西口光一

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西口光一

マガジンの目次はこの左フラッグ一番下の「すべてのマガジンを表示」をクリック。人文学とことば学を基盤とした言語教育。『新次元の日本語教育の理論と企画と実践』、『第二言語教育のためのことば学』、『メルロ=ポンティの言語論のエッセンス』他。大阪大学名誉教授。広島大学特任教授。

マガジン

  • 〇日本語教育(学)短信

    主に、Twitterの記事の足し算。

  • ○ことば学 — 人間にとって、人にとって、ことばとは何か

    ことば、意識、当事者、現実、社会、文化などについてときどきに考えたことをまとめます。『第二言語教育のためのことば学』(西口光一、福村出版)、『メルロ=ポンティの言語論のエッセンス — 身体性の哲学、オートポイエーシス、対話原理』(西口光一、福村出版)を前提としています。

  • ○日本語教育・日本語教育学評論

    日本語教育と日本語教育学などで折々に感じたことを発信しています。

  • □第二言語教育の「常識」 — 基礎日本語教育を考える

    2021年7月〜  日本語教育で流布している「常識」に反論し、むしろ良識的に合理的で論理的に考えると日本語の教育企画やこのようになるはず、ということを論じます。あわせて、後半では、音声指導のコツや書記日本語指導の原理などについても触れます。

  • ○人文学考

    心理学、社会学、人類学、ことば学などについて考えたことをシェアしています。

最近の記事

  • 固定された記事

クリエーターの紹介

1.略歴  国立国語研究所日本語教育長期専門研修(研修生)、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター講師、ハーバード大学東アジア言語文化学部中級日本語主任、大阪大学国際教育交流センター教授、同大学院言語文化研究科教授(兼任)。大阪大学名誉教授。日本語教育学会会長。  2.現職  広島大学特任教授  3.研究、日本語教材制作など (1)言語教育のための人文学とことば学 (2)人文学とことば学を基盤とした言語教育の確立 (3)人格を中心に据えた表現活動の日本語教育の普及。 *

    • 科学と哲学

      Twitterの足し算です。  学校の先生はそれぞれの教科の各学年、各学期の「ノルマ」をいかに有効に教えるかに関心が集中する。学習指導要領、あてがわれた検定教科書、受験があるのでやむを得ない。今年度から認定日本語教育機関ができてくるが、日本語教育の場合は学習指導要領のようなものはない。  そもそも言語は、学校の各教科の学習指導要領のように教科の論理構造に基づいて教える内容を整理して、その体系に基づいて教えれば習得できるというものではない。言語教育をカリキュラム化するのはとて

      • 複言語精神機能の発達支援としての言語教育【補論】: 言語的思考の諸側面(仮)

        はじめに 1.基本的な視座 ─ 文化歴史的視座 ─ 人間は、生物進化の系統発生の延長線上にある。 ─ 人間は、系統発生の延長に社会文化史を接続して、独自の進化を遂げた。 ─ 社会文化史の第一段階の第一層は、生活的なイデオロギー世界という、群棲動物の一種である人間が独自に作り上げた文化的な生活圏である。一つの人間集団は、それ独自の文化的な生活圏で、独自の生産活動に従事し、独自の暮らしに従事し、それらを運営する言語を発達させている。 ─ そうした第一層の上に、より高次のイデオ

        • 言語教育においては「主体的学び」ではなく、「主体的(言語活動)従事」である!

          はじめに  教育の世界で主体的学びが喧伝されて久しい。言語教育(日本語教育や英語教育など)でも主体的学びが注目されている。しかし、…。 1.内容の学びにおける主体的学び  学校の教科の学習は内容の学びとなります。そして、当面、それと対比して言語教育の場合は言語の学びと呼びます。  内容の学びにあたっては、学習者はテーマを探究し考究するために必要で十分な言語と思考の能力を身につけています。つまり、現在のテーマをめぐって、現象を一定程度記述したり言語化したりすることができ、学習

