遅刻が確定した電車の中で

 このところ、ほとんど全ての予定に遅刻してしまう。原因は単なる寝坊だったり、朝の準備に余裕を持ちすぎたり、お腹が痛くなったりとあるのだが、いずれにしても家を出る頃には遅刻が確定している。
 相方とのネタ合わせにも連続で遅刻してしまっているので、流石に注意をいただいた。諭すように「気をつけてね」と言う彼の優しさに、己の情けなさを痛感した。

 ただ、遅刻が確定している中、どう行動すればいいのかわからない時間がある。無論、電車の中だ。僕は新宿に行くにも一時間ほど揺られる必要がある。乗ってすぐは呵責の念にいるが、それを到着まで持続させるのは正直難しく、読書に耽ったり、YouTubeを視聴したりと、それなりに優雅な時間を過ごしてしまっている。

 誰しも遅刻する事はあると思うが、電車の中、皆はどのように過ごしているのだろうか。思えば、「うわ、こいつ遅刻確定してるじゃん」という表情の乗客を見た事がない。皆倦怠的にスマホを弄ったり、外の風景を眺めたりしている。しかし1車両に、遅刻している者1人2人はきっといるはずである。

 知人から借りたせきしろ×又吉が著の、「カキフライが無いなら来なかった」という自由律俳句集があるのだが、そこにも「遅刻が確定した電車で読書」という一句が載っている。
 「遅刻」という罪悪感を一度頭の片隅に追いやって、我々は思い思いの時間を過ごしている。

 そして待ち合わせ場所に到着し、待ち人に遅刻を詫びる。しかし、彼らが僕を待つ15分の間、僕は漫画を読んでいた。罪は遅刻のみではない。
 その背景を自覚しながら、“遅刻“についてのみ謝罪すれば、あとは何事もなかったように振る舞う。

 実のところこの一稿についても、遅刻した電車の中で綴った文章である。投稿し、スキをいただき、ほのかに嬉しくなり、次の記事はどうしようかと思案するだろう。

 遅刻しているのに。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?