見出し画像

お城へTo Go(八王子城)

 今回は、八王子城(22・東京)です。前回の鉢形城を落とした「北陸支隊」が、汚名挽回をかけて襲い掛かった悲劇の攻城戦の舞台です。100名城押印は平成21年2月22日です。近場ですのでたまに行くのですが、縄張りがかなりヤバい状態になっているので前線部など全域はほぼ行けていません…)

 初めて訪れた際は、現在のように御主殿跡などは整備されてはいなったのですが、復元の曳橋や虎口などは立派で、見どころ満載でした。
 ただ場所柄、車で訪れると霊園を通過していき、さらには「マムシ注意」に加え、嚙まれた場合の医療施設の電話番号まであったので、ドキドキしながらの散策でした。御主殿部と山上要害部があり、本丸や八王子神社のある山上要害部へ向かうには、ちょっとしたハイキングといった感じで思ったより登りの距離があります。
 また西側に展開された「馬冷の堀切」は、距離もある上に、訪問時は藪で歩きにくく、マムシの危険もあるので未だに行けておりません。

 以前読んだ解説書に書いてあったのですが、たしかに城としては全体像がつかみにくい城です。特に初心のころに行ったので、分かりにくい感じで、西側に至ってはかなりの上級者向けといった雰囲気に満ち溢れてました。人によっては、マニア向けの城なのでこれを100名城として挙げるのはいかがなものか、といった指摘もあるようです(納得です)。

 この城は城主の北条氏照が不在のまま激戦の末、落城を迎えるという悲劇の城です。近隣の滝山城が、武田の軍勢にかなり攻め込まれたことから、豊臣との鉄砲主体の戦闘に備えて、移ってきたきたばかりで戦闘となり、まだ城郭としては未完成だったといいます。 

 また前田・上杉を主体とする「北陸支隊」の鉢形攻めが手ぬるいと秀吉に叱責され、撃滅による落城を命じられてもいたようです。そのため城内には、婦女子が自害し身を投げたといわれる御主殿の滝もあり、そこから流れた血で川が赤く染まったという言い伝えもあります。はじめは、このエピソードを知らず、この滝近くに降りて一服したりしておりました。(゚Д゚;) さらに後日ネットで、「関東最恐心霊スポット」としても紹介されていることを知りました・・・

 滝山城も好きな城で、武田の攻撃にも落ちなかった堅城なのですが、それを捨ててまで移ったこの八王子城。しかしどれほど地の利を生かして、築城しても寄せ手の兵力差はいかんともしがたいということをつくづく感じます。こうした豊臣方に飲み込まれたしろとしては東海道にまたがる山中城も、同様の暗さがありますね。

 医療でいうところの強力な感染症や難治の疾患に対しての無力感と二重写しになるようにも感じます。

 ちなみにこの八王子城、八人の王子がここに降臨した地で、八王子という名称の由来になったという説もあるようです。城はやはりその地の古くからの信仰と密接に関連しているものが多いですね。

配信元:裏辺研究所


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?