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        クリエーターの紹介

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        • 〇日本語教育(学)短信
          22本
        • ○ことば学 — 人間にとって、人にとって、ことばとは何か
          3本
        • ○日本語教育・日本語教育学評論
          55本
        • □第二言語教育の「常識」 — 基礎日本語教育を考える
          11本
        • ○人文学考
          15本
        • □実感としての日本語教育学
          5本

        記事

          ぼくが自分なりの教材(NEJとNIJ)を作ったわけ

          はじめに  「コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場」(https://note.com/koichinishi/n/n8e73ad9cbf22)という記事で、コーディネータの仕事((1)から(3))の(1)として以下のように書きました。  (1) コースの企画と計画   (a) コースのエンドで達成されるべき目標の設定   (b​) 目標に至る「日本語上達の経路」の構想   (c) コース企画の策定(総括的評価の計画、形成的評価の計画を含む。)   (d) (a)か

          ぼくが自分なりの教材(NEJとNIJ)を作ったわけ

          コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場

          はじめに  昨日、ぼくがコーディネータをしている、1学期/5カ月/16週間にわたる日本語研修コースが終わりました。学生は、15名。コーディネータの仕事の達成度はまあ「A」かな。そして、同じくコーディネータとしての責任を個々の学生に対してどれほど果たせたか、つまりコースの所期の目標をどれほどの学生が達成できたかというと、ざっくり言って、1/3は目標を超えて達成、1/3は目標を達成、1/3は目標まで少し至らなかった、くらいです。目標にまったく「手が届いて」いない学生はいませんでし

          コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場

          複言語発達支援としての言語教育【第1回】 出来事の言葉と思考の言葉 ─ 言語教育の取り扱い対象の検討として

          はじめに  言語教育が取り扱う対象は、構造(=記号)のシステムとしての言語ではないとしばしば言われます。日本語教育学内では、筆者もそのように主張している者の一人です。それならば、言語教育が取り扱う対象は何なのか。「Aではない!」と権威者ぶって主張することは簡単です。しかし、「Aではない!」と言うのなら、速やかに「じゃあ何なんですか?」という質問に応えるのが本来です。言語教育研究者・日本語教育研究者はそのことを怠ってきました。  わたし自身は、その質問に応えるためにこれまで精力

          複言語発達支援としての言語教育【第1回】 出来事の言葉と思考の言葉 ─ 言語教育の取り扱い対象の検討として

          ぼくは、日本語教育学のフィールドワーカー!? ─ 現場、フィールドの現実の「たいへんさ」を忘れている日本語教育の専門家

           うまくまとまった話にはならないかもしれませんが、こんなテーマで書いてみたいと思います。 1.フィールドワーク  フィールドワークというのは、皆さんご存知かと思いますが、文化人類学や社会学などで行われる研究方法の一つです。文化人類学に引きつけて言うと、生活や文化が脈々と営まれている場所(site)に行って、そこで暮らしつつ、関心の人々の暮らし、生業(なりわい)、風習、祭事、言語活動などを観察・記録して、かれらの生き様やそのシステム、またそこに通底しているかれらのロジックや目

          ぼくは、日本語教育学のフィールドワーカー!? ─ 現場、フィールドの現実の「たいへんさ」を忘れている日本語教育の専門家

          日本語教育の教育企画とアチーブメントとプロフィシェンシー ─ 一部、Can doに基づく教育企画批判

           基礎日本語の教育企画と、アチーブメント(achievement)とプロフィシェンシー(proficiency)について書きます。 1.アチーブメントとプロフィシェンシー  アチーブメントは、教育企画で設定された目標が達成されたか、あるいはどれほど達成されたか、です。それを測るテストは、アチーブメントテストとなります。プロフィシェンシーは、教育企画との関係で言うと、コース終了時に、一般的な尺度で言って「日本語がどれほどできるようになっているか」です。それを測るテストはプロフ

