コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場
はじめに
昨日、ぼくがコーディネータをしている、1学期/5カ月/16週間にわたる日本語研修コースが終わりました。学生は、15名。コーディネータの仕事の達成度はまあ「A」かな。そして、同じくコーディネータとしての責任を個々の学生に対してどれほど果たせたか、つまりコースの所期の目標をどれほどの学生が達成できたかというと、ざっくり言って、1/3は目標を超えて達成、1/3は目標を達成、1/3は目標まで少し至らなかった、くらいです。目標にまったく「手が届いて」いない学生はいませんでした。(修了発表後の担当教員間でのインフォーマルな反省会での振り返り的評価もこれくらいでした。)
このようにコーディネータであるぼく自身は、いつもコーディネータとしての責任を学生に対して果たせたかなあと考えます。ならば、コーディネータでない授業担当の先生方は、誰に対してどういう責任を感じているのでしょうか。また、学生たちにはどのような責任があるのでしょうか。そんなことを改めて考えてみました。
1.コーディネータの仕事
コーディネータの仕事は、ざっくり以下の通り。
(1) コースの企画と計画
(a) コースのエンドで達成されるべき目標の設定
(b) 目標に至る「日本語上達の経路」の構想
(c) コース企画の策定(総括的評価の計画、形成的評価の計画を含む。)
(d) (a)から(c)をかけ合わせての中心となる教材の選定(制作)
(e) 具体的なコース計画(授業スケジュール)の作成
(2) コースの実施と運営
□ コースの実施にあたって
(a) (1)の(a)から(e)までを授業担当教員に説明する。
(b) (1)の(a)から(e)までの必要・重要部分を学生たちに説明する。
□ コースの運営
(c) 学生たちが、各ユニット・課の目標が適切に達成しているかモニターし、
必要に応じて追加支援を講じる。
(d) 学生たちが、各個人及びクラスとして所期の「日本語上達の経路」に
乗っているかモニターし、必要に応じて追加支援を講じる。
(e) 授業担当教師が、各ユニット・課の目標を適切に了解し、それを達成
することに貢献する授業を実践しているかモニターし、必要に応じて
助言する。
(f) 授業担当教師が、日本語の上達一般に資する教育を実践しているか
モニターし、必要に応じて助言する。
(3) 教育実践の点検と評価
(a) 目標の達成に関わる総括的評価
(b) (2)(c)から(f)に関わる教育の実施に関する点検
(c) (1)の(e)(授業スケジュール)に関する点検
(d) (a)から(c)の点検の上で、企画・計画を含めた教育の評価をする。
大きな課題がある場合は、(1)の(d)から(a)に遡って教育改革。
2.コーディネータの役割と責任
上では、わかりやすいようにすっきりと書いていますが、コーディネータには他にも細々とした仕事があります。いずれにせよ、コーディネータにはこういう権限があると同時に、そういう責任/それだけの責任があるということです。こうした仕事を授業担当の先生も交えて行う場合でも、最終的な責任はコーディネータにあります。
端的に言うと、まずは、コースに参加している学習者のために/対してこれだけの責任があるということです。そして、次には、いっしょにコースの教育を実践している先生たちに対しては、各授業をつつがなく実施するだけでなく、(1)ユニットの目標の達成に資する授業実践と(2)学生たちの(目標に関わる)日本語上達一般に資する教育実践を、各々の先生がそれぞれの持ち味を発揮しながら伸び伸びすることを保障するという責任があると思います。
3.コーディネータの立場
とてもわかりやすく言うと、コーディネータは(会社で言うと)「管理職」です。教育の世界において「管理(職)」というような見方は本来はなじみません。しかし、複数の人間が特定のゴールを達成するために協働する場合には、上のような、企画・計画、実施・運営、点検・評価が必須です。そして、それを誰かが責任をもってしないといけません。それを担うのがコーディネータです。
そして、コーディネータは、第一義的には学習者/学生たちに対して責任があります。そして、次に、いっしょにコースの教育を実践している先生たちに対して責任があります。
4.学習者に対する責任と先生たちに対する責任
学習者/学生たちに対する責任と先生たちに対する責任はややもすると相反します。相反の重要部分は、自分の授業をつつがなく実施しようとする先生の態度の部分です。
先生の責任は、配分された授業をつつがなく実施すること(だけ)ではありません。2で言及した、(1)ユニットの目標の達成に資する授業実践と(2)学生たちの日本語上達一般に資する教育実践、をしなければなりません。先生の中には、「わたしのこの授業では何を教えればいいんですか!」と声高に叫んで、自身の教師としての責任を「授業配分」として明確化することをコーディネータにやたらに求める人がいます。そういう先生の態度は、「配分された授業をつつがなく実施すること」ばかりに目が向いている態度だということになります。そして、そんな態度で先生たちが仕事をしていると、学習者/学生たちの日本語が着実・順調に伸びることは保障できません。
コーディネータは、そんな先生がいる場合は、そこの部分で先生と「戦わ」なければなりません。コーディネータの責任の重要部分は、授業を担当するすべての先生の協働の下に、学習者/学生たちの日本語が着実・順調に伸ばすことなので。
補遺
この記事では、「日本語を伸ばす」、「日本語を上達させる」ことばかりを前面に出していますが、コーディネータの学生に対する責任や先生たちに対する責任はそればかりではありません。念のため。
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