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僕は一度死んだ

僕は一度死んだ.
死の物語を追体験する中で,一度死んだのだ.
そして,その時に感じたこと,思ったこと,自分の願いがとても浮き彫りになったので,備忘録がてら綴っていこうと思う.

死を遠ざけてきた歴史の中で

我々人間は,文明を作る中で,自然を開拓し,その中に人間社会を築いてきた.
自然は,我々人間がこの世界に誕生するよりも遥か昔から存在しており,そんな場に,ほんの最近お邪魔している存在に過ぎない.
それが,我が物顔で自分たちにとって都合のいい社会を切り拓き,地球環境に負荷をかけている.

そんな自然を切り拓き,自分たちの社会を構築してきた人類の死に場所は,以下のように,病院や自宅が圧倒的な割合を占める.

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(出典:平成27年 人口動態調査)

つまり,死ぬ時に,他者から切り離され,その姿は見えないようになっている.
自然を開拓すれば,他の生物にとっての住処としては環境が悪くなり,野生の生物は切り拓かれていない自然の中へと追いやられる.
僕たちの社会から,死が少しずつ遠ざかっているのだ.
死が遠ざかることで,その現実味を失い,「生」そのものすら遠ざかっているように感じる.
自分がなぜ生きているのかがわからなくなり,死んだように生きている人が増えている.
そんな感覚がある.
この世界に生を受け,僕らはどう生きていくのだろうか.

僕らの社会は,これから超高齢化社会を迎えていく.
そんな中で,自らの死生観を見つめ直し,避けられない「死」に対して,そしてその「死」から逆算して,どのように「生」を全うするのかを考えていく必要がある.
永遠の命などない.
だからこそ,やがて来る「死」,そして今直面している「生」にちゃんと向き合うことが大事だ.
少なくとも,僕はそう思っている.

死と出会い,そして隣にある日々

僕は,初めて「死」と出会った時のことを,今でも覚えている.
小学校2年生の頃,祖父が亡くなった.
死因は知らないが,恐らく癌だと思う.
当時,特に人が死ぬということを考えたことがなかった.
しかし,現実に祖父は死に,目の前には冷たくなり,そしてもう動かない亡骸があった.
その亡骸も,火葬現場で焼かれ,最後に戻ってきたのは,遺灰だった.
祖父との記憶を思い返し,目の前で人間が灰になっていくことの恐ろしさを感じ,かなり泣き続けた.
人間が,あっさりと動かなくなり,そして灰になり行くことの恐ろしさは,当時の僕には耐え難かった.

少し大人になった19歳のとある日,後輩からLINEが入った.
僕の友人が亡くなったとの連絡だった.
意味がわからなかった.
彼とは共に浪人をしており,そしてお互い高みを目指して切磋琢磨したライバルであったし,サッカーの話をしたりする仲間でもあった.
数ヶ月前まで共に大学を目指して勉強していた彼は,めでたく1年の浪人を経て大学への進学を決めた.
僕は大学入学を決めることができず,2年めの浪人に突入していた時にことだった.

数ヶ月前まで一緒に勉強をしてた彼が,死んだ.
その意味を理解するには時間がかかった.
彼は事故で命を落としたが,yahooニュースにもなっていたが,それを読んでもなお意味がわからなかった.
意味はわからなかったが,頭の中が真っ白になったことだけは今でも覚えている.
本当に,文字通り真っ白になるものだ.
何も考えられなかった.

それから葬式に出席し,目の前で動かぬ彼と再会した.
泣き崩れる親の姿はなんとなく覚えているが,その時の記憶はあまりない.
動かぬ彼と出会った光景だけ,ぼんやりと覚えている.

それから半年ほど経ったある日,再び友人が亡くなった連絡が届いた.
その亡くなった友人は,中学時代のサッカークラブの仲間であり,クラブ内で一番仲が良かったメンバーだった.
高校3年間はたまにしか連絡を取らなかったが,中学時代にはサッカー観戦で静岡に一緒に遠征に行ったりしていた.
彼はジュビロ磐田の大ファンで,僕は彼の影響で今でも磐田のファンだ.