          日本語教育の教育企画とアチーブメントとプロフィシェンシー ─ 一部、Can doに基づく教育企画批判

          2023年度日本語教育秋季大会後の徒然

           大会後の徒然を書いてみたいと思います。 1.外国人技能実習制度に求められる日本語教育 ─ 誰のため? 何のため?  栗又由利子さん、藤波大吾さん、助川泰彦さんの報告があった。助川さんのは、少し例外的で、日本への送り出しが多いインドネシア、スラウェシ島のマナドという町と茨城県大洗市の話。  栗又さんと藤波さんの発表の日本語教育的な重要結論。 (1) 仕事の上での日本語は間に合っている。というか、「仕事」上は、挨拶をした後は、もう話すことはなく、黙って作業している。*仕事の指

          2023年度日本語教育秋季大会後の徒然

          人間はどういう動物か、どのような世界でどのように生きることを営んでいるか、という問題

           重要な問題は、人間はどういう動物か、どのような世界でどのように生きることを営んでいるか、という問題である。 初発の認識 (1) 人間が生きることを営む世界は、あらかじめにはない。 (2) 人間が生きることというのも、あらかじめにはない。 つまり、人間は、人間たちの世界を絶えることなくつくりつつ、その中(その只中)で、絶えることなく生きることを営んでいる。

          人間はどういう動物か、どのような世界でどのように生きることを営んでいるか、という問題

          学生に話させるのは「テスト」!?

           昨日に続いて、もう一つ記事。  日本語教育に限らず語学教育では、「できるだけ学生に話させる!」、「先生はやたらに話してはいけない!」と言われることが多いです。このテーマ、前にも書いたことがあるように思いますが、「再論」。 *Krashen流に「comprehensible inputが重要!」と思っている先生は「やたらに」話しているでしょう。一方で、日本語の先生で「やたらに日本語で日本語について説明」している人は実はとても多い! そんな授業は論外ですよね。上の「やたらに話す

          学生に話させるのは「テスト」!?

          漢字系学習者の場合の「音読」ということ

           皆さんもよくご経験のように、漢字系学習者(多くは中国の学生)の場合に、N2やN1は合格しているけど、ほとんどor全く話せないという学生がいますね。そういう学生にはとにかく「音読」を大量にさせるといいのですが、わたしが「音読を大量にさせればいい!」と言っても、ただ「声を出して読ませればいいんですね」と「熱烈賛成!」でない応答が返ってくる。同僚や、中国出身の日本語の先生でも! です。  非漢字系の学習者の場合の音読と漢字系学習者の場合の音読はぜんぜん違う。そのあたり、どうも皆さ

          漢字系学習者の場合の「音読」ということ

          である-体とですます-体

           ある原稿を書いていました。その原稿が載る本はである-体となっていますので、である-体で書いていました。一方で、まもなく出版される「親しい仲間」といっしょに書いている本はですます-体です。ぼく自身は、過去5年間くらいは、研究書や研究論文はである-体、日本語教育学関係の本や論考はですます-体で書いています。  今日の原稿は、である-体で書いていたわけですが、ぼくとしては日本語教育学の原稿として書いていました。そうすると、ぼくの考える日本語教育学とである-体がどうもうまく「噛み合

          である-体とですます-体

          人間のさまざまな「生息世界」!?

           先週1週間、(a)先生たちの研修会、(b​)教材制作、(c)公開セミナー、のために、インドネシア・ジャカルタの協定大学のDP大学に行っていました。そのときの奇妙な感覚の話。  インドネシアは、45年ぶりの2回目です。「45年ぶり」というのは、45年前の学生時代に大学の交流プログラムで1か月ほど来たことがある。「2回目」というのは、去年の12月に続いて2回目です。  出発前にするべき仕事をバタバタと片づけて、前の夜に朝一6時のタクシーを予約して。9月11日(月)は、タクシー→

          人間のさまざまな「生息世界」!?

          Ambitionって、何?

           きょうは、後期に向けたキックオフ・パーティを同僚としました。すごくいい仲間です。そんな中、一人の先輩が一人の若手に「あなたなんかは、ambitionがあるでしょう。ambitionをもたなきゃ!」と言いました。ぼく自身も、若い人にはしばしば「ambitionをもたなきゃ!」と言っています。その先輩のambitionの意味はやファジーでした。それで改めてambitionについて考えました。  ぼくの言うambitionは「野心」ではありません。もっと、下世話に言うと、この「野

          Ambitionって、何?