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加賀移住記(1)

先日,京都での生活を終え,昨日石川県加賀市に到着した.
これで,僕は名目的には加賀市民になったわけだ.
昨年の9月より4ヶ月住んだこのまちは,何よりも美しく,遊牧民であり,京都を愛する僕を移住にまで駆り立てた.
少し前の自分には,地方創生や地域活性という言葉に興味を示さなかったし,まして移住するなんてあり得なかった.
昨年,加賀に来る前の僕は,微塵もそんなことは考えなかった.
それでも,僕はこの街に住むことを決めたし,今加賀市にいる.
なんとも人生は面白い.

僕はいつだって理想を語る.
しかし,理想を掲げながらも,僕らは現実を生きていくことになる.
時に理想と現実の距離に苦しんだりするかもしれない.
それでも,僕は現実を生きるし,そうである以上この現実を愛する.
そして,同時に理想を掲げながら,語り続ける.

理想を語りながらも,現実を生きる覚悟の一つとして,
加賀への移住記を綴ることにした.
理想の世界,生命,マクロな世界を語り続ける僕が,
等身大の地方,価値観,ミクロな世界を生々しく伝えていくものにしようと思っている.

▶︎共同体の在り方,人間の関係性

よく地方のいいところの一つとして,コミュニティがあること,人の距離が近いことが挙げられる.
元はこうしたゲマインシャフトが優位であったはずだ.
資本主義が世界を支配する中で,ゲマインシャフト的共同体は崩壊し,個人への帰結を求めた.
同時に価値を求められる個人は,機械的な結びつきの中でゲゼルシャフト的共同体を大きく拡張してきた.

今日,都会に行けば,近所に住んでいる人間のことを知る機会はほとんどない.
かつて京都で一人暮らしをしていた時,隣の部屋に住んでいる人がどんな人なのかなんて全く知らなかった.
生活のタイミングが被らなければ,隣人と顔をあわせることだってなかった.
そんな状況の中,言葉にならぬもやもやを常に持っていた.

大学入学以前は,地元の近所のおじちゃんもおばちゃんも知り合いだったから,歩いていれば知ってる人に会うのが日常だった.
挨拶をする程度だったが,それだけでも互いに関わりあってる感は確かにあった.
それが幸せに直結するわけではないのかもしれないが,それでも隣に住んでるのに知らないふりをするよりも,よっぽど生きている感覚があった.
まさに地縁に基づくゲマインシャフト的な有機的共同体はそこにあったように感じる.

一方で,その内情は,過干渉が存在している.
ゲゼルシャフト的共同体がベースになっている今日の関係性の中で,地方に残っているゲマインシャフト的共同体に僕自身少なからぬ憧れを抱いていた.
互いに互いのことを知っているし,知っているから必要があれば助け合える.
そんな原風景を想像していた.
しかし,実際に住み始めてからは,これまでに関わらなかった人との関わりや,住むという営みから,過剰に干渉してくる人がいることを体感している.
これが原因で都会への憧れを抱く人,地方への嫌悪感を抱く人も一定いるだろうし,それは自然なことのように感じる.
個人の時代とすら言われる時代の中で,窮屈さを感じるし,個人として生きられないような感覚を感じる瞬間もある.
それでも,やはり互いに心地よい距離感を保ちながら,助け合える関係性には可能性を感じるし,共同体の内部における個々人が自立的であることというのはとても大切だと感じる.

きっと,僕ら人間は,他者と関係し合う中で生きている.
誰かが承認してくれるから,今ここにこうして存在できるわけだし,
それがなければ,生きていられないかもしれない.
そういう意味では,関係し合いながら生きてる,いわゆる地方の方が,自分の生命を感じられるのかもしれない.
だからこそ,その生命を生きるための関係性を築いていきたいと改めて思った.

▶︎閉ざされた関係性と動かぬ価値観

加賀に越してきてから,市民の方とお話する中で,まだなんとかしようとしている人,もう諦めている人,今に必死な人など様々な人がいる.
この街に対する想いが重ならない人同士は,なかなか出会わない.
なんとかしようと思っている人は,それなりに市の動向であったり,外部のプロジェクトに参加するし,諦めている人は,諦めている人同士で酒を飲んで,愚痴をこぼし合う.
今に必死な人は,もはやどこかと関わり合うことはなくて,どんどん孤立していく.
エコー・チェンバー現象が進み,自分の意見や考え方,加賀への想いに近い人が集まっているような現状がある.
昨年,加賀市の若いお母様方にお話を聞く機会があったが,やはりどちらかの実家でそれまで大切にされてきた価値観は,親から子へと受け継がれていく再生産の構造があるというお話をしていただいた.
例えば,家庭においては,男性は働いて女性は家庭に入るのが当たり前だし,家のことは女性がすることになっている.
女性が働こうと思っても,パートができればマシで,パートすらさせてもらえず,家庭に閉じ込められてしまう人もいるという話を聞いた.
奥さんが働いているともなると,男性側は「そんなに稼いでないのか」と言われる対象となり,プライドを傷つけられると言う.
こうした,都会へ行けばもはや古いとすら言われるような「男尊女卑」や「学歴マウンティング」,「年功序列」などは未だに残っている.

加賀に越してきてから,或いは昨年住んでいた時にも,どこの大学出身なのか,年齢は幾つなのかを聞かれる.
自分の方が上だと思ったら,マウンティングにも近いようなことを言われることもある.
僕は,「そうなんですね」と思って流すわけだが,やはりそれが大切にされている価値観と,そこから脱しきれない構造が存在していた.
SNS上でもフィルターバブルが問題となっているが,地方と言われる地域にもエコー・チェンバー現象は強く根付いていて,関係性は閉ざされている.
少しずつ分断していて,価値観は再生産され続けて,特にそうした高齢の世代は,インターネットなどにアクセスすることなく,地域の人との話し合いや新聞やテレビなどのメディアがメインの情報源となっているため,新しいものに触れられない形が出来上がっている.
そんな中,少しでも違和感を持ったりしている人たちが,新しく出会えるような仕組みをこれからちゃんと整えていきたいし,そういう場を設けることはこの地域においては必要だと改めて感じさせられる.

▶︎移住という手段と覚悟

移住というとハードルが高く感じる人もたくさんいるだろう.
でも,これは一つの手段としてはとても有用に思う.
住むと決めてから,どこか接し方が変わったようにも思うし,一加賀市民として受け入れられるまでに,もちろんもっと時間はかかるだろうけど,そこに根ざして初めて見える世界もある.
グローバルの論理はローカルでは通用しないが,ローカルで適用可能なものはグローバルにも適用可能だと思っている.
一つの具体的なフィールドとして,この地域で形を作ることでこそ,より広くナショナル,グローバルな次元を作っていけると信じている.

悩みもたくさんあるが,悩みながらも,一歩ずつ,ゆっくりと地域に根ざし,未来への希望の旗を降ろすことなく歩んでいきたい.

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