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詳しくは聞いていないが,彼は病気で亡くなったらしい.
葬式で出会った彼ももう動かなかった.
冷たく,目を閉じていた.
彼の家族は,共に静岡まで行ったりしていたので,当然親も,弟も妹も,面識がある.
素敵な彼の家族が泣いて,絶望するような感覚を,その葬式で感じた.

僕は彼らの死に直面した時に,確かに悲しかった.
頭も真っ白になったし,涙が止まらなかった.
そんな中でも,彼らに対して強く思ったことがある.

「お前は,この世界に生まれてきてよかったと思えるか?」
「この世界で,この日まで生きたことに,悔いはないか?」

もし,僕が死んだら,きっと親が,弟が,祖父母が悲しむだろう.
だから,できるだけ死なないように,ちゃんと生きたいとは思っている.
でも,死神はいつ僕を迎えに来るかはわからない.
だからこそ,僕は,今この瞬間をちゃんと生きて,死のその瞬間を迎えたとしても,この世界に生きたことを誇って死にたい.
それがせめてもの,親への感謝であり,親孝行だと思うから

僕は,そこから,「生命を生き切りたい」と願うようになった.

死の物語を追体験して

自分の生命を行き切るためには,死から逆算していきながら,今とすり合わせていくことが大事だ.
自分はどんな人生を歩みたいのか,達成したいことはあるのか,何をしていたいのか,どう在りたいのか.
大学時代は,様々な活動をしながらも,根底にこんな問いがずっとあった.

自分が考えていること,そして現実にそうした場面に直面することとでは,恐らく違うのだろう.
だからこそ,死ぬのは怖いけれど,どういう感じなのかには興味があった.

今回,死の物語を追体験する中で,自らの大切なものを少しずつ手放して行った.
死に行く中で,最後に何かを持ってあの世に行くのではなく,最後は全てを手放してこの世界のありとあらゆるから解放され,そして向こう側の世界へ行く.
そんな感覚を感じた.

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実際に死んだわけではないからこそわからないが,それでも死の物語を追体験する中で,自分がこの世界に持っていると思っているものを手放していくことが,どれほど怖いかをとても痛感した.
周りにある自然,周りの人間との関係性,そして自分の中にある想い.
そうしたものを一つずつ手放していくことは,とても怖い.
そして,その時を迎える度に,逃げたくなった.
いっそ,早く全てを手放して死にたい.
そんな感覚だった.

だからこそだろうか,僕が最後に持っていた,大切なものを手放す瞬間は,どこかホッとしたような,そんな気がした.
怖くて,逃げたくて,そんな現実に直面した時,人間は本当に死にたくなるのかもしれない.
ある意味では,それしか道が残されていなかったからかもしれないが.

遺書を書いた時,僕は関わってくれた人に対して,この世界に対して,ありがとうを伝えたくなった.
もっと生きればもっとやれることはあったかもしれないが,それでも自らが生きた人生に対して,特段の悔いはなかった.
強いて言うなら,やはり家族を残して死ぬということに対しては申し訳なさがあったが.

この世界に生まれてきたこと,佐竹宏平という,自分として生まれ育ったこと,これまで出会った人,そして起こった事象.
どれ一つとして悔やむことはなく,全てを誇りに感じられた.
ありがとう.
純粋にその気持ちが溢れ出した.

後世へと遺していけるものは何か

例え,生命の灯火が消えようとも,その灯の消える最後の瞬間まで,後世へと遺し続けたい.
言葉でも,生き様でも.
そう強く感じた.

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内村鑑三が,その著『後世への最大遺物』で語ったように,最大遺物としての,生き様を遺していけるように.

自分の想い,考え,関係性,気持ち.
全てを出し惜しむことなく,今あるものを,目の前の人に届けていきたい.
それをやめると,きっと死ぬに死に切れないんだと思う.

そうやって生き続けることが,僕にとってのより善い生き方であり,そう生きることが,僕にとっての喜びになる.
だから,死ぬその手前まで,僕はより善く生き続ける.

読んでくれてありがとう.
みんな,いつもありがとう.

心からの感謝を.

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