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「愛」を語ろう

君は,誰かと分かり合えているだろうか?

分かり合えているとしたら,どれくらい分かり合えているのだろうか?

僕は分かり合うことはとても難しいと思っている.
不可能というつもりはない.
しかし,現に難しいだろうと思っている.
特に,これだけ様々な面で多様性が顕在化している現代においては.

▼僕たちは分かり合えない 

僕は視力がとても悪い.
左右差もあるので,メガネをかけても,免許を取れるか取れないかのギリギリくらいまでしか視力は上がらない.
定義で言えば,障害者にあたる.
昔は視力はよかったと思う.
でも,今は誰かの顔,街中の看板,夜空に輝く星ですら,
今の視力では捉えることがすごく難しい.
だから,きっと視力がいい人とは分かり合えないだろうと思う.

僕の身体は男だ.
気持ちも男だ.
そして,恋愛の対象は女性だ.
もしかしたらどこかで変わるのかもしれないが,
今の時点での僕のパラメータはそういったところにある.
だから,身体と心の性が一致しない人や同性が好きだという人と分かり合うことは難しいだろうと思う.

これらは,別にどちらが優っていて,どちらかが劣っていると言いたいわけではない.
別に,自分と違うから,彼らを貶めたいとか,距離を取りたいというわけでもない.
ただ,自分と違うパラメータを持っている人に対して,分かり合うということはあまりにも難しい.

江戸時代までのように,
共同体の役割が強く,どこか画一的な生活や人間が輩出されるような循環の中にいれば,
もしかしたら少しくらいは分かり合えたのかもしれない.

明治以降の「富国強兵」や「殖産興業」のような共通の目標に向かって,
教育で画一化された人間が大量に生まれ,
同じような生活をしている人々の間ではもしかしたら今よりも分かり合えたのかもしれない.

でも,今日,様々な点で多様性が顕在化している.
そのような世界で,やはり僕らは分かり合うことは難しいのだ.

僕は,自分と性的指向の異なる人と,
その点に関して分かり合うことはできないと思っているし,
視力という点で障害者ではない健常者と,
その点に関して分かり合うことはできないとも思っている.

▼分かり合えなくても

だが,この分かり合えないということは,
別にこの世界に対する諦めでも,
誰かを突き放すということでもない.

僕らは分かり合うこと,共感してもらうことを求めすぎている.

もちろん,共感してもらえたら,それはその人と重なり合う部分を見つけるということだから,素敵なことだと思う.
もし,周りに分かり合える人がいればそれは大事にしたらいいんだと思う.

でも,やはり大多数の人とは分かり合えないし,共感できない.

だからこそ,
自分の前提に「分かり合えない」「共感しあえない」ということがあるだけで,
無理な共感も分かり合いも求められなくていいんだと,気が楽になる.

▼分かり合わない「愛」のカタチ

分かり合えない,共感しあえないから突き放すのか?
距離を取るのか?
別にそういう話がしたいわけではない.
きっと,僕らには本当は分かり合うことも共感もない「愛」のカタチがあるんだと思う.

僕はその「愛」のカタチとは,
「理解すること」だと思っている.
それは相手の言っていることを理解すると言った表面的な話ではない.
相手が何を感じているのか,
その言葉の裏には,本当はどんな感情があるのか.
その感情の根源には,目の前の人,この世界に対して,どんな願いがあったのか.
そうした言葉の奥底の,より根源に近いところから奏でる音色に耳を澄ませてあげること.
それが「愛」なんじゃないかと思っている.

これはきっと,他者のみならず,自分にもあてはまる.
ふと見えた負の感情(と呼ばれるもの)にぶつかった時に,回避したり忘れようとしたりするんじゃなくて,
「あ,僕はほんとうはそう感じてたんだね」って,
ちゃんと自分の内側にあるものを理解してあげること.
それは自分に対する「愛」として存在しているのではないだろうか.

多分,僕らは本当は理解されたいだけなんだ.
例え相手と意見が食い違おうが,
価値観が自分のそれと相反するものであったとしても,
きっと理解することはできる.

長く時間がかかることかもしれない.
少し話しただけでは難しいかもしれない.
だとしても,相手を理解する姿勢を欠けば,きっとそこに安心はなくなってしまう.
でも,最初は理解できなかったとしても,その音色に耳を傾け続ければ,きっといつか理解できるから.

▼「愛」を取り戻せ

他者のことを理解すること.
別に共感しなくてもいい.
分かり合わなくてもいい.
ただ,理解するだけだから.

きっと,みんな理解されたいんだと思う.
だからこそ相手に理解を求めるし,
それをもらって,初めて自分も理解してあげる,と言いたくなることもあるだろう.

しかし,人間関係を取引と見れば,どちらも先に出した方が損だと考えるだろう.
お互いが先に出した方が負けだと考えている限り,きっとどちらも理解しようとしないし,信頼しようとしない,愛しようとしない.
人間関係は取引じゃない.
ただ,この世に生を受けて,幸せになるために生きてるんだ.
あなたの生命は,損得勘定で喜ぶのだろうか?
きっとほとんどそうではないだろう.

相手の奏でる音色に耳を澄ますことを諦めてしまえば,忽ち世界は地獄へと化していく.
そんな世界にはもはや「愛」はなくて,他者の言葉尻を捉えて叩き合う世界になる.
誰もが生きにくさを感じながら,それでも自分の大切な何かを守るために鎧を着て武器を振り回し続けることになるだろう.
これからの戦場は,リアルな武器から言葉に変わり傷つけ合う,とても悲しい世界になる.

そうではなくて,自分が理解してもらうためにも,
まずは他者を理解すること.
あるいは,自分を理解すること.

自分の状態が変われば,きっと世界は変わるから.

そして,きっとそうしてあなたが「愛」を与え続けることで,
この世界は少しずつ,「愛」を取り戻していく.

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