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社内起案で玉砕した失敗体験を振り返る

こんにちは。こいけです。


キャリア人生の中でも結構トラウマになった失敗体験。
人生において玉砕される経験って、あまり多くはない。
それも大人になってからの玉砕はなかなか心がえぐられる。


このトラウマ体験で、0から何かを生み出すことに苦手意識を持ったりもするのだけど、わたしにとってはトライして良かったことのひとつ。


どちらかと言うとリスク管理は得意で、これまで大きな失敗の場数が少ないことをコンプレックスに感じていた部分もあるし、何より失敗から得られたことは多い。


今回はそんな失敗体験から得られた教訓を整理してみる。

準備万端。と思って臨んだ社内起案


事業部での新しいスキームと組織の立ち上げに向けて「ヒト」と「カネ」を調達するため、本部長クラスが集う会議に企画を持ち込み起案したときのこと。


人生でこんなに箸にも棒にもかからなかったことはなかった。
まさに玉砕という名が相応しい。


プレゼンを終えた後は、こんな会社辞めてやりたいとさえ思った。
当日の10分間のプレゼンに向けて相応の時間をかけて準備をしてきたのに、
腕と足を組み、イスにもたれかかって話を聞く本部長陣。
この人たちってそんなに偉いの?


こんな態度の人たちを全く納得させられない自分の非力さに悔しさや惨めさ、怒り、いろんな感情が一気に込み上げてくる。そんな感情をなんとか堪えながら会議室を出て行ったことを覚えている。


そこから3日間はヘソを曲げ、自分の失敗に正面から向き合わず、見て見ぬふりをしていたけど、やはり煮え切らなかったので、ふと棚に積み上がったままになっていた「新規事業の実践論」という書籍を手に取り読んでみる。これが当時の自分に刺さりまくり、(当たり前なんだけど)全ては自分の準備不足が招いたこととすんなり認め、また前を向く。


(今回書籍の内容には触れないが、社内で何か事業なりサービスなりを起案する人には特におすすめしたい本です。)


話を戻して、当時の失敗から得た教訓は以下の通り。

そこに腹をくくれているか


起案の背景は、当時の上司であった本部長からの提案。
新しくこんなサービスを検討してほしいというアイデアを形にすることがスタートだった。いわばアイデアの受け売り。
とはいえ、起案は起案。中途半端な状態では持っていけない。


一方で、「ヒト」と「カネ」を投資してもらえたところで、自分は心からそれをやりたいのか。
モヤっと心にザラつきを感じている自分がいた。


「ヒト」を投資してもらうということは、その人のキャリアに影響を与えるということ。起案者が腹をくくれなければ、良いサービスなんて生み出せるはずはない。

フォロワーがいるという甘えを捨てる


当時上司だった本部長も会議の出席者。当日は援護射撃が得られるであろうという甘えもあった。
でも蓋を開けてみればそこに上司はいない。
当時の上司は退職を控えており、その日はまさかの有給休暇で不在だった。


当日会議室に入った瞬間、裏切られたような感覚を覚えた。
あなたのアイデアを形にしたのに丸投げじゃないか、と。


でもそれは甘えでしかない。
あくまでも起案者はわたしなのだ。

キーマンの声を抑える


社内起案をするということは、当日の会議でほとんどの参加者からYESをもらう必要がある。
ヒトを投資してもらうからには、人事異動が発生するため生半可なYESは出せない。当日YESをもらうために、事前に当日の参加者に自分の考えていることを頭出しして壁打ちを依頼しておくべきだった。


考えてみれば起案のアイデアをくれた当時の上司は退職を控えていたこともあり、実質上司の相談の場はほとんど得られず、わたしともう一人の部下だけで壁打ちしながら論点を整理していた。


まったく外に目を向けられていなかったのだ。

結局はビジョンがあるか


今ここまでを振り返れば、ツッコミどころ満載の失敗体験だけど、マニュアルなんてあるわけないし、当時は本当に手探りで周りが見えていなかった。


何かを創るには、それによりどんな不を解決したいのか。その軸となるビジョンがないと、そもそも始まらない。腹が括れなければ、途中で考えはブレ始め、どこかで目的を見失う。


今となれば、あの時起案が通らなくて良かったと安堵している自分もいる。
中途半端な気持ちで進めても、関わるヒトやそのサービスを受けるヒトたちに胸を張れない。


余談だが、今は部長会議にスピーカーとして起案してくれる人たちの心細さが痛いほど分かるので、オンラインでも腕と足は組まない。背すじも伸ばす。
そう心掛けている。そのくらいあの光景は結構トラウマだから。


起案する方も、承認する方も、何かをよくしたいと思って対峙している。
復職すればわたしはまた何かを生み出し起案する側になる。
そうやってわたしのトライは続くのです。
当時のわたしよ、ナイストライ。

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