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平成から令和へ,そしてその先へ

平成という時代に生まれ育ち,人生で初めて改元を体験した.
決して,そんなに多く体験できることでもないと思う.
そういう意味では,今年の体験はとても貴重なものだったと思う.
そして,改めて,時代という大きな流れの中で自分がどう生きるのかを見つめ直す機会となった.

この度即位された今上天皇は,御年59歳.
今回のような生前退位を前例として行っていくのか,はたまたこれまでのように御存命の間は退位されないのかはわからない.
それでも,御年と寿命等から考えれば,これからこの時代は2,30年続いていくことになるだろう.
逆に言えば,あと2,30年もすれば,令和という時代は一つの区切りを迎え,次の時代へとまた移ろいゆくのだと思っている.

生まれ育った失われた平成

僕が生まれた平成という時代は,いつ聞いても失われた30年と言われる.
昭和世代の人は,過去を懐かしみ,そしてその面影の中で平成を生き続けたような感覚がある.
経済成長は確かに低迷し,平成後期には科学技術の大きな発展や気候変動など,良くも悪くも様々な変化の兆しが垣間見えた.

大人たちの都合でゆとり世代にされた僕たちは,幼少期から年金制度が崩壊することは知っていたし,もはやもらえるなんて希望を持っていたことはないように思う.
それでも,この年になって感じるのは,年金がもらえないから社会と断絶していいわけではないし,ある意味では自分のためにも社会の環境が整っていて欲しいと願っているということだ.
バブル崩壊後の低成長は,僕らの世代には当たり前で,その時代しか生きていない.
故に,バブルを懐かしむ大人たちの言葉は,もはや過去を眺めることしかできない諦めの言葉のようにも聞こえる.
物質的豊かさが一定程度確保されたこの日本で,次なる豊かさを模索していく必要があると感じているし,それはバブル期のような近い過去を回顧し,そこに縋っていては,変化の速いこの時代では尚更過去に取り残されてしまうことになる.
決して成長しろとか,過去を懐かしむなと言っているわけではないが,それだけでは未来が切り拓けないというのはほぼ自明だろう.

平成という時代そのものに,生きてきた時代としての愛着はあるが,決してその時代がよかったと縋るほどいい思いがあるわけでもなく,僕は次の時代を切り拓いていきたいと心から願っている.

平成から令和へ

経済低成長,気候変動,科学技術の発展,様々な事象が,僕たちの前に,現実として立ちはだかる.
ゲノム編集の倫理性やAIのトロッコ問題,ドローンによる殺戮の可能性.
アマゾンは焼け,異常気象が多発する.
紛れもない現実の事象であり,そこから目を背けて生きることは,善く生きることから大きく離れてしまう.
どれだけ,それがダメだと思っても,科学技術は発展し,そして格差が生まれてしまう.
僕らは何を望むのだろうか.

今,改めて自分の心の願いに耳を傾けた時,やはりこの世界で創りたい未来がある.
しかし,そのための障壁はあまりにでかい.

これから30年後,未来に責任を持つのは今の60代よりも,20代だ.
死際に逃げ切れる世代が,見栄のためにこの国を引っ張っていくことはもはや限界で,ほんとうの意味で,未来に責任のある世代が引っ張っていく必要があると思っている.

昭和の名残を引きずった平成は,後期にはもはや中期までとは全く異なる時代の様相を見せていたように感じる.
次の時代への変化の兆しだ.
令和という時代への変化は,喜ぶ者や期待する者も多かったような気もするが,僕は令和というこの時代こそが,分岐点になると思っている.
これからますます環境の変化が大きくなり,経済の成長の限界とぶつかりながら,それでも格差は拡大し,そして科学技術は着々と発展する.
科学技術で乗り越える以上に,人々が信仰していた無限の経済成長は,もはや死んだ.
経済の成長角度を上げること以上に,成長してきたそのプロセスで取りこぼしてきたものはなんだったのか.
そこに目を向ける時期なんだと思う.

令和という時代の生き方

近世西洋的パラダイムは揺れ動きながら,次のあり方を導き出せずにいる.
僕らは,この時代をどう生きたらいいのだろうか.

令和という時代は,恐らく忍耐の時代になる.
あまりにも多くの課題が僕らの前に迫り来る中,どれだけそれに対処できるのか.
そして,そちらに対処しながらも,創り上げたかった未来を忘れずに持ち続けられるかどうか.
目の前の課題は,時に僕らを絶望の淵に追いやるかもしれない.
東京に首都直下型地震が来ると叫ばれても,それでも若者は東京を目指して集まり,地方を搾取し続ける.
一地方にいる人間としては,ある意味では既に絶望しているのだが,それでも自分が描く未来に向かって,今できることをやり続けるしかないのだ.

自らの内にあるビジョンを,一度自分のやるべきことと向き合った時に,一旦ポケットにしまうこともあるだろう.
しかし,そのビジョンや想いが,いつでもポケットにあることを確認しながら前に進むしかない.
そのためにも,分野横断的に,そして多様な仲間との交流を絶やすことなく,議論を重ね,手と足を動かしていくしかない.

インターネット上に情報が氾濫している時代だからこそ,安易な情報に飛びつく人が多い.
しかし,大きな潮流はただの一過性のものであり,その根底に流れる本質の流れを自ら掴みに行くことが大切だ.
その過程は,苦しく,そして難解で複雑なことが多い.
それでも,目指すべき未来があるならば,その過程を一人ではなく,みんなと共に歩んでいくしかない.
それを諦めることは,即ち未来を諦めることになる.

仲間と共に,迫りくる未来に対して対処をしながら,難解で複雑な過程を進み,時に絶望しながらも,一歩ずつ歩みを進める.
これが,この令和という時代の生き方になるだろう.

令和の,その先へ

僕らがこの時代,どれだけ踏ん張れるのかによって,たどり着ける未来が変わってくる.
もし,諦めてしまえば,地球環境は悪化し,人類vs人工知能の未来だって実現してしまうかもしれない.
かつて,人類の創造主とされる神が,ニーチェによって「神は死んだ」と表現されたように,人工知能の創造主たる人類が,その覇権戦争によって死ぬことだってあり得るのだ.
或いは,自らを生かしてくれていた地球環境によって,癌として絶滅されるシナリオだってあり得るだろう.

僕らが望む未来があるならばこそ,その未来が必ず訪れることを全身で信じつつ,今まさに迫ってきている未来に対して対処をしていくこと.
そして,土俵の外に出ないように残りの2,30年をどれだけ踏ん張れるかが令和の次の時代を切り拓く唯一の在り方なのではないかと思っている.

令和を終えた時に,僕らが次の時代へときちんと想いを馳せれるように.
諦めることなく,仲間と共に,一歩ずつ歩んでいきたい.

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