田村耕一

田村耕一

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第21回「GWはマフィアも黙った超大作"クレージー黄金作戦"を」

いよいよゴールデンウイーク(黄金週間)が始まりましたが、4月末から5月初めにかけての大型連休を黄金週間と名付けたのは、集客目的を狙った映画会社と言われています。 1967年4月29日、黄金週間に合わせ東宝創立35周年記念映画として、当時としては珍しい一本立て、上映時間2時間37分、製作費1億8千万円という破格のスケールで封切られたのが「クレージー黄金作戦」です。 脚本家の田波靖男さんの著作、「映画が、夢を語れたとき〜みんな若大将だった、クレージーだった」(広美出版事業部)には

    • 第20回「山田洋次監督とクレイジーキャッツ後編」

      1966年、「なつかしい風来坊」でブルーリボン賞の主演男優賞、監督賞を受賞した後も、ハナ肇さん、山田洋次監督コンビの作品は続きます。 1967年の「喜劇 一発勝負」は、夏目漱石の「坊ちゃん」と落語の「山崎屋」をヒントに作られた作品で、ハナさん扮する家出した老舗旅館の放蕩息子が十数年後に帰郷、温泉掘削という起死回生の一発勝負を図るが、娘に反抗され、親不孝の因果は巡るという話。 この作品のヒットで「一発シリーズ」がスタート。1968年には「ハナ肇の一発大冒険」が公開されました。

      • 第19回「山田洋次監督とクレイジーキャッツ 前編」

        現役の日本を代表する監督と言えば、山田洋次監督をあげる方も多いと思います。「男はつらいよ」をはじめ数々の名作を送り出し、92歳の今も活躍を続けておられますが、喜劇の監督として山田洋次監督が脚光を浴びたのは、ハナ肇さんと組んだ数々の作品がスタートです。 1961年に「二階の他人」で監督デビュー、1963年に倍賞千恵子さん主演の「下町の太陽」を撮った山田監督に、監督第3作として藤原審爾さん原作の「庭にひともと白木蓮」をクレイジーキャッツのリーダーハナ肇さんを主演にどうかとの提案が

        • 第18回 「1960年代東宝のドル箱だったクレイジー映画」

          1962年から1971年まで続いた東宝クレイジー映画は30本で、その一つ一つに笑ったり、落ち込んだ気分を救ってもらったり、植木等さんのような有言実行の大人になりたいと思ったり、とにかく見終わった後、爽快な気分にさせてくれました。東宝クレイジー映画の詳細は、娯楽映画研究家・音楽プロデューサーとして活躍の佐藤利明さんたちが編集した「クレージー映画大全 無責任グラフィティ」(フィルムアート社)で紹介されています。 東宝クレイジー映画は1962年7月末に封切られた「ニッボン無責任時

        第21回「GWはマフィアも黙った超大作"クレージー黄金作戦"を」

          第17回「谷啓が誘う美の壺」

          先日、NHKのアーカイブで谷啓さんが、ジャズにのめり込むきっかけとなったデュークエリントン楽団演奏の「りんごの木の下で」のレコードを探してアメリカを訪ねる番組が放送されました。 谷啓さんはクレイジーキャッツでトロンボーンを担当、クレイジーに入る前から「スイングジャーナル」誌などのトロンボーン奏者人気投票で常に上位にランクされる一流のジャズマンです。中央大学在籍時から日劇などに出演、舞台と舞台の合間に、気になっていた大学の月謝を払おうと駿河台まで飛んで行ったが、月謝を納める学

          第17回「谷啓が誘う美の壺」

          第16回「紅白歌合戦と新春かくし芸大会」

          2024年は能登地震、日航機炎上というショッキングな出来事で平穏な日常生活の大切さを実感する波乱の幕開けとなりました。 テレビ全盛の頃、昭和の穏やかな年末年始には国民的番組と言われる番組がありました。このいずれにもクレイジーキャッツは関わっていました。 年末の番組は、今でも続いている「紅白歌合戦」(NHK)。最高視聴率は1963年の81.4%。 植木等さんの「スーダラ節」は1961年8月に発売され、大人から子供まで社会現象となるほどの大ヒットとなりましたが、その年の紅白にはお

          第16回「紅白歌合戦と新春かくし芸大会」

          第15回「布施明とクレイジーキャッツ」

          2023年12月16日、神戸国際会館こくさいホールで開催された「布施明コンサート 刹那の夢がたり」を鑑賞、会場は老若男女で満員、12月18日で76歳になるとは思えないパワフルな歌声に魅了され、元気をもらいました。 布施明さんは1965年にクレイジーキャッツと同じ渡辺プロダクションから歌手デビュー、渡辺プロ制作の人気音楽バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系)にもたびたび出演し、次々とヒット曲を連発しました。 阿川佐和子さん司会の「サワコの朝」に2018年に出演さ

          第15回「布施明とクレイジーキャッツ」

          第14回「ハナ肇邸での忘年会」

          師走に入り、忘年会の季節になりましたが、私には忘れられない忘年会の思い出があります。 1970年代以降クレイジーキャッツは個々の活動が中心になっていましたが、もともとジャズマンのハナ肇さんは、1985年55歳の時、音楽への強い気持ちから、「ハナ肇とオーバー・ザ・レインボー」というジャズバンドを結成しました。メンバーは、ハナさんがリーダーでドラムを担当、ピアノに宮川泰さん、テナーサックスに稲垣次郎さん、トロンボーンに谷啓さんなど錚々たるメンバーばかりです。その時の気持ちを著書の

