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第12回「最後のクレイジー ありがとう犬塚弘さん」

2023(令和5)年10月27日、ハナ肇とクレイジーキャッツのベーシストで俳優としても活躍した犬塚弘さん、愛称「ワンちゃん」が亡くなられたことがニュースで流れました。翌日のスポーツ新聞に目を通すと全紙ほぼ一面、サンケイスポーツなどは見開き二面を使って、犬塚さんと、これで全員が天国に旅立ったクレイジーキャッツを偲ぶ記事が掲載されていました。

犬塚さんの祖先は三河武士の系譜で、祖父の代まで新橋第一ホテルのある場所に居を構え、父は三井物産でロンドン支店など海外勤務が長く、家には父親が土産に持ち帰ったギターやウクレレ、レコード盤のある環境で、犬塚さんは育ちました。1949(昭和24)年文化学院の社会学部を卒業、今のIBMに入社しましたが、入社させてくれたボスが本国へ帰国したとたん「ヘイ、イエロー」「ヘイ、ジャップ」などと呼ばれたのが頭にきて、言ったアメリカ人をぶん殴って会社をやめてしまったという気骨の持ち主です。その後、お兄さんの勧めで背の高さを生かしてベースを本格的に習い、音楽の道へと進みました。ピアノの秋吉敏子さんと演奏で共演したこともあります。
バンドの変遷を経て、ハナ肇さんに誘われ、1955(昭和30)年4月1日、渡辺プロダクション最初の所属バンドで、クレイジーキャッツの前身「ハナ肇とキューバン・キャッツ」に加入しました。当時のメンバーは女性歌手2人(ミュージカル歌手島田歌穂さんのお母さんも)を含む7人でしたが、その後、メンバーが変わって植木等さん谷啓さんなどが加入、ハナさん、犬塚さんと「ハナ肇とクレイジーキャッツ」が誕生することになります。
犬塚さんとハナ肇さんとの絆は深く、ハナさんが亡くなった翌年、1994(平成6)年にはハナさんへの哀悼の意味も込め、「犬塚弘 飄々(ひょうひょう)として訥々(とつとつ)」(労働旬報社)という本を出版されています。

ハナさんとの関係がわかる一文を抜粋して紹介します。
クレイジーキャッツのメンバーも個々の活動が中心になっていた1980(昭和55)年の4月1日に、突然わが家に豪華なランの植木鉢が届きました。贈り主は野々山定男(ハナさんの本名)と書いてあります。"あいつ何を勘違いして花を届けてきたのか。エイプリールフール?"と思って、ハナの家に電話すると、奥さんの葉子さんが「ワンちゃん、ワンちゃんはクレイジーキャッツ結成当時からのたった一人のメンバーでしょう。ワンちゃんが入ってくれてバンドが発足したのが1955(昭和30)年の4月1日よ」と言うんです。ぼくはそのランの植木鉢を見ながら、ハナの気持ちが痛いほどわかりました。テレビ朝日でドラマの稽古をしているハナのところに飛んで行って「ハナよ、よけいなことをしてくれたな」とこづいたんです。そしたら奴もぼくのことをこづいて、「ハハハ、おまえ最初からいるじゃないか」と言い、二人とも涙を流していました。
犬塚さんと言えば、シャボン玉ホリデーでの生コマーシャル、エンディングで流れる「スターダスト」の曲をギターで弾くシルエット姿などがすぐに浮かんできます。国民的人気を誇ったクレイジーキャッツは粋で、洗練された大人のグループというイメージですが、その雰囲気を代表しているのが犬塚さんと言ってもいいでしょう。
1965(昭和40)年、ハナ肇とクレージーキャッツ結成10周年の頃から、ハナさん、植木さん、谷さんに続き、「クレイジー第4の男」として犬塚さんの主演映画が製作されました。
1965年松竹「素敵な今晩わ」。しょぼくれた自動車教習所の指導員が夢の中で理想の恋人と繰り広げるラブコメディ。監督は「砂の器」などの名匠野村芳太郎さん。共演は、岩下志麻さん。


1965年大映「ほんだら剣法」。2メートルに及ぶ大太刀を振り回す馬鹿正直な若侍が、伊達六十二万石の危機を救う野村胡堂原作のコメディ。監督は、銭形平次、座頭市など大映娯楽映画のエース森一生さん

