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第3回「大瀧詠一とクレイジーキャッツ」

大瀧詠一さんは、「ポップス・ソングの革命とも言えるクレイジー・ソングは、ビートルズの業績にも匹敵する」と公言するほどの大のクレイジーキャッツファンです。
1975年6月〜1978年9月まで当時のラジオ関東で自らDJをつとめた「GO!GO!ナイアガラ!」では、毎年クレイジーキャッツ特集を企画、放送していました。クレイジーキャッツ全員がレギュラーの日本テレビ「シャボン玉ホリデー」は1972年10月に終了し、クレイジーのメンバーは個々に活動、グループとしての活動はほとんど見られなかったのですが、大瀧さんのラジオでのクレイジー特集は、遅れてきた若い人たちにも圧倒的に支持され、当時、新宿東宝や浅草東宝などで上映されたクレイジーキャッツ映画のオールナイト特集の人気もあり、第2次クレイジーブームを引き起こしました。
私は、現在、四国放送ラジオ「日曜懐メロ大全集」に月1回出演していますが、毎年、クレイジーキャッツ特集を企画しており、令和の時代に聴いても魅力的なクレイジーソングを是非、多くの方に届けたいと思っています。
1982年には、廃盤ブームに乗って、初期のクレイジーキャッツのシングル盤が東芝レコードから「ザ・復刻版シリーズ」として発売されました。この企画は、大瀧詠一さんの提案がヒントになったと言われています。私も、「スーダラ節」など、持っていなかった初期のレコードをこの時、手に入れることができ、とても嬉しかったのを覚えています。
1984年には、大瀧詠一さんが監修し、東宝クレイジー映画の名場面・名曲集を集めた「クレイジーキャッツデラックス」(東宝ビデオ)も発売されました。これを見ると、クレイジー映画はミュージカル映画でもあるということがよくわかります。
1985年はクレイジーキャッツ結成30周年、テレビの特番などでクレイジーキャッツが再び結集。この流れで、ファンにとっての朗報は、1986年3月、大瀧詠一さんプロデュースによるクレイジーの新曲が発表されたことです。楽曲は、サントリービールのCMソングとなった「実年行進曲」。作詞青島幸男さん、作曲大瀧詠一さん。クレイジーキャッツのかっての楽曲「大冒険マーチ」をベースにしているので、原編曲萩原哲昌(大冒険マーチも含め、多くのクレイジーソングを作曲、仲間内のニックネームはデクさん)のクレジットと共に、シングル盤の内側の空溝に「TO DEKUSAN」と刻印され、大瀧さんの萩原さんへのリスペクトが感じられます。
かってサントリーがビール事業に乗り出した当初のCMは、クレイジーキャッツが出演、数秒のショートコントで構成されたCMは大人気となりましたが、抱腹絶倒、今見ても実に新鮮です。久々のサントリーCM登場となった「実年行進曲」のジャケットは、メンバー揃ってデビューレコードの「スーダラ節」と同じ構図で撮影、遊び心満載です。


1995年には、大瀧詠一さんプロデュースの名盤CD「植木等的音楽」が、三波春夫さん、谷啓さん、裕木奈江さん、野村義男さん、渡辺満里奈さんを迎え、制作、発売されました。
この内容については、いずれ、詳しく触れたいと思っています。

平成に入り、2000年11月には、大瀧詠一さん監修のCD「クレイジーキャッツ・スーパー・デラックス」が発売され、全ての楽曲の解説を大瀧詠一さんが厚家羅漢(あっけらかん)というペンネームで執筆、クレイジーソング愛に溢れた深い考察が展開されています。
さらに、令和が始まる直前の2019年3月27日(植木等さんの13回忌)には、「クレイジーキャッツ・スーパー・デラックス」(平成無責任増補版)が最新リマスタリングにより再発売されました。この解説には、かってのラジオ番組「GO!GO!ナイアガラ」で、大瀧詠一さんがハナ肇さん(1975年9月)、植木等さん(1976年11月)と対談した内容が「特別再録文字起こし版」として掲載されています。
ハナさんとの対談の最後で大瀧さんは、「クレイジー頑張れ、食前食後にクレイジー、朝な夕なにクレイジー、聴いちゃいけないクレイジー、40過ぎてもクレイジー!もうこうなりゃクレイジーだ!もうクレイジー!!」と絶叫し、
ハナさんは、「うるせーナー!今何時だと思ってんだ!コノー!」という「全国縦断追っかけのブルース」の決めゼリフで番組を締めています❗️

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