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旅25-僕がコソボに行けたことの意味

モンテネグロ(首都ポドゴリツァ)のところでは敢えて『旧ユーゴスラビアというかセルビアから認められた最後の独立国』と書いている。敢えて『セルビアから認められた最後の独立国』と言わなければいけない。それはコソボを無視することになるからだ。
モンテネグロが62万人に対しコソボは200万人らしい。国を『大きな民族・文化的集まりの単位』とだけとらえるのなら、コソボは立派に国として認めるべしとなる。日本はコソボを国として認めている。しかし、セルビアは永遠に自国からのコソボの独立を認めないと宣言している。
僕は日本人だ。だからコソボは国としてみるべき。そう判断するのは簡単だ。でも、主権は基本的にその”国”の国民か国王とかが持つのに、『国として他国が認めて初めて国になる』というのも変な気がする。日本人だから日本国の決定に従うというのは当然な気もするが、無国籍の地球人という立場・思想にいることも現代では大変重要だ。それに…、実はメジャーな国であってもすべての国が国と認めている国というのは案外少ない。あれ、『完全に認められていない国に認められなくちゃ国ではない』というのは、何だろう? 前提自体がユラユラしているのだ。
ま、僕のnoteは自分の思想や政治的意見を主張したいわけでもないし、僕はそういう係争に参加すること自体に興味がない。ただ、慎重ではある。『今まで何か国に行ったんですか?』という質問に『だいたい80か国くらいかな』と正確な国数を答えないのはこの理由が大きい。実際にはちゃんと数えたので答えられるのだが、コソボを1か国とするかはちょっとだけ難しいし、入れたら入れたで、入れなかったら入れなかったで、僕にとって大切な誰かと軋轢が生まれるかもしれない。他にも、西サハラや、ナゴルノカラバフや、パレスチナや、アブハジアや、北キプロスもある。『何ヶ国言ったことがある!』と胸を張るよりも、曖昧に認識しておくことの方が僕には大切なのだ。そしてとうとう、実際に何か国行ったのか、忘れてしまったのが現状です。

前置きがまたもや長くなりましたが、コソボに行ってきました。
ココにだけは行かない、いや、行けないと思っていたが結果として全然大丈夫だった。全く危険を感じなかった。モンテネグロ人、アルバニア人、カナダ人旅行者からコソボに最近行ってきたとの情報を得て判断した。カナダ人が大丈夫なら、日本人はまず問題ないから。

マケドニアからコソボへのバスは1日10往復以上ある。バスターミナルのHPでは7本だが、それ以外にもある。国境に関しては特に問題発言さえなければ問題ない。でも、セルビアとの国境を越えようとするのだけはやめたほうがいいと思う。
入国してみると、コソボはセルビアではないって実感する。 というか、なぜここがセルビアになっているのかと感じる。その理由を挙げてみる。
・民族的にはほとんどアルバニア人。
 (セルビアはセルビア人。顔立ちが明らかに異なる。)
・通貨はユーロ。セルビア・ディナールは全く通用しない。
 (1999年のNATOによるセルビア空爆後、ドイツマルクを導入。
 ドイツのユーロ導入と同時にコソボも変更。)
・言葉はアルバニア語。セルビア語は誰もしゃべらない。
 (セルビアと違い英語が通じやすい。
 特に子供はかなり上手く、何度も子供達にサポートしてもらった。)
・宗教は主にイスラム教。
 (セルビアはオーソドックス。首都に教会は2つだけで廃墟化。
 首都のモスクでも金曜日には集団でメッカの方向に礼拝する。)
・街中に多数のコソボ国旗。アルバニア国旗も同じくらい多い。
 (セルビア国旗は皆無。アルバニア国旗にKOSAVAとある。
 少なくともアルバニアへの帰属意識は高い。)

・直接コソボに入ると、国境のスタンプにセルビアの文字はない。

・マザー・テレサ通りがある。マザー・テレサはアルバニア人。
 会った人もアルバニアと同じように気さくである。

・街中にビル・クリントンの大きなポスターあり。
 (クリントン元大統領はセルビアを空爆したから人気がある。)

もう、十分だろう。ここはセルビアではない、と思う。コソボミュージアムに行ったけど、まったく内戦関係のものはない。コソボの首都プリシュティナではまったくセルビアの香りがない。プリシュティナって名称がパレスチナに似ていて少々怪しい響きがあり、少し身構えてしまうかも。そんなことはないかな。

今は安全とは言ってもコソボの情報は少ない。コソボ内の観光地であるPrizrenやPEJAに行った人も知らないし。
(絵葉書の発行元もセルビアでなくアルバニアであった。)

集めてきた情報はイスタンブールの日本人宿Tree of lifeに置いておくことにする。プリシュティナの安宿情報や薄いガイドブックも買ってきた。
その場で情報を集め、未知なる国に行くかどうかを自分で決める。今現在はネットを駆使するのだろうが、僕の長期旅行時はスマホもないし、ネット情報は危険情報以外は集めないことにしていた。ネットでは武勇伝を語りたくなるが、日本人宿の旅ノートでは間違った情報は結構訂正される。会って話せば、その旅人の力量や性格などからその情報を信じるべきかどうかをより正確に判断できる。
新米バックパッカーにとってのチャレンジの一歩、それが僕にとってのコソボ行きだった。

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