1966年大映「ほんだら捕物帳」。腐敗した侍社会に愛想をつかして浪人暮らしを始めた主人公が、岡っ引きの花七親分(ハナ肇)と組んで殺人事件を解決する捕物コメディ。監督は前作に続き森一生さん。森監督、犬塚さんととても気が合って、ある時「養子になってくれないか」と真顔で言ったそうです。

犬塚さんは、この他にも東宝のクレイジー映画や松竹の山田洋次監督によるハナ肇さん主演映画など映画出演は数多く、特にハナさん主演の「馬鹿が戦車(タンク)でやって来る」で演じた、知的障害で口が聞けず、空を見上げて鳶の鳴き声を真似する弟の兵六役は印象に残っています。犬塚さんは、山田監督を敬愛しておられますが、監督との相性も良く、「男はつらいよ」にも、巡査、温泉宿の主人、大工の棟梁、タクシー運転手などいろいろな役柄で6作品に登場しています。
クレイジーが個々の活動に移ってから、犬塚さんは名優宮口精二さんや宇野重吉さんらとの出会いもあり、演劇の道にのめり込んでいきました。
犬塚さんの本からの引用です。
「これからは第二の青春、自分の選んだ好きな道を進みたい」との思いが強くなり、長年所属した渡辺プロを辞める決意を固め、社長室へ何度も足を運びました。渡辺晋社長は「何もいまさら演劇界、とくに新劇のようなところで苦労することはないだろう。渡辺プロにいれば安泰した生活をしながらやっていけるじゃないか」と慰留しましたが、「自分で納得した道を探しあてたのです。失敗してもいいから一からやってみたいんです。ただし、クレイジーキャッツは僕が育った大切なところですから、全員で仕事をするときは、必ず参加します」「ワンちゃんは変わっているなあ」でも最後には、「頑張れよ!もし、どうしても辛かったら帰ってこいよ」と優しい言葉で送り出してくれました。
その後は、クレイジーキャッツが集まる時には参加しつつ、数々の舞台出演、テレビ出演などを果たしました。井上ひさしさん作の劇団こまつ座公演「きらめく星座」での夏木マリさんとの共演や木村光一さん演出の「越前竹人形」での三田佳子さんとの共演が印象に残っています。


2010年、犬塚さんと親友だった谷啓さんが旅立たれました。。お別れの会での犬塚さんの弔辞は心に響く内容でしたが、2013年、娯楽映画研究家・音楽プロデューサーとして活躍の佐藤利明さんが犬塚さんにロングインタビューした内容をまとめた「最後のクレイジー犬塚弘 ホンダラ一代、ここにあり!」が講談社から出版されました。

この本の出版記念会が、東京のレストランで開催され、私も佐藤さんから声をかけていただき参加しました。犬塚さんは84歳でしたが、まだまだお元気で、中尾ミエさん、「男はつらいよ奮闘編」で犬塚さんと共演した榊原ルミさん、植木等ショーなどを担当されたテレビプロデューサーの砂田実さんなどが集まってお祝いをしました。
今回の犬塚さんの訃報にあたって、山田洋次監督は「遂にワンチャンもか、という思いです。クレイジーキャッツのメンバーは、みんなお人好しだったが、そのなかでもワンちゃんこと犬塚弘さんはとびぬけて好人物。善意が背広を着てコントラバスを演奏しているような人でした」とその人柄をたたえ、中尾ミエさん
「ついにクレイジーキャッツが皆んな居なくなってしまいました。ザ・ピーナッツを始め、お友達が次々居なくなって、まさに昭和が終わったのだなと切実に感じました。シャボン玉ホリデーなどで楽しくご一緒させていただいたのが思い出されます」と偲んでいます。
私も犬塚さんとは何度かお目にかかりましたが、「長年クレイジーを愛してくれて、本当にありがとう」といつも、優しい眼差しで話してくださいました。2010年の谷啓さんのお別れ会で久しぶりにお会いした後、2011年の犬塚さんからいただいた年賀状からも、犬塚さんのクレイジーキャッツのメンバーへの気持ちが表れています。最後の一人になっても、クレイジーの看板を守り続けてくれた犬塚さん、本当にありがとうございました。

#クレイジーキャッツ #犬塚弘#山田洋次#ハナ肇

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