見出し画像

小説 | 団地の夢 1-2

上半身裸の女が恥ずかしげもなくタバコを吸っている。しかも金髪で外国人だ。
管理人室は受付の奥が小上がりになっていて、そこには畳が敷かれている。
金髪女は敷いてある布団にドカッと座ってタバコを吸っているではないか。

母もいきなりの光景に口が開いている。
親子で数秒固まった後、奥から声がした。

「ごめんね〜いまお客さんの施術してたもんで」
ボサボサの髪を後ろで結び、黒いTシャツに白い麻のズボンを履いた30代くらいの男が現れた。なんの施術なのか皆目検討がつかない。

「ユーちゃん、とっても気持ちよかたよ!またよろしくね」

金髪上裸女がブラをつけながらお礼を言った。男は「はいはい、いつでもいらっしゃい」と返事を返しつつカワサキさんカワサキさん…と呟きながら契約書と部屋の鍵を探している。

「はい。お待たせしました。こちらです。」
私と母は顔を見合わせ、状況がわからないまま鍵を受け取り、男からゴミ捨てについてなど入居の説明を受けている。
そんな中、何もなかったかのように金髪上裸女は足取り軽く部屋を出て行ってしまった。
こんなところに住むんじゃなかった。母もきっと同じ気持ちだろう。

心ここに在らずの状態で男の説明を聞いていたが、やはり聞かずにはいられないのが人の性だ。
「あの…さっきのは…一体…」母が尋ねる。
(お母さん、、グッジョブ…)心の中でサムズアップする。

「あー、さっきの?ジェシカっていってね、彼女もここに住んでるんですよ。留学生でね。勉強もバイトも頑張ってるんですよ。」

(そういうことじゃなくて…)
多分母も同じツッコミを入れたことだろう。

親子共々怪訝な表情をしていたのは明らかで、男はぷっと吹き出して私達の頭上に目線をやる。

「僕ね、鍼灸師なんですよ。ほら」
男が指差した場所には鍼灸処かねひらと書かれた看板があった。

(シンキュウ…?なにそれ)

「あ、ああ〜、、そういう…ここでお灸のお店をやってらっしゃる…」
母は合点したようだ。大きく安堵のため息を吐いて、この男にむけて尊敬の眼差しともとれる表情をさらしているではないか。
母は騙せても私は違うぞ。この男は信用ならないと判断し、絶対に心を許すものかと丹田に力を込めた。

「ここの団地内でなかなか評判いいんですよ。カワサキさんもよかったらいらしてください」
屈託ない笑顔と共に鍼灸処かねひらと書かれた名刺を差し出す。はあ、どうもと受け取る母。

「じゃあ、お部屋までご案内します。」
大きなカラビナに管理人室と書かれた木札と大小様々な鍵がひっかけられたものを持って外に向かう。

母と私もそれに従う。
カラビナには様々な鍵が付いており、YKKと書かれたお馴染みの鍵からアンティークショップに置いていそうな古くて長い鍵まである。少なく見積もって30個は付いていそうだ。


管理人室から向かって左奥の3棟のうち、一番新しく見える建物が私達の住まいだ。

階段の踊り場の壁には四角い穴が空いていて、住人の中にはそこにミントだったり、バジルだったりのプランターを置いていたりする。デザイン性の為にあけた穴なのか、設計上の都合で開けた穴なのか意図は不明だ。
一階にはステンレス製の集合ポストが設置されている。ガムテープが貼られていないポストには古い雑誌やチラシが詰め込まれ、風雨に晒されて全部がくっついている。

「ここがカワサキさんちのポストですよ〜」
申し訳程度に取り付けられた南京錠はカラビナにくっついている小さな鍵で開けられた。

"お金貸します。あなたの街のハッピーファイナンス"ポストに入っていたのは怪しげな消費者金融のチラシだった。

管理人の男はチラシをくしゃっと丸めてズボンのポケットにねじ込みながら
「これ自由に使ってください。」南京錠と小さな鍵を母に手渡す。
オートロック付き、宅配ボックス有りのマンションとは大違いだ。

入り口の横にはかつてダストシューターだったブロック作りの物置小屋が鎮座している。
中には住人が自由に使える掃除道具が入っているらしい。

「では、ここの3階がお部屋になりますので参りましょう。」

妙に段差の高さが低い階段を上がり、私達の新居に到着した。この階段を毎日登り降りするのかと思うとうんざりした気分になった。

管理人の男に手渡された鍵でドアを開ける。ドアは悲鳴を上げながら開き、むっとした部屋の匂いが私たちを包んだ。

古い畳の匂いと先代、先先代の入居者の生活臭が鼻をつく。今でも誰かが住んでいるようなそんな気がして居心地が悪い。

管理人の男と母はそんなことお構いなしに部屋へ入る。ガスの元栓やら、水道や電気の説明やら、入居時の定型案内を進めている。

玄関の扉の下の方にキラキラした正方形のシールが貼られていた。いつぞやの入居者が貼ったのだろうか。後から知ったが、このシールはチョコウエハースのおまけとして売られているもので、今もなお子供達には人気があるらしい。私達が住むのに、誰かの痕跡が残っていることに薄すらと気持ち悪さを感じた。

「じゃあ、僕はこれで。何かありましたら先程の名刺に管理人室の番号がありますのでそちらにご連絡ください。木曜日の夜以外はたいてい僕がいます。」

それじゃ。と言い残し管理人の男は部屋を後にする。母はこれからよろしくお願いしますと言いながら管理人の男を見送った。

「さて…引っ越し屋さんのトラックが来るまでまだ時間があるから、お母さんは掃除をしておくわね。ヨーコは自分の部屋の雑巾掛けをお願いね。」

母のエルメスのバッグには100均で買ってきた雑巾10枚とピンクのゴム手袋が入っていた。
エルメスのバッグに雑巾とは。胸のあたりがキュッと締め付けられた。母はここで暮らしていくつもりなのだ。

チャキチャキと居間の畳を拭き始める母を見ながら、泣きそうになっている自分に気づいた。
泣き顔を見られるまいと私は自分の部屋と言われた玄関横6畳の和室へ向かった。
窓を開けると眼下には桜並木が広がり、風に飛ばされた花びらがヨーコの足元にも散らばっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?