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汀。

仕事で文章を書くときに求められることは相手に伝えるべき情報を抜けなくもれなくわかりやすく伝えることだ。その目的を考えると短ければ短いほど、無味であればあるほど良い文章だろう。日頃そんな無味乾燥な文章を書くことに躍起になっているので取捨選択されて捨てられてしまった言葉たちが澱のように沈んでいる。つまり何の意味もなくだらだらとした文章を好きなだけ書きたい欲がたまる。季節の変わり目な上に新年度が始まって最初の連休でそわそわしながらやたら長い文章を書くことが多い気がする。
ここまでが前置きの前の前置きだ。5月になったら書こう、と4月の10日から決めていた内容があるのだ。それをどんなふうにnoteにしようかをうすらぼんやり考えていたけれど結論が出たので長野へ向かう特急あずさの中でスマホで書こうと思う。
書き直しはしない、2時間半の一発勝負。

ところで私は川が流れているところを住まいとして選択しがちである。
川というとどんな川を思い浮かべるだろうか、隅田川か鴨川か。湖に流れ込む
毎日の通学通勤で電車で渡るときに一瞬だけ見える一級河川だろうか。それとも田んぼに水を引く川かもしれないし、子供の頃に夏休みで遊びに行った名前も覚えていない渓流かもしれない。沢蟹を割り箸でつかまえるのはやめられない。
川が身近にある人というのは海や山に比べてたくさんいるはずだ。そこに思い入れがあるかはともかく川はあちこちに流れている。都会と田舎をわけることない。
必ずしもいい思い出の人ばかりではないのは承知の上だがそんなことを気にしていては鉄オタは電車の魅力を語れないし車好きは車への愛書き連ねることができない。

私は引越しがやたらおおくて、でもどこに住んでいる時も何かしら川の存在を思い出せるというか家を決めるときに川があるというのは無意識に気に留めているような気がする。
なぜ川が好きなのか。このnoteを書くにあたりあらためて考えてみたのだが私自身の特性に近しいから親近感を覚えるのかもしれない。何しろ私は飽きっぽい、落ち着きがない。常にとどまらず流れる川、日々異なる表情を見せる川が私を飽きさせることなくそこにいてくれるのがよいのかもしれない。川の流れのそばには風もあるしね。風はいつだって気持ちが良いもの。

しかしよくよく考えると人類の歴史を遥か遡り、人類と定義され始めた頃から川沿いを選んで生活していたようだから人類の遺伝子レベルの話なのかもしれない。

7年の結婚生活の間に4回ほど引越しをしたのだが1番最初に暮らしていたのが水戸駅前の桜川沿いだった。当時住んでいたアパートは老朽化に伴い建物ごと数年前に取り壊されていた。今ではコインパーキングだ。あの辺りのコインパーキングはそれなりに需要がある。夫は深夜に散歩したがるタイプの人種で桜川沿いをよく2人で散歩した。だいたいマクドナルドかロイヤルホストで無駄な外食をするかハロハロを買いにミニストップへいって帰ってくるパターンだった。今思うと無駄遣いがすぎる。無駄遣いしてる感覚も含めて楽しんでいたんだろう。とはいえ2人とも毎日お弁当を持って行ったし幸い水戸には高級スーパーが近くにあることもないので日常的な無駄遣いはたかがしれている。東京近郊にいると気をぬくと成城石井で5000円くらい意味もない買い物をしがちである。気持ちと財布の紐をもっと強く持ちたい所存である。
新婚時代を過ごした家はなくなってしまったが桜川は当時と変わらず、いや、工事したせいで景観少し変わっているのだけど風の感じと向こうに見える千波湖の全体的な雰囲気は変わらない。

水戸は高校時代を過ごした街でもあるのだが、15年経ちすっかり町の景観が変わった。
私が高校生の頃はマルイはまだまだ憧れの場所だったし、リヴィンだって閑散としてはいたけどまだ営業していた。
宮下銀座は当時とてもじゃないが近寄りがたいと思っていたが今はだいぶ綺麗になったし、(いやそもそも当時もそんなに如何わしいものはなかったはずなので田舎の高校生の思い込み)なぜだか大手門が復元されるに至っていた。薬医門を見にくるひとは確かにあの頃もいたけれど。
そして昨年は京成百貨店と水戸芸術館のあいだをつなぐような形で市民会館も出来上がった。

15年もあると街はこんなに変わるものか、というとただ郷愁を新しい動きもあるようだ。



特急あずさというのはやたら横揺れするタイプの特急で文字を書いたり読んだりするのに適しているとは言い難い。
つまり、酔ったので休憩します。まだ本題に入ってない。


私の第一次水戸時代は高校生
第二次水戸は新社会人&新婚時代

そして第三次水戸がちょうど1年前に訪れた。

離婚した私が行く宛なく彷徨うことにならずに、また思ったよりも早く回復したのは「はちとご」のおかげだった

人は誰かと交わりながら生きていくもの。
浮つ埋もれつ、たゆたいながら。

あたたかいごはんを誰かと食べて
おはよう、いってきます、
おかえり、ただいまのありがたみをまた感じることができた場所。

ここのみんなが大好きなので、
一年前に退去してからも理由をつけて毎月のように顔を出していたはちとご。

どうやらこの夏、もちょっと大きくなるもよう。



migiwa

川の話をなんとか回収。

こんにちは、いらっしゃい、またね
が行き交う場になるのかしら。

私個人としては
目的もなく何となく、たくさんの人がちょっと寄り道おしゃべりゆっくりするようなそんな場になってほしいなと思うばかり。
ただ、そうはいっても人がくると予想もしない何かが起こりがちなのでそんなところも楽しみ。



水戸に住んでる方も縁のある方もない方も
一緒に応援、どんな場になるか見守っていけたらうれしいです


サムネ画像は、migiwaの前身である図書館で私がコーヒーいれた朝の一枚でした

降りる駅まであと一駅。
ぴったり書き終えた!

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