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お城へ To Go (徳島城)

 阿波蜂須賀家の居城、徳島城(76・徳島)です。押印は平成22年12月12日です。徳島大学での統合医療学会参加の翌日に押印しています。前日に、徳島に入り、アリゾナ大学統合医療プログラムの同窓生たちと夜に会合したのが思いだされます。当時、なんとなく幹事が私でしたので、徳島市内で飲み会の適当な居酒屋が見つからず、結構探した記憶があります(笑)

 徳島城は、河口の三角州の城山にある平山城です。もともと二つの城を合わせた大規模な城郭で、秀吉の命により築城されました。
 現在の徳島駅の裏手に位置し、徒歩で鷲の門(復元)から三木曲輪に入り、大手枡形を抜けると広い城内に入ります。ここにかつては御殿があり、現在は徳島城博物館があります。
 そこから東二の丸である天守跡となります。ここの天守は石垣上に建てられず平地に直接建てられたといわれます。さらにここは本丸から一段下になっている形で天守があったとされており、少し上がって本丸になります。
 この本丸東部には城内最古の石垣が確認されており、この本丸を頂きとして反対側へと今度は下がっていきます。西二の丸、西三の丸、西の丸と下がり、山の反対側に降りてきます。
 かつては二つの大きな川に挟まれたこの城山、まさに天然の要害といった感じだったのでしょう。いまは街中、駅近の街のシンボルといった感じですが。

 戦国期は次々に支配者がかわった阿波ですが、秀吉の四国平定により蜂須賀氏が領有してから徳島と称されるようになり明治まで継続します。
 この蜂須賀の統治下で安定した徳島で、築城にたずさわった者への労いとして城下の者に大盤振る舞いし、これに民衆が大騒ぎしたことで「阿波踊り」が誕生したと伝えられます。
 不安定な時代を経て、安定した政権の到来を迎えた民衆のほっとした気持ちの表れなのかもしれませんね。

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週刊 名城をゆく 45 徳島城・洲本城
日本アート・センター 小学館 2004-12-28

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徳島 城と町まちの歴史
河野 幸夫 聚海書林 1982-04T

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徳島あるある ご当地あるある
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配信元:裏辺研究所

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