          第14回「ハナ肇邸での忘年会」

          第13回「クレイジー映画のミューズ(女神)はボンドガール」

          全30作ある東宝クレイジー映画には、団令子さん、池内淳子さん、草笛光子さん、白川由美さん、淡路恵子さん、浅丘ルリ子さん、野川由美子さん、司葉子さん、内藤洋子さん、酒井和歌子さん、若大将のマドンナ星由里子さんなど多くの華やかな女優さんが出演しています。その中でも、植木等さんの相手役として最も出演作が多いのが浜美枝さんです。植木さんやハナ肇さんの紫綬褒章や映画賞受賞などのお祝いの会ではいつもお見かけし、並いるスターたちの中でも、輝きを放っておられました。 浜さんは、バスガイドを経

          第13回「クレイジー映画のミューズ(女神)はボンドガール」

          第12回「最後のクレイジー ありがとう犬塚弘さん」

          2023(令和5)年10月27日、ハナ肇とクレイジーキャッツのベーシストで俳優としても活躍した犬塚弘さん、愛称「ワンちゃん」が亡くなられたことがニュースで流れました。翌日のスポーツ新聞に目を通すと全紙ほぼ一面、サンケイスポーツなどは見開き二面を使って、犬塚さんと、これで全員が天国に旅立ったクレイジーキャッツを偲ぶ記事が掲載されていました。 犬塚さんの祖先は三河武士の系譜で、祖父の代まで新橋第一ホテルのある場所に居を構え、父は三井物産でロンドン支店など海外勤務が長く、家には父

          第12回「最後のクレイジー ありがとう犬塚弘さん」

          第11回「地域ドラマの傑作 名古屋嫁入り物語」

          「お祝い事好き」な名古屋では、結婚式にもお金をかけ、周りと一緒に盛大に行う独特の風習があります。例えば、たくさんの嫁入り道具をトラックに乗せて(ガラス張りのトラックもあります)、紅白帯などの縁起の良いデザインを施し、新婦の家から新郎の家まで運ぶ「嫁入りトラック」。結婚式当日、新婦の家の屋根からお客様に向かってお菓子をまく「菓子まき」。結納品の一つとして送る、反物で宝船や鯛などの縁起物を模した「呉服細工」など。もっとも、最近はこうした風習は減って、名古屋の皆さんが結婚式にかける

          第11回「地域ドラマの傑作 名古屋嫁入り物語」

          第10回「大塚グループとクレイジーキャッツ」

          大塚製薬、大塚食品、大塚化学などの大塚グループは、徳島の鳴門が発祥の地。グローバル企業になればなるほどアイデンティティを大事にしており、創立75周年を記念して1998年徳島県鳴門市の鳴門公園内に大塚国際美術館を設立しました。この美術館は、世界26ヵ国の西洋名画約1000点を陶板で原寸大に再現しており、奇想天外な発想力と日本の技術力の高さを実感できる唯一無二の美術館として徳島観光の大きな魅力になっています。 大塚製薬は、1959〜1960年にかけて大村崑さん主演の「頓馬(とん

          第10回「大塚グループとクレイジーキャッツ」

          第9回「三谷幸喜が観た植木等 in CHICAGO」

          三谷幸喜さんが代表作を自ら初演出した「笑の大学」が2023年2〜3月、東京PARCO劇場で四半世紀ぶりに上演されました。これは、昭和15年の東京を舞台に、笑いをめぐり対立する検閲官と浅草の劇団「笑の大学」座付作家との攻防を描いた傑作コメディーです。劇団の座長が場違いのシチュエーションで舞台に登場した時の決めゼリフを作家が言わされるのですが、なんと「さるまた失敬!」。これは、植木等さんの「お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました!」を彷彿とさせます。 三谷幸喜さんは、朝日新聞

          第9回「三谷幸喜が観た植木等 in CHICAGO」

          第8回「桑田佳祐とクレイジーキャッツ」

          2023年6月25日でデビュー45周年を迎えた国民的人気バンドサザンオールスターズの桑田佳祐さんは、最初のテレビ体験が「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ系で放送されたポピュラー音楽番組)、「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系で放送された、ザ・ピーナッツとクレイジーキャッツがレギュラーの音楽バラエティ番組)だった、とテレビで話されたことがあります。 1982年1月に発売された「チャコの海岸物語」の歌詞の中で、「心から好きだよミーコ抱きしめたい」「心から好きだよピーナッツ抱きしめ

          第8回「桑田佳祐とクレイジーキャッツ」

          第7回「大地真央と植木等」

          「インディジョーンズ/魔宮の伝説」の冒頭のシーン。1930年代の上海のナイトクラブで赤いチャイナドレスを着たヒロイン役のケイト・キャプショーが歌っているのがコール・ポーター作詞・作曲の名曲「Anything Goes」。 ミュージカル「エニシング・ゴーズ」の日本初演は平成に入った1989年夏、日生劇場。ナイトクラブの歌手リノ・スウィーニーが大地真央さん、神父に化けたギャングの大物ムーンフェイス・マーティンが植木等さん。演出・振付は、当時、新進気鋭の宮本亜門さん、共演は、川崎真

          第7回「大地真央と植木等」

          第6回「加山雄三と植木等」

          植木等さん同様、私の子供の頃からの憧れのスターは加山雄三さん。1960年代の「明るく楽しい東宝映画」を象徴するこの2大スターの看板シリーズが同時上映(当時は2本立て興業)されたのが1968年の正月映画「日本一の男の中の男」と「ゴー!ゴー!若大将」です。1月2日、正月らしい華やかな雰囲気の広島東宝の館内に入ると立ち見客で一杯。上映終了後は、非常扉を開けてお客さんを捌いていました。 この2人が映画で共演したのは、一度だけ。1967年のゴールデンウイークに当時の日本映画では画期的

          第6回「加山雄三と植木等」