見出し画像

憧れのゲッターズ飯田さんのトークショーに行けた話

 私の朝は、ルーティンと呼ぶにはアレだが、起きられた時間から6時までズームに繋いで、顔も洗わぬまま勉強をするところから始まり、家族の支度の準備をして、小学生と夫がでかけて、7:20頃は、次女の幼稚園の連絡帳アプリを起動して、体温なんかを入力して、終わった頃に、ラインなんかをチェックしている。その日もそんな感じで過ごしていたが、毎朝のように届く、ゲッターズ飯田さんからのラインで瞳孔がかっぴらく。あのゲッターズ飯田さんが、「宇土市」に来ると書いてある。宇土とは、お世辞にもハイカラな市といえる感じではなく(宇土関係者の方ごめんなさい)来るならもっとアクセスいいところや良い建物があったろうに(関係者の方重ね重ねごめんなさい)なんで宇土〜!?!?と、日にちは後からどうにでもなるだろうと思い、予約可能日をキッチンのカレンダーに書き込んだ。

 私と普段仲良くしてくださっている方、あろうことか私に相談事や泣き言をこぼしてくださったことがある方なら、かなりの確率でゲッターズ飯田さんの名言や格言を紹介したことがあると思う。いかにもいいこと言ったふうにしているときの出どころの8割はゲッターズ飯田さんです、残りの1割は瀬戸内寂聴先生、1割が樹木希林さんだと思っていてください。机に向かっているときも右を向けばゲッターズ飯田さんのいい言葉が書いてある日めくりカレンダーと目が合うほどに、好きと言ったらそうだけれども、それだけではたりない、推しと言ったらいや、そんな感じではない、崇拝と言ったら怪しいけれど、でもそれが一番近い感情かもしれない、そんな存在の飯田さん、一生のうちにいつかお会いできたらと、うっすら思っていた飯田さんが、あの宇土市に来るなんて(だから本当にごめんなさい)なにかの間違いであって、すみません!表記ミスでした!宇土には来ません!みたいなことがあっても、怒らないでおこうと思った。

 朝と昼の2公演あるうちの、なんとなく昼を予約したことは、大正解だった。その時点でまだ未定だった、子どもの習い事の用事が見事、朝から入った。朝の公演をもし選んでいたら、子どもたちを休ませなければならなかった。もし休ませたとしても、普段はあれだけ休むなという母が、簡単に休ませたとなったら、子達にも矛盾が生じるだろうし、理由がまた仕事ならまだしも、限りなくミーハーな趣味と後日わかっては、示しがつかないにも程があるので、あのときとっさに午後を選んだ私は、本当に賢かった。何度もグーグルマップで朝の用事の先から家に帰り着くまでの経路と時間、夫が帰ってくる時間、もしも子どもたちの行事が押した場合の頼める先、帰ってすぐ食べられる昼ごはん、何度もシュミレーションを繰り返し、「もし行けなかったときは、まだ私には飯田さんは早かったということだ」と、言い聞かせていた。

 飯田さんの講演会当日は、子どもたちの出初式が、日本一の石段の上で行われることになっていた。それが終わったら飯田さんだ!さっさと行こう!定刻通りことを済ませば、余裕を持って会場入りできる。私の頭は、そのことしかなかった。自分の体力がすっかり衰えいていることなど、微塵もなかった。日本一の石段というのは、3333段ある。我が家が2年間いなかったことと、コロナで中止されていたとのことだが、3年前は次女がまだ2歳なので、私は次女をおんぶ紐でからって、夫に引率を任せて、下で待っていたのをすっかり忘れていた。200段登ったところで息が上がって、太ももがじんじんして、やばい。帰りたい。はぁはぁしていたら、子ども達はもう見えなくなっていた。引き返しても良かった、が、私は次女の水筒を持っていた。水筒!水筒がないと困る!!と、水筒だけ渡して引き返そうとしたが、まぁ途中で子どもたちに合流することはなかった。休み休みだが、ハァハァ登っていた1500段目で、最後まで子どもたちを登らせたのを見届けた先生が、さすがスピーディに追いかけてくる。私の脳裏を、厚かましさが占領する。せ、先生…!!この水筒を次女に届けてはもらえないでしょうか!!
 先生は颯爽と、おお!こいあみかあさん!半分来ました!さぁ、いきますよ!!!!さすが40前にご自分の道場を立ち上げられたお方だ。圧倒する力の勢いが違う。私の厚かましさは先生の爽やかさに秒で吹き飛ばされた。私は300段ほど先生を追いかけたが、また目にも見えないところまで行ってしまった。Twitterで応援を要請したりしながら、どうにかこうにか降参はせずに上だけを目指し続けた。早く登って早く降りないと、飯田さんに会えない。3000段、登ったところで、もう稽古を終えた子どもたちが降りてきた、よっしゃぁラッキー、帰ろう。すると、先生が、せっかくここまで来たんだ!登頂するのです!と煽ってきた。くそう先生、余計なことを。私はねぇ、もう早く帰りたいんです。しかし息子とその友達に脇を固められ、後300段!と励まされ、続けさせれた。景色が綺麗でしょう!と小学生に嗜められた。ふん、申し訳ないが、これだけガクガクしながら登ってこれしきの景色では、と大人気ないことを言いそうになってしまったが、はい、きれいです、とだけいって、座ろうとした。すると息子が、友達にも聞こえないくらいの小さな声で、恥ずかしいから早く降りるよ、用事あるんでしょ、と耳打ちしたので、ほぼUターンで下山した。下山のほうが噂通りこたえたが、もう後30分でここを出ていないと、飯田さんに間に合わない。私の意地と、5歳次女の強力な手引で、どうにかこうにか下山。足がしびれたなど、泣き言を言っている暇はない。交通ルール順守の限り、最速を努めて、子どもたちを夫に託し、私はまた車に乗って、無事に目的地についた。
 会場は、かなり車が渋滞していたが、たまたま曲がったところに、ここいいですよ、今から抜けますから、おくってきただけですから、と、ワゴンRに乗った天使が譲ってくれた。神様仏様ワゴンR様、ありがとう、私は車を止めて、さっそうと立ち上がろうとした。無理だった。足が馬鹿になっている。もう会場は見えているのに、足が動かない。カニだ。いや、横向きでも速度があるだけカニのほうがマシだ。私はポキポキいわせながら、横歩きに近いなんともまぬけな姿で予約券コーナーにたどり着いて、行列の中に紛れようとしたら、宇土市民会館の方だろうか、この日だけ雇われた方か、飯田さんの関係者かわからないが、私をおそらく足の不自由な人と見受けてくださり、行列ではなく、直接会場に入れる会場入口をさっと案内してくださって、違うんです、とか言ったところで歩けないもんは歩けないんだから、黙っとこうとついていって、あちらでございます、と案内していただき、最低限のストレスで座らせていただいた。あのとき優しくしていただいた方に、どうかカニのご加護を。ありがとうございました。
 通されたお席は、なんと会場最前列から2番めで、座っただけで思わず涙腺が緩んだ。講演の内容が素晴らしかったことや、お気遣いや前座の方やサプライズの方が素晴らしかったことも書きたいのだが、私がここについた時点でもう3000字になってしまったので、また後日に。
行けたことがとにかく嬉しかった、という日記でした(雑



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?