年周期で物事は移り変るとか、人の気持ちが変わるとはよく言ったもので、秋口から僕自身の将来というかこれからのことを何かある度に考えるようになった。この3年で「どうやって稼いでるの?」「何で生計立ててるの?」「何やってるか分からないよね」「面白いことやってるよね」「色んなところに行けて良いね」などと、様々な土地で言われるようになった。

確かに今年も、青森・秋田・石川・富山・新潟・香川・岡山・広島・福岡・東京・名古屋・山梨・長野と、たくさんの土地に足を運んで色んな人と会った。この経験はきっと僕でしかできないことだと思ってるし、この動き方が僕らしいと思っている。
とはいえお金は湯水のように溢れてくる訳もなく、僕は僕なりにデザインを生業にして稼いでる。毎月のクレジットカードの請求は、ほとんどがガソリン代と高速のETC料金。この移動が無かったらもうちょっといい家に住めるよな、なんて思うこともしばしば。でも、この動き方がオギーソニックたる所以であって、この動き方をしていなかったら出会わなかった人達ばかりだし、だからこそ出来たこともたくさんある。最近は、そんな思考をいったりきたりしている。

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だが、やっぱり割とキツいのだ。

何となく生きていくだけの稼ぎはあるが、あともうちょっとお金があれば、あと少し余裕があれば、と思って諦めることは多々ある。新しいことをするためには、やっぱりある程度のお金が必要なことをこの3年で痛感した。
今年は7月から10月の終わりまで名古屋や東京の都市圏で過ごし、タイミングもあるけれどイベントだけでなくデザインの仕事も含めて、その期間が一番忙しかったように感じた。どこかの場所に滞在しているだけで、その場所以外からの声もかかりやすいということ。さらにそれが、「東京にいる」「名古屋にいる」という「事実」こそが大事なのかもしれないということ。
数えきれないほどのコミュニティが存在してる都市圏では、それぞれが緩く繋がり共存しあっている。どこそこのイベントでしか合わない友達、あるお店に行くと必ず会う友達、音楽イベントで会う友達、各々がたくさんのコミュニティの中にいて、その一部が繋がって、またその中の一部の誰かに繋がっていて。友達の友達より先の事は、ほとんど見えない友達が多い。良くも悪くも謎が多く、けれど誰とでも繋がる可能性があるということ。

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鹿児島に移住して気付いたのは、コミュニティの数が圧倒的に少ない。手の届く範囲で繋がっている友人はとても楽で居心地がよい。これは悪いことでは無くてむしろ良いことなのだけど、定期的に違う感覚を持つ人やまったく立場の違う人に会わないと思考が停止してしまうと僕は感じてしまった。そして、もうこれはしょうがないことなのだけど、同じようにデザインを生業している人にとっては互いに仕事を食い合ってしまう危険がある。

僕自身、やはり新しいものに触れて常にインプットを増やしたいし、増やさないと良いものはデザインできないと思っているし、自分の中に新しい何かが無いとデザインをするきっかけも生まれない。僕のデザインが好きで依頼をしてくれるのは有り難いが、それだけだと極めることはできても僕自身の幅を広げられないと感じるようになってきた。サラリーマンの頃は、自分が得意ではないデザイン案件や好みじゃないものでも、デザインしなければいけない強制力があったし、やってみると思いの外しっくりきたりと、自分の興味や幅を広げるきっかけになったことが多々ある。

ということで、来年から東京をもう1つの拠点として新たに加えようと思う。

それにはちゃんと布石があって、今年8月に無印良品が「鎌倉の家住まいモニター」を募集していて、実はこれに同じような動き方をしている友人と3人で応募をした。最終面談までには進んだがあえなく落選。ひとりの女性と猫4匹(名前はまだない)が暮らすそう。ここでも、猫ブームだ。まぁ、それが都心と鹿児島での2拠点生活を考えるきっかけになったのは確かだ。

ちなみに、そのとき提案したアピールシートがこれ。

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これを作ったのは、提出の前日とかで全然時間も無く、僕はデザイン、友達の二人は文章と編集を担当して、スカイプやメッセンジャーでやり取りしながら、サクサクと仕事が進んでいったのが印象的だった。自分達のこととはいえ、こんなクイックにやれることもあるんだな、と。手を付けるのは遅いものの、手を付けたら仕事が早い。このとき「あ、この3人で仕事したいかも。」と思えた。

僕らが無印良品の家でやろうとしてたことを、他の場所で出来ないかと考えている。この住み開き以外にも、前にFBで投稿したコインランドリーだったり、自分達がやりたいことを小さく緩くやりながら、そこに集まってくる人達に興味がある。3人の東京のベースでありながら実験の場としたい。
遅くとも来年の4月には家を借りて始めたいところだけど、物件次第な部分が大きい。今は、東東京で考えているけど、どこかに良い規模の2階建ての一軒家は無いだろうか。

前述したクレジットカードの請求の話、新しいことをするにもお金が必要な話、感覚の違う人の中に身を置きたい話、常に新しいものに触れたい話、強制的に自分の幅を増やしたい話。こういった点を全てごちゃまぜにしてみたら、こんな考えがここ1ヶ月で生まれた。
東京に拠点を置いて、また会社員に舞い戻るのか、フリーランスでやっていくのか、鹿児島とのバランスをどう取って行くのか、考えることは山積みだ。全ての結論はいつ出るか分からないし、結論が出せるかも分からない。とはいえ31歳になった今、当然決断は早い方が良い。

最後に、この前リツイートで回ってきたナガオカさんのツイートを。

ひとつの事を長く続けていると、途中で必ず自分との戦いになる。極めるも、別の世界に進路を変えるのも自分次第。大概、なんだかんだ理由を付けて、止めることを考える。極めるとは、止めないということかもしれない。それを選ぶのは自分。止めたいと思うのも自分。

今年は鹿児島での初めての年越し。例年なら、名古屋の実家か長野の友人宅に皆で集まる頃だろうか。新しい人といつもと違う年越し。来年から新しいことを始めるにはもってこいの年越しだ。

これはこれでよい。

みなさま、2016年も大変お世話になりました。
来年もどうぞ、よろしくお願い致します。

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