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【米国への語学留学から5年で永住権を取得した私の人生】②永住権を取得できた2つの要因

皆さん、こんにちは。大澄紅希です。先日、第1回目を配信した『米国への語学留学から5年で永住権を取得した私の人生』。第2回目となる今回は、「永住権を取得できた2つの要因」についてお話したいと思います。

前回の第1回目では、「私の経歴」についてお話しました。前回の記事をご覧いただいた方はお分かりの通り、私の経歴は、決して人様に誇れるものではありません。それどころか、この経歴を見た限りでは、私がアメリカで永住権を、それもわずか5年で取得したとは到底考えられないことと思います。自分でも未だに驚いているぐらいです。しかし実際に、2014年の4月に渡米し、2019年の2月に永住権を取得しました。(厳密には5年かかりませんでした)

ではなぜ、日本ではろくに勉強もせずサッカーしかしてこなかった私が、たった5年で永住権を取得できたかです。結論から言います。それは、

1.人や社会のために本気で励み続けることができた
2.直観のおもむくままにリスクを恐れず行動し続けることができた

からです。恐らく、「そんなことか」と思った方もいるとは思います。ただ、今こうして冷静にこれまでの自分を分析した結果、上記の2点が、永住権を取得できた最大の要因だと断言できます。

ではそれぞれ解説していきます。まず一つ目の要因である「人や社会のために本気で励み続けることができた」についてですが、私は主に以下の方たちに対して本気で励み続けることができました。

1.会社
2.アメリカでの飛躍を志す未来ある日本の若者

まずは会社です。先述の通り、私は日本でサッカー一本の人生を送ってきました。勉強は試験前に最低限やる程度で、成績はお世辞にも良い方とはいえませんでした。かといって、サッカーの実力も特に大したことはありませんでしたので、学業・スポーツ共にこれといって振るわずの人生を歩んできました。こんな私でしたので、日本の就職活動は失敗しています。(こちらに関してはまた別の記事で詳細をお話します)そんな状態の私を救って下さったのが、2014年4月から2019年8月までお世話になった前の会社でした。なんの才能もない無知な私を採用して下さったこちらの会社には、入社前から恩義を感じていました。

そのため、こちらの会社に所属した5年間は、本気で会社のために尽力した自負があります。なんとか会社への恩を返そうと、私を採用したことを後悔されないようにと、必死に会社のために働き続けました。そうすることで、徐々に会社からの信頼を勝ち取ることができ、結果として"永住権"というご褒美を頂くことができました。(私がこちらの会社でどのように信頼を勝ち取っていったかについては別の記事にてお話しますが、結果的に1,500万円以上の投資となったプロジェクトを任せていただきました)

続いて、アメリカでの飛躍を志す未来ある日本の若者についてです。これは、私が前の会社で携わった事業内容と直結します。アメリカで教育事業を展開されていたこちらの会社で、私はサッカー事業部(主にアメリカへのサッカー留学を希望する方へのパスウェイの構築/提供)を任せていただいたのですが、ここで私は、真剣にアメリカでの飛躍を志す未来ある日本の若者と向き合い、彼/彼女らの夢実現に向けて動き続けました。うまくいったこともあれば、思うような結果に繋がらなかったこともありました。それによって、精神的に追い詰められたことも多々ありました。ただ、会社のサポートもあり、逃げることなく彼/彼女らの人生に真剣に向き合い続けることができ、その結果として、事業と共に会社は徐々に成長を遂げ、より社会から必要とされる組織へと発展していきました。(こちらの会社での私の成功談失敗談については、別の記事にてお話します)

このようにして私はこの5年間、本気で"会社"と"アメリカでの飛躍を志す未来ある日本の若者"に対して真剣に励み続けました。ここで肝心なのは、その際私が一切見返りを求めていなかったという点です。お給料をあげてもらいたいや、永住権を頂きたいという卑しい欲は、私の中に一切なかったと言い切れます。会社への恩返しがしたい/そのために自分が任された事業を発展させる/そのために人や社会から必要とされる存在となる。それが私のモチベーションとなり、私を奮い立たせる原動力となっていました。

そして二つ目の要因である「直観のおもむくままにリスクを恐れず行動し続けることができた」についてです。とまあカッコよく書いてみましたが、実際は「何も考えずに自分が進みたい道を進んだ」だけです。適した表現をすれば、「バカが功を奏した」です。これについては、堀江貴文氏が分かりやすく説明してくれていますので、それを引用させていただきます。

「バカは平気でリスクを取り、失敗を怖れない。いい意味で鈍感。何度でもチャレンジを仕掛けられ、結果的に成功する。バカは最強なのだ。これに対して、会社勤めのダメなヤツらは、会社というベンチに自分の意思で座り続け、打席に立たない臆病者だ。ベンチにいながら、チーム内で評価される方法はあるけれど、上司の機嫌をとったり同僚の足を引っ張ったり、そういう小手先の知恵しか働かない。人としての根本的な不安は解消しないのに。」

堀江貴文著『バカは最強の法則~まんがでわかる「ウシジマくん×ホリエモン」負けない働き方~』より

そういうことです。まさに私はこの"バカ"の部類に当てはまります。大学3年時に1年休学してニューヨークに留学したとき。日本の大学を卒業したあとにサンディエゴに留学したとき。前の会社でサッカークラブを立ち上げたとき。前の会社を辞め個人事業主になったとき。これらについては別の記事で詳しくお話していきますが、結果的に全てリスクを恐れない決断ができました。ただあくまでこれは結果論に過ぎません。何も考えていなかっただけです。ただそうしたかっただけです。それが功を奏しました。

長くなりましたが、今回の記事で皆さんにお伝えしたいことを再度おさらいです。私が米国への語学留学から5年で永住権を取得できた理由。それは、

1.人や社会のために本気で励み続けることができた
2.直観のおもむくままにリスクを恐れず行動し続けることができた

です。これができれば、どんな方にもアメリカで永住権を取得できる可能性は大いにあると言い切れます。では私がどのようにして、このアメリカへの道を切り開いたかです。そこには、私がニューヨークで直面した"人生の分岐点"が大きく関係しています。次回は、私の人生を大きく動かしたこの"人生の分岐点"に関して、皆さんにお話したいと思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに!

Crimsope代表 大澄紅希


記事をご覧いただきありがとうございます!皆様のサポートが大きな励みとなっています。共により豊かな人生を歩んでいきましょう!