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【随想】ウィークエンド

この週末は久々に姉弟4人が実家に集まって父の誕生日を祝い、姉の出産を労う予定だった。こう書けば、それが叶わなかったのだということは推察されるであろうが、別にそう悲劇的な話でもない。よくある話なのだと思う。

水曜日のことだ。長女は双子を出産してまだ三ヶ月と経っていなくて、旦那が仕事で夜いない時に、まだ首の座っていない双子の面倒を一人でみるのは、それはもう大変なことなのだ。そんなわけで、その日長女は双子を連れて次女の家に泊まりに来ていた。次女には一歳半になる娘がいるのだが、これがたいそう面倒見の良い子で、自分だってまだ大半のことは人にやってもらっている身であるにも関わらず、その小さな(そして加減の効かない)手で、ばしばしと双子の面倒を見てくれるのである。姉たちはひやひやしながらも温かくその様子を見守っていたわけだが、その翌日になって、僕の所に次女から連絡があった。「今日仕事?」と。木曜日のことである。当然仕事があるわけで、そのことは姉も承知のはずだが、どうも何かあったらしい。聞いてみると、娘(僕にとっては姪)が熱を出したので世話をして欲しいということであった。

結局その日は姉自身が無理を言って仕事を休ませてもらったようだが、そう何日も仕事を休めるほど社会は寛容ではないので、その翌日は都合がついたので僕が昼過ぎまで面倒を見ることになった。

言葉の習得に伴って得られる能力は多くある。人が現在を離れて過去や未来へと想いを馳せることができるのも言葉のおかげだ。過去や未来のことを考えると、それと比べて現在何が「ない」のかを知ることができる。つまり、言葉を習得すると、物事の「不在」を認識できるようになるのだ。        「ママがいない!」                          僕と二人、部屋に残された一歳半の姪は、必死に「ママ! ママ!」と叫び続けた。そう呼び続ければママが帰って来るかのように。しかしママは帰って来ない。その日のシフトは一七時までなのだ。赤ん坊にとって母とは文字通り母体である。母のシフトの都合を知らない赤ん坊にとって母体の喪失は死活問題であり、とにかくその場にいる僕に抱っこを求めるより他にその不安を和らげる手立てはなかったのである。

言葉を習得し始めた姪は、以前とは違ってはっきりと「抱っこして」と求めて来る。それをないがしろにできず、僕はひたすら求められるままに抱っこをした。疲れたので抱っこをしたままソファに腰掛けた。すると「抱っこして」と姪は言う。抱っこしているじゃないか。しかし姪は頑だ。なるほど、抱っことはただ手で抱きかかえる動作を指すのではない。全身運動なのだ。僕は再び立ち上がった。姪はたとえ食糧難が突如やってきたとしてもしばらくは生き抜ける体型の持ち主だ。ありていにいえばデブなのだ。一方僕は姪の感じる不安とその重みを長時間受け止め続けられるようにはトレーニングしていなかった。とても疲れるのだ。しかし、人類はより安全でそして少しでも育児を行えるように様々な発明をしてきた。抱っこ紐もその偉大な発明品のうちの一つである。「抱っこ」紐というくらいだ。それをして抱っこではないはずがない。僕は抱っこ紐を装着し、その中に姪をすっかり丸め込むと、すぐにあることに気がついた。これもまた「抱っこ」ではないらしい。姪の求める「抱っこ」とはなんとも狭義なものであることか。しかし、それもそのはずだ。姪は別に抱っこをして欲しいわけではなく、母のいない不安を埋め合わせてもらいたいのだ。僕は結局その後三時間ほとんど座ることなく「抱っこ」し続けた。

姉からその夜電話がかかってきた。RSウィルスでした、と。RSウィルス、嫌な響きである。この響きには嫌な思い出がつきまとう。去年のクリスマスだ。姪にとっては初めてのクリスマスである。その数日前、姪は初めてのRSウィルス感染をした。クリスマスの日、入院した姪を見舞いに行った。ささやかながらチキンを買っていった。病室に入ると、姉は苦しそうにする娘を懸命にあやし、明るく励まし続けていた。しかし、僕の訪問に気づき顔を上げたその顔は睡眠不足と気疲れでひどくやつれていた。憚らずに言えば、その姿は死にながらに地上を這い回るゾンビを彷彿とさせた。愛とは狂気である。その時確かにそう思った。結局、姉の旦那と三人で交代しながらチキンを貪った。

そのRSウィルスに再び罹ったというのだ。二歳までの間にほぼ全ての子どもが感染するというRSウィルス、しかしどうしてこういつもタイミングが悪いのか。結局、週末の会合に次女とその娘は欠席せざるを得なくなり、残りの三人と姉の双子が実家に集ったのである。

しかし、物事の因果関係を辿っていけば、この後何が起こるかは明白であった。というのも、RSウィルスはほとんど全ての子どもが罹るものであり、そして長女は双子を連れて水曜日に次女の家を訪ねていた。次女の娘はとても面倒見がよく、僕はその娘を三時間抱っこしていた。つまり、そこにいた誰もがRSウィルスを持っていたといってもよい。水曜日から数えて四日、ウィキペディアに書かれていた通りの潜伏期間を経て、双子のうちの一人が発熱した。当然、予定はすべて中止。今回の会合のために予定を反故にしようとしていた弟はその必要がなくなったため、急遽東京に戻ることになり、そのついでに僕も駅まで送ってもらい、東京に戻って来た。まだこれから出掛けたり、映画を観ることもできたが、どうもそういう気にはなれずこの文章を書いている。そう悲劇的な話でもなく、よくある話なのだが。